7 翻案から考察する「怪談」の恐怖の検証

一応、この一つ前で立てた「怪談」成立の仮説は

①怪異が現れる条件があったとしても、怪異の現れる可能性は限りなく、万人に等しいという要素を持つ

②怪異が怪異として現れるか否かは、発現前の怪異自身=対象aに託されている

といったところである。

そこを踏まえて、『子供に語ってみたい日本の古典怪談』(著:野火迅)より、『今昔物語集』巻第二十四「人妻成悪霊人妻悪霊と成り除其害陰陽師語其の害を除きたる陰陽師のこと第二十」の翻案を通して、「怪談」を「怪談」たらしめるポイントをチェックしたい。


さすがに同書から直接引くのはアレなので、原話の要約を以下に書く。

『今昔物語集』巻第二十四「人妻成悪霊人妻悪霊と成り除其害陰陽師語其の害を除きたる陰陽師のこと第二十」


昔、あるところに、男に去られた女がいた。

女は男を深く恨み、その内に病にかかって死んでしまうが、身寄りがなかったために葬られずにしばらく放置されてしまう。

しかし、女の死体は白骨と化しても、髪はもとのまま、骨は繋がったままであったため、隣家の住人は家の中を垣間見かいまみて恐れおののいた。

さらには人魂や屋鳴りが起きるようになった。

さて、これを聞いた女を捨てた男は自分がそのうちとり殺されると感じて、陰陽師のもとに行き、全て話した上で難を逃れるにはどうしたらいいか相談した。

陰陽師は男に「この恨みから逃れることは難しいが、そのように仰るのだから、やってみましょう。ただし、とても恐ろしいことをしますので、それを覚悟してください」と言った。

男が日暮れに陰陽師とともに死体のある家にいくと、陰陽師は男に死体の背に馬に乗るようにまたがることを命じ、さらに死体の髪を握らせると、呪文を唱えて男に「自分がここに再び来るまでは、絶対に髪を放すことなく、このままでいなさい。恐ろしいことがおきるだろうが、それを覚悟しておくように」と言って、陰陽師は去って行った。

夜半になると、死体は「ああ重い」と言いながら立ちあがって走りだし、「あいつを探しに行こう」と言って家から走り出て遠くまで行った。

男が陰陽師の言った通りに、髪を放さず股がったままでいると、十里ばかり走った死体は、その内家に帰り、元のように臥した。

男は怖くて仕方がなかったものの、手を放さずにその背に乗ったままでいると、やがて鶏が鳴くと死人は音も立てなくなり、そして夜が明け、陰陽師がやってきた。(※)

「とても恐ろしいことがあったでしょう。髪は放しませんでしたか?」と聞かれ、男は放さなかったことを答えた。すると、陰陽師は呪文を唱えて後処理をして、「さあ帰りましょう」と男を家につれて帰った。

陰陽師が言うには「今はもう恐れられることはありません。あなたのおっしゃることを放置するのは難しかったので」とのことで、男は泣きながら陰陽師を拝んだ。

その後、男は何事もなく長く生きた。

これは最近のことだろう。この男の孫は今、生きている。この陰陽師の孫も大宿直おおとのいというところに今住んでいると語り伝えられた。


※印の場所までは、多少言葉が恐怖を煽るものを選んでるだけで大筋は変わらない。

なので、怪談と「怪談」の分岐点はここ。

というか、分岐というか、ここで終わるように翻案されてるというか。


結論から言って、翻案により改変されているのは、男の反応と彼らから今にまつわる情報の削除である。


翻案による改変点

(1)陰陽師の問いかけに男は答えず、不審に思った陰陽師が男の顔を見ると、一夜にして白髪混じりの髪となり、完全なる放心状態となっている

(2)物語はそこで終わり、男が何事もなく生きたことも、彼らの孫がその現在に生きていたことも語られない


まず、(1)はその体験を受けた結果の恐怖の程度を表す演出である、と考えられる。

表現の内容自体は一般的な「怪談」における、過度の恐怖に対するものとして処理できる範疇である。


続いて(2)。

(2)は(1)を正とした時の整合性と余韻の兼ね合い、かつ語られる時代を考慮して削除した、と考えられる。


が、ここで一歩踏み込むと、(1)・(2)によって「既に終了した事項である」ことが削除されると考えられる。

何故なら、(1)の改変による過度な恐怖の表現により、「陰陽師の言う大丈夫」に対する信頼度が薄れ、(2)の改変によって「終わった事の証=無事に今を生きる彼らの子孫」がなかったことになる。つまり、この怪異は一時的に鳴りを潜めただけで、いつまた現世に表出するかわからない、根本的対処が完了していないと考えられる。


また、(2)で消えた彼らの子孫の話は「話者の今」と「話上の今という過去」を結びつけているため、(2)の改変により、この話については「時間軸に対する時間の独立性」が生まれることにもなる。

前にも書いた、「来し方」、「にし(=古)」という時間軸に沿った現在まで連続性のある過去の一点に対して、「むかし」という軸から浮いた、現実と非連続的で抽象的な過去と化すのである。

※前にも書いた場所

下から読んだ方が当該部分へははやいよ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894714390/episodes/1177354054921271685


さて、前段で恐怖の源泉の仮説として立てたのは以下の二つ。


①怪異が現れる条件があったとしても、怪異の現れる可能性は限りなく、万人に等しいという要素を持つ

②怪異が怪異として現れるか否かは、発現前の怪異自身=対象aに託されている


まあ、しちめんどくさく書いてるので、解体しつつ、怪談の「怪談」化に伴う改変と比較していく。


まず、①。

これは回りくどく書いているが、端的に言えば、その怪異及びその影響がということである。

で、このポイントはこの翻案においては前述の通り、根本的対処が完了したと思えない、あるいは対処してもどうしようもなかったかのような演出であることで達成している。

口裂け女とかも対症療法とかしかないのと同じ、八尺様の最後でお地蔵さんが破壊されるのと同じでもある。

まして、先述の通り、改変により現実と地続きの連続性のある過去から、非連続性の過去となるようにされてしまったが故に、時代の要素はさして意味をなさない。言語なら完了時制に対する未完了過去時制みたいな、決着がついてないから完了したとみなせず、時間的にも連続性から浮いた宙ぶらりんな状態。よくある「友達の友達から聞いた」的なのも、出所が明確にならない限りこれ。


また、「万人に共通の条件か」、という点について、事の発端は「男に捨てられた女が男を恨んで死んだ事」であることを考えると、その事例自体は物語世界含め現実世界にも掃いて捨てる程度にはありそうな事象である。

まあ、『源氏物語』の六条御息所ろくじょうのみやすどころが葵の上のとこに生霊で出たみたいに、その原因の女にたたることもあるんだけどさ。


そして流れるように②にいくけど、恨みを晴らす対象も含めて、のどちらも怪異本人の手にゆだねられているのは違いない。

結果として、この話の怪異と化した女は「死してなお男に対して恨みを晴らすこと」を選択して、隣人までビビらせていたのだから。


というわけで、


①怪異が現れる条件があったとしても、怪異の現れる可能性は限りなく、万人に等しいという要素を持つ

②怪異が怪異として現れるか否かは、発現前の怪異自身=対象aに託されている


怪談の「怪談」化に付随する改変から考えてみた時に、これらの仮説をクリアし得る具体的な要素としては以下の通り。


1.根絶が完了していると我々が認識できない≒対症療法しか存在しない=この怪異という根本的問題が明確に排除された・こちらの制御下であるかがわからない

2.条件がない(通り魔的)、またはごく一般的であり、我々自身が対象にならないと明確に断言できない条件である

3.話自体が現実との時間の非連続性を帯びている(現実の現在との連続性が曖昧)


3の要素を成すのに匿名性というのは大変有用なので、ネット上で「怪談」が出回るのも理解できるわね……

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