第14話 狂気の本領

「確かに。少々見通しが甘かったようですね」


 クライより向けられる確信めいた瞳に、ダンデは己を省みる。


「この一月でのクライさんの成長に加え、予想外に剣と魔法が扱えたラストさん。挙げ句にはケダモノの乱入とは。彼らに不甲斐ない部分があったとはいえ、ここまで想定を覆らせられては、多少の困惑があっても致し方ないでしょう」


 「ですが」、と、ダンデは丸眼鏡の奥に潜めた目を鋭くする。


「これで勝ったというには、気が早すぎるのではありませんか?」

「ハッ、とんだ負け惜しみだな。たったひとりで何ができる!?」


 ダンデの言葉に、ラストがケラケラと一笑に付す。


 いちいち悪意の目立つ振る舞いだが、心持ちとしてはクライも同じであった。


「ダンデ先生。形勢は覆りました。もう終わりにしましょう」

「形勢は覆った? いえ、まだですよ。この戦いは貴女達が倒れるまで、終わることはない」


 一刻でも早くルドルフのもとへ戻って、状況を知りたいクライにとって、これ以上の戦いは避けたいところであったが。


 対する神父は、どうやら矛を収める様子はなかった。


「……わかりました。では、あなたを倒して。この戦いを終わらせます」


 三度みたび、クライは剣を構える。

 執行神官という肩書である以上、相当な実力者であるのは間違いない。


 だが、こちらは三対一で優位な状況。瘦せ型の体格や腰に差した細剣からしても、クライの苦手とするパワー型でないことは明らか。


 であれば、何も恐れることはない。


 単純な剣技において、あからさまな後れを取るほど、生半可な研鑽は積んできていないのだから。


「行きますっ!」


 クライは、地を蹴る。


 何の捻りもない真正面からの肉薄は、闘気を纏って一直線に、駿足を以って最短距離で迫る。


 その間にも、眼前の神父に特別な動きはない。


 ただ、おもむろに細剣を抜き放って、まだ届くはずのないクライへ向けて軽く、下から上へと、薙ぐだけで────


「──避けろっ!」


 鬼気迫るラストの呼びかけと嫌な予感に襲われて、クライは咄嗟に横へ跳んだ。


 すると、ズバンッ。


 視えない斬撃が、クライのいた残像を引き裂いた。


 石畳の地面に刻まれた縦一線の斬撃。その異常な現象を前に、クライはじっとりとした汗を背中にかく。


「なに、が……?」

「アレだ」


 ラストに促されて、クライは自ずと聖職者の手にある得物へ、目が行く。


 それは先程、抜き放ったばかりの細剣。

 その抜き身は白く、異様な光を発して、燦然と輝いていた。


「間違いない。アレは、星剣ほしつるぎ。聖剣の原型にあたる、星遺物アーティファクトだ」


 ラストの指摘に、ダンデはにやりと神父らしからぬ笑みを浮かべた。


「その通りです。一目でそれを看破するとは、素晴らしいですね」

「ハッ、道理で自信満々であったわけだ。そんなモノを持っておれば、さぞ気も大きくなるだろうな」

「ラストさん、聖剣の原型って……?」


 ひとり状況を把握できていないクライの問いに、ラストは苦い表情を浮かべたまま答える。


「聖剣は、神の魂が宿った剣のことだが。その器と成れる剣は極わずかに限られておる」

「その限られた器の剣が、星剣?」


 おぼろげな理解を示すクライに、「然様さよう」とラストは短く肯定した。


「中身はないため、加護などはないが。その分、聖剣のように所有者を選ばず。同様に使用者の身体能力や魔力諸々を大幅に底上げしよる、紛れもない宝剣だ」

「いやはや、本当に博識ですね、ラストさんは。驚きました」


 ダンデは飾ることなく称賛の声を上げると、白光を放つ剣を見せつけるように掲げて。


「まぁ所詮は、聖剣の劣化品ですがね。それでも貴女方を相手取るには十分かと」

「くっ、退くぞ! 余たちだけではどうにもならん! なんとかルドルフあやつのいるところまで──!」

「行かせるわけ、ないじゃないですか?」


 再び、今度は素早く三回ほど剣を振るうダンデ。

 風圧から三つの斬撃が飛んできていることを察したクライが、大きく回避する。


「範囲が分からないと、動きに無駄ができますよね」

「ハッ──!」


 クライの回避先を予測したダンデが、一足先に詰め寄っていた。


(早すぎる……っ! 避けられないっ……!)


「≪縛り捉えよ、闇の底に潜みし影の手≫!暗影束縛シャドウ・バインドっ!」


 斬られることを予感したクライであったが、ダンデの足元から発生した影の手が彼の四肢を掴んで拘束し、一瞬、その動きを止める。


 しかし、


「こんなもの、何の足枷にもなりませんよ!」


 強引に影の手を引き千切ったダンデが、その手のなかで剣を躍らせる。


「くぅ……うあッ!」


 狂気乱舞。

 勢いに任せた連撃はしかし、どれも目視するのがやっとなほどに冴えた剣筋であり、クライは決死に防ぐも、尋常でない剣圧を前に踏ん張りが利かず、後方へ弾き飛ばされる。


「よく防ぎましたが、まだですよッ!」

「させるかっ!」

『ぶひぃぃー!』


 導線上、追撃をしかけようとしたダンデに、クロちゃんの突進が直撃する。


 ドシィ、と、分厚い肉のぶつかる音が重く響き渡る。

 その進撃は生身の人間を容易く肉塊へと変える、破壊の猪突猛進。


 そう、であれば。


「その程度、ですか?」

『ぶ、ぶひ……っ⁉』


 ズザァッ、と、僅かに後ずさったのみで。

 ダンデは、クロちゃんの突進を受け止めていた。


 その祭服から僅かに覗く細腕ひとつで、いずれ魔獣の王へと至る猪子の額に手を当て、易々と食い止めていた。


「こんの、バケモノがぁっ!」


 半ばやけくそに、クロちゃんの背中に跨るラストが頭上から剣を振り下ろすが、それももう一方に握られた宝剣によって難なくと受け止められる。


「私の邪魔をするな、汚らわしい魔獣が」


 そして……くしゃっ、と。

 クロちゃんの黒毛を鷲掴むと、ダンデはそのままゴミでも投げ捨てるような仕草で、背中に乗ったラストごと乱雑に放り投げる。


『ぶ、ひっ……⁉』

「かはっ……!」


 数メートルの距離を舞って、受け身も取れずに石畳へ不時着を果たす、ラストとクロちゃん。


 そんな身動きを取れないでいる一人と一匹へ向けて、ダンデは無慈悲に剣を振るい、空間を伝播する斬撃を、また飛ばす。


「クロちゃん、ラストさんッ!」


 その飛来する斬撃を防ごうと、今度はクライが割って入り、闘気を纏って聖剣を身体の前に置き、甲羅に籠った亀のような全身全霊の防御姿勢をとる。


 ザシュッ、ザシュッ、と。

 不可視の斬撃が容赦なくクライの皮膚を裂き、魔力密度の薄かった数ヵ所から血が噴き出す。

 

「う、くぅ、あぁ……ッ!」

「ほらほら、まだまだ行きますよっ!」


 防御に入ったと見るや、加速する斬撃の嵐。


 緻密な魔力コントロールを要する闘気を習得する中で、クライは魔力の流れを感じ取ることができるようになっていた。

 そのおかげか、この不可視の斬撃も僅かながら知覚でき、致命傷を避けながらの防御を成立させていた。


 だが、しかし。

 

 徐々に徐々に、身に纏う闘気の鎧は削られ、露出した部分から深く肉を抉られる激痛が走り、小さく悲鳴が漏れる。


(このままじゃ、ダメだ。いつか持ち堪えられなくなる。いつか、いつか……っ!)


 脳裏にハッキリと『死』の一文字を浮かび上がらせて、クライが背筋を凍らせた──……その時。


「≪遮り断て、光の背後にあるものよ≫、黒暗幕ブラック・カーテン……ッ!」


 こちらもまた悲痛に堪えた呪文がクライの背後から唱えられて、再び黒い霧の暗幕が、空間に広がる。


「ただの目くらまし、なんの時間稼ぎにもなりませんよ!」


 それに対して、ダンデは変わらずの攻勢で何の躊躇もなく、斬撃を放ち続ける。

 しかし、切り裂かれた黒霧の先にいたのは、クライではない。


『ぶぎぃぃーっ!』


 暗幕が展開されたと同時、その身を盾にして立ったクロちゃんの悲鳴が響いた。

 

 なるべく多くの面積でクライとラストを守ろうとしているのだろう。

 身体の側面で受ける姿は実に痛々しく、クライの見えない向こう側の傷がどうなっているのか、想像に難くなかった。


「これはいいですねぇ! 魔獣が相手となれば、こちらも気兼ねなく剣を振るえますよっ!」

『ぶぎぃいぃーッ!』

「ダメ、やめてッ‼」

「待て、クライ……ッ!」


 泣き叫ぶクライに、ラストが痛みを堪えながら手を伸ばして、無理やり意識を向けさせる。


「クロ坊には簡易的にだが、防御魔法を施している。あやつの剛毛も相まって、おぬしよりは多少は保つ」

「でも、それじゃ……っ!」

「ああ、ジリ貧だ。だから、クロ坊が耐えているうちに突破口を開く」

「突破、口……?」


 そんなものがあるのか、と、クライは傾聴する。


「まず、あの生臭坊主の脅威は大きく分けて視えない斬撃と、超強化された身体能力だ」


 確かに。

 あの斬撃のせいで迂闊に近づけない上、接近戦に持ち込んだところで、クロちゃんの突進すらものともしない膂力と素早さを持ち合わせている。


 まともに戦っては、勝機はない。


「だが、よく考えれば。これらはどれもあの聖剣の原型が発端としておる仮初の力だ。つまり、それさえどうにかすれば、勝機はある」

「ど、どうにかって、それが一番難しいんじゃ……」

「よいだろう、言い方を変えてやる……そうしなければ、余たちはここで死ぬ」


 ハッキリと明言されて、クライはごくりっと息を呑む。

 まるで、見え透いたクライの怖じ気を責めるかのような、そんな冷たい声音に背筋が伸びた。


「安心しろ、とは言えんが。策はある。そしてこれは、おぬしにしか出来んことだ」

「わたしに、しか……?」


 そう、立て続けに言われて、クライの頭は落ち着きを取り戻す。


(そうだ。こんなところで死んじゃったら、お師匠様に合わせる顔がない……! それに、あの人にも……っ!)


 不意に過るのは、永久の憧れである大好きなお師匠様と。

 奇しくも、そんなお師匠様に似た雰囲気を持つ、大嫌いな白髪の青年。


 隣り合わせに浮かぶ、二極化された人物に、クライはその弱った心を奮わせる。


「──分かりました。ラストさんを信じます」


 そう、ラストを見詰めて。

 クライは力強く、頷いたのであった。

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