第13話 狂気に、立ち向かう

「おぬし……もしや、あの時の家畜の仔か⁉」


 黒いイノシシの魔獣に反応したのは、ラストであった。


「家畜の仔……? この魔獣を知っているんですか、ラストさん?」

「ああ。食べることを見逃してやった仲……命の恩人と言い換えてもよいだろう」

「えっ、食べ……?」


 聞き間違いではないかと戸惑うクライをよそに、ラストは愉快に笑って、黒イノシシのそばまで近寄り、


「くくっ、それにしても一月ほどで見違えるほどに大きくなったものだな。一層に、美味しそうに見えるではないか、なぁ?」

『ぶひぃっ!』

「かは……ッ! こんの、図体に合わせて脚力までパワーアップしよってからにっ!」


 後ろ脚で腹部を思いっきり蹴り上げられ、うずくまるラスト。


 どうやら逆鱗に触れてしまったようだ。

 フンッと黒イノシシは鼻を吹いて、そっぽを向いてしまう。


「それにしても、どこから?」

「門の方から来たということは……さては、あやつの仕業かな?」

「あやつって……」


 分かりやすく、ラストの言葉に『ぶひっ』と肯定するように、イノシシが鳴く。

 門の方角にいる、に思い当たる人物はひとりしかいない。


(そっか。まだ戦っているんだ……わたしのことを、気にして)


 お師匠様と同じ、頬に三本傷を残した白髪の青年がクライの頭に浮かぶ。


 やはり、あの男は嫌いだ。

 どこかいつも飄々と余裕ぶった態度をしていて、こちらの気持ちをすべて分かっている風な顔をして。


 お師匠様を見捨てた、弟子の風上にも置けない、とんだクズ野郎なのに。


 頬に刻まれた三本傷のせいか。

 どこかお師匠様に似た、雰囲気があって。


 それが余計に、気に食わなかった。


「負けて、られない……っ!」


 途端、失意に沈んでいたクライの心が立ち直る。

 それはおよそ、剣聖らしい立ち直りとは言えないだろう。


 だが、それでいい。

 わたしはもう、剣聖じゃない。


 ただのクライ。

 ルドルフ・フォスターの一番弟子にして、不出来な弟弟子をせんせーにした、出来損ないの剣士、クライネス・クライノートだ。


「ここに来てくれたってことは……あなたも、一緒に戦ってくれるの?」

『ぶひぶひ、ぶひぃーっ!』


 勇ましく息を吐くことでクライの問い掛けに応える、黒いイノシシの魔獣。

 頼もしい限りだ。自ずと勇気をもらえる。


(大丈夫、ひとりじゃない。戦える。戦わなくちゃ──!)


「ダンデ先生。ごめんなさい……この剣を返すわけにはいかなくなりました。わたしは、ここで負けるわけにはいかないっ!」


 言って、クライは真っすぐに、狂気の神父へ剣の切っ先を向け、見詰めた。


 もう揺らぐことはない。強い意志で塗り固められた、そんな凛とした美しい瑠璃色の瞳で。


「……なんですか、それは。なんの冗談ですか?」


 対して、一連の流れを黙認していた神父がつぶやく。


「ソレは魔獣ですよね? まさかそんな穢れたケダモノと共闘するおつもりですか? 聖剣を手にする貴女が? 剣聖であった貴女が?」

「わたしはもう剣聖ではありません。それはダンデ先生、あなた自身がわたしに言ったことです」

「ふざけるなっ! であれば、その剣を今すぐ手放せ! どこまで私達の神を冒涜するつもりだ、貴女は!」


 丸眼鏡の奥から憤りを露わにして、ダンデは再び、手下の神官たちへ呼びかける。


「かかりなさいっ! たかだか一体の魔獣、増えたところでどうということはないっ! 諸共に片付けてあげましょう!」

「来ます。ラストさん、気を付けてくださいっ!」


 互いの強い一言で、再び場が動き出す。

 ザザッ、と、打って変わって素早い動きで迫りくる神官たち。

 

 それらを迎え撃つクライもまた低い姿勢で剣を構えると、ひとりに向けて、最速で肉薄する。


 依然として多勢に無勢であることは変わりない。時間をかけて受けに回れば、肉体的にも精神的にも体力を削られ、いずれ押し切られる。


 であれば、先手必勝。こちらから突破口をこじ開ける。


「まずは、あなたっ!」


 狙いを定めたのは、先頭に出てきていた一番体の大きい神官。

 その手には鎚矛メイスと、明らかなパワー型であることから、非力なクライにとっては相性が悪い。


 そう、以前までのクライであれば。


「はああっ!」


 斬りかかるクライの一太刀を、大柄な神官が難なく受け止める。


 一瞬の鍔迫り合い。

 普通であれば成立しない、力比べであるが。その状態からクライは修行の成果を発揮する。


「<闘気・纏>っ!」

「なっ……⁉」


 途端、僅かながらクライの力が増大する。

 【纏】の状態は体得間近であるとはいえ、長時間の展開に不安が残る。


 だからこその、瞬間的な使用。

 それだけの力の変化で敵は十分に動揺するし、均衡は崩れる。


 案の定、クライの力の緩急に、慌てて押し返そうとした大柄な神官。


 その瞬間を逃さず、クライは少しだけ力の向きを変えて、身体の位置を入れ替えると、大柄な神官は前のめりに体勢を崩す。


「はあっ!」

「ぐがぁッ!」


 左薙ぎに一閃。

 迷うことのない踏み込みから、鎧ごと胴体を斬り伏せる。


 だが、流石は精鋭というべきか、ただでは死なない。


 意識的にか、無意識的にか。大柄な神官はクライの足を掴み、一瞬の間、その動きを拘束する。


「くっ、これじゃ……っ⁉」


 慌てて周りを見渡せば、即座に状況へ対応した神官たちが、すかさずクライを取り囲んで、押し寄せる。


 身の危険に、ひやりっと強張らせたクライであったが。


『ぶぅうひぃぃーっ!』


 突如として、黒イノシシの影が横から飛び出し、クライへ迫っていた凶刃の数々をその突進によって、払い除ける。


 カランカラン、と、甲高い音を立てて。

 黒イノシシの突進に巻き込まれた、刀剣類と神官が同時に地面を転がる。


「ありがとう、クロちゃん!」

『ぶひぶぅひっ!』

「おぬしら、いきなり突進とは……なかなか危なっかしいことを」


 クライの感謝か、それとも名付けにか。

 気を良くして鼻息を吹く黒イノシシの『クロちゃん』。


 そんな一人と一匹を眺めていたラストが、呆れたように言いながら、転がった敵の武器を拾い上げる。


「それにしても、クロちゃんとは……くくっ、師弟揃ってネーミングセンスの欠片もないな」

「師弟……って。ラストさん、後ろッ!!」


 そのラストの背後、いまにも上段から斬りかかろうとする武装神官が、クライの目に映る。


 しかし、クライの叫びにも、ラストは動じることなく、


「そう叫ばんでも。分かっておるわ!」

「なっ……!」


 確実に死角からの一撃であった頭部への一撃を、拾い上げた剣の腹でいなすばかりか。


 敵の一撃の勢いを借りて、くるりっと無駄のない足捌きで身を翻らせ、振り返りざまに剣を横一線に薙ぐ。


 すると、スパンッと。

 白い兜と鎧の間を縫った剣筋から、頭部は綺麗に泣き別れ、ゴロゴロッと頭が転がったところで、一足遅れて、切断面から血が噴き出す。


 踊るような、そんな鮮やかな一連の動きに、クライは思わず見惚れてしまう。


「しまった。どうせなら、栄養補給すればよかったな」


 血の噴水を顔に浴びながら、ラストは舌なめずりをする。 

 それがどうにも妖しく邪悪で、武装神官たちの足が一歩、後ずさるのがわかった。


「ラストさんも剣、扱えたんですね……」

「剣技というよりは剣舞だがな。ちょっとした嗜みにすぎん」


 「それより」と、白々しく語ったあと、ラストは残り四人の武装神官を見定めて。


「だいぶと警戒されてしまったな。どうする?」

「そうですね……どれも不意を突くことで実力勝負となる前に倒せましたが。こうなると、真正面からやり合うしか……」

「不意を突ければ、何人やれる?」

「……どれだけの不意かによりますが。一瞬でも頂ければ、二人は」

「では、右側の二人は任せた。余は左側の二人をクロ坊と片付けよう」

『ぶひ、ぶひぃー!』


 そう言葉を交わして、クライは再び最速の一撃を放つため、身を沈め。

 ラストはクロちゃんの背中に跨り、それぞれの標的を見詰める。


 じりっ、じりっ。

 両者の間で張り詰める警戒と緊張感に肌を焼かれながら、クライはその時を待った。


「……よし。いまだ、行くぞ。クライ!」

「はいっ!」


 合図と同時。

 クライとクロちゃんは標的へ向けて、迷いなく駆け出す。


 右側の二人、位置を把握。

 距離はおよそ十メートル。ヒト三人分ほどの間を保って、立つ神官二人の間目掛けて、一心不乱に迫る。


 真っすぐに向かってくるクライたちに対して、四人の神官たちもまた、グッと得物を握りしめて待ち構える。


 油断のない、注意を一身に向けられる中──それは展開された。


「≪遮り断て、光の背後にあるものよ≫、黒暗幕ブラック・カーテンッ!」


 ブワァッ、と。

 クライの背後から、暗黒の霧が空間にもくもくと立ち込める。


 その暗幕に、辺りの者は一様に吞み込まれ、一切の光の届かぬ視界が黒く染まる。


 そうなると当然、クライを見失った敵は少ない情報で気配を知覚しようと、一瞬、動きを止める。


 そこから生まれるのは、


「たあぁっ!」


 あらかじめ目測していた武装神官二人の間に飛び込み、クライは暗闇の霧に覆われた空間を斬り裂く。


 確かな手応え。悲痛に漏れる小さな吐息。

 ドサドサッ、と、二つの身体が地面に伏す音が、後から聞こえた。


「……う、うわあああぁぁぁあっ!」


 左方からも絶叫と共に、生々しい衝突音が響いて。

 暗闇の霧から吹き飛ぶ、二人の神官が地面を転がるのが見えた。


「くはははっ! これは愉快だなっ! 八つ裂きほどではないが、生身の肉を轢き倒すのはたまらん! クセになりそうだ!」

「ラストさん……魔王みたいこと言って、めちゃくちゃ怖いのですけど」


 ムフーっ、と。

 得意げなクロちゃんの背中で、同じく胸を張って高笑いするラストに、クライは表情を引き攣らせる。


 これでは背信者や悪魔と言われても、反論のしようがない気がする。


「……ともかく、あとは」

「ああ、そうだな」

『ぷひ、ぷひっ!』


 お互いの標的が倒れていることを確認してから、クライとラスト、そしてクロちゃんは最後に残った、神父へ視線を向けた。


「ここまでですね、ダンデ先生。わたしたちの勝ちです」


 そう、クライに勝利を宣言された神父の目は、いまだ狂気を孕んだままであった。

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