8 ここまでを受けての「怪談」のラカン和えをまとめる

というわけで、相当に(私が)混乱してるので、ここで一旦まとめます。世話ねえな。

ちろっとしか出してなくても重要なとこはぶっこんでいくストロングスタイルでいきます。


一 怪談について

辞書的定義の怪談と、我々が現在一般的に「怪談」といった場合、ニュアンスが異なる。

端的に言えば、辞書的定義の怪談には必ずしも恐怖は付随しない。よってここでは一般的に「怪談」と言った時に指す、ホラー分野を「怪談」とカッコ付きで表記している。


二 「怪談」の恐怖の源泉

「怪談」の恐怖の源泉はその話に登場する怪異である。そして、ラカンの精神分析を元に読み解けば、この怪異は対象aであり、そこから生まれる恐怖は剰余快楽であると考えられる。


三 対象aとしての怪異への我々の対処法

対象aに対して、我々はそれを象徴界=言語的営みに落とさねば気がすまない。落とし込まねば、生の欲動を保てない=生きられないから。

結果として、幽霊という実体を失ったシニフィアン意味シニフィエにしてみたり、妖怪というその意味シニフィエを入れるためだけのシニフィアンを作成することで、キャラクター化、記号化を古くから我々は行ってきた。

その一方、独自の理論・手順シニフィアン意味シニフィエを持たせたおまじない化、魔術化もまたキャラクター化、記号化の一端であった。


四 怪談と「怪談」をへだつ条件

それすなわち、ここにおいては剰余快楽とみなす恐怖の有無。

では、その恐怖を生む条件とは何か、を数多の「怪談」から仮説立て、怪談→「怪談」の翻案と比較することで、具体的な条件として、怪異と話が以下の三つを持つことで恐怖が生まれるのではないか、と考える。

①根絶が完了していると我々が認識できない≒対症療法しか存在しない=この怪異という根本的問題が明確に排除された・こちらの制御下であるかがわからない

②条件がない(通り魔的)、またはごく一般的であり、我々自身が対象にならないと明確に断言できない条件である

③話自体が現実との時間の非連続性を帯びている(現実の現在との接続性が曖昧である)


と、まあこんなところです。

ここまで結構使ったね、文字数。


……正味な話、詳細なキャラクター化は邪魔なだけなのか、江戸で生まれた妖怪達は「怪談」ではあまり登場しないように見受けられる。

まあ、すでにキャラクター化・記号化を介して、象徴界=言語的営みに組み込んでるわけですし、そこに人間の価値観に沿ったキャラクター性(人格)を入れ込んでしまえば、完全に人(作者)の制御下なので四の①の条件からはずれるのよね。

つまるところ、「怪談」における怪異というものは人間にはどうこうできない外部、混沌の欠片たる対象aであり、そこに記号シニフィアンを与えて言語化こそすれ、その本質を捉えてしまえば否応なく死の欲動が勝ってしまうものと考えられる。

……うん、くねくねとかまさしくだよねえ。

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