第12話 脅威と狂気

 信じられない光景であった。


 異様なほどに伸びた、灼熱色の髪。

 だらりと脱力した両腕をぶらぶら振って、その遠心力で歩くようにふらふらと心許なく足を運ぶ、痩せ切った少年。


 魔王レグルス。

 かつて聖王国を壊滅の危機に陥れた、最凶の魔王。


 そして、剣聖によって打ち滅ぼされたはずの過去の亡霊である。


「おい、あいつが生きているだなんて聞いてないぞ」

「あり得ない、確かにあの時あいつは倒したはず……!」

「あのさー」

「「っ⁉」」


 前方の赤い少年より、間延びした声を投げかけられて。

 自然、ルドルフとクライは身構える。


「ぼく、いまさがしものしてるんだけど。きみたち、わかるー?」

「ハッ、知らんな。喋り方もそのもので嫌になる。出来れば、他人の空似であることを願うばかりだが」

「すごく、きれいなものなんだ」


 取り合うつもりはないとするルドルフにも構わず、赤い亡霊は一方的に続ける。


「きんぴかで、あおいつやつやで。よごれがなくて、よどみがなくて、みずみずしくて。それで──」


 ぎょろりっ。

 焦点が合わず虚ろに剝いていた翠の双眸が、隣にいたクライを捉える。


 すると、ニヤァッと頬の奥深くにまで口元を引き裂き、


「みーつけたぁ」

「ぇっ──?」


 瞬く間もなかった。


 目の前から消えたと錯覚するほどの驚異的な跳躍力で、赤い亡霊がクライ目掛けて一足飛びに襲い掛かる。


 クライは反応できない。凶暴な手が鼻先にまで迫る。


 そこで──……、メリィッ。

 肉の潰れる生々しい音が鳴った。ルドルフである。


 クライへ殺意が向いたのを察して瞬時に割って入り、高速で飛び込んできたその顔面を木刀で迎え撃ったのだ。


 少年然とした細身が後方へ盛大に跳ねっ返り、森の奥へと消えていく。


 それなりの力で打ち込んだが、手ごたえがない。

 おそらく、ピンピンしていることであろう。


「おい、しっかりしろ!」

「ぁっ……」


 呆然としていたクライの肩を揺する。

 息を忘れていた様子で、ハッハッハ、と不規則な呼吸を再開する。


 見ればわかる。彼女はいま自覚した。

 ルドルフがいなければ、命を落としていた、という恐怖を。


「あいつはオレが止める。お前は村の様子を見にいけ」

「な、なに言ってるの⁉ あいつがもし……ううん、アレは紛れもなく、魔王レグルスだった! さすがのあなたでもひとりでは──!」

「お前がいれば、どうにかなるのか?」

「それ、は……」


 暗に足手まといであることを指摘されて、クライは言い淀む。


「それにお前は門番だろう。門番の役目はなんだ? それが理解できていれば、優先すべきことが何か分かるだろう」

「……そうね、わかった」

「余も行こう。ここにいても同じく足手まといにしかならぬしな」


 そう言って、クライとラストは踵を返し、


「まだ修行の途中なんだから。こんなところで死なないでよ、せんせい」


 それだけを言い残し、クライたちはその場を去る。

 遠ざかる気配を背中で感じながら「やれやれ」とルドルフは辟易とした息を吐く。


 これは、意地でもやられるわけにはいかないな。


「ようやくみつけたのに。ジャマしないでよぉ」


 ぬぅっ、と。

 森の奥から何事もなかったかのように舞い戻る、灼熱色の魔王。


 のんびりとした言い草であるものの、その言葉には確かな苛立ちが含まれていた。


「大事な子なんじゃ。そう気安く触らせるわけにいかんさ。どうしてもというなら、儂を倒してからでないとな」

「なにそれー。きみじゃないんだけどなあ……まあ、いっか」


 のそっ、のそっ。

 緩慢に足を運びながら、無気力な少年は再び、口を裂く。


「いまは、きみのほうが、おいしそうだ」


◇◇◇


「なに、これ……」


 村広場まで駆けつけたところで、クライは絶句した。


 轟々と燃え立つ炎、崩れ落ちる家屋の数々。

 いつもなら昼間からお酒を浴びるだらしのない大人たちで賑わう酒場も、主婦たちの陰口会議が、繰り広げられる井戸端にも。


 人っ子一人として、この村から気配がなくなっていた。


「いったい、なにが……!」

「お待ちしていました。クライさん」


 ひどく馴染みのある声。

 クライとラストは、ほとんど同時にそちらへ振り返る。


「ダンデ、先生……?」

「はい。またお顔を見られて嬉しいですよ、クライさん」


 優しく、クライに微笑みかける神父然とした祭服に身を包む、ダンデ。


 いつもなら安心するはずの、その声が。

 この状況下においては、ひどく不適切で、不安を煽り立てる。


「これは、どういうこと……? なにが、あったんですか……?」

「わかりませんか? この村は崩壊しました。剣聖クライネス・クライノートの失態によって」

「えっ……?」


 なにがなんだか、何を言っているのか、わからない。


 動揺を露わにするクライを気にする素振りもなく、ダンデは続ける。


「改めまして。私の名は、ダンデ・ラウレンティウス。聖堂教会の執行神官がひとり【制裁の神官フェアディクト】です」

「執行、神官……えっ?」


 明かされる真実に、いよいよクライの理解が追い付かない


 聖堂教会。それはアルタレス聖王国の中で、王侯貴族・騎士団と並んで実権を持つ、国教の宗教団体だ。


 その中で、『執行神官』を名乗る者は聖堂教会の武力を象徴としている。


 いわば、戦闘に特化した神官を指す。


 そんな彼らの行動理念は言わずもがな。


 この聖王国の建国から繁栄を築き上げてきた聖剣に宿りし運命の女神〈ノルン〉の言葉が記された経典であり、それに見初められた剣聖を代弁者としている。


「女神ノルン様の加護を享受する貴女は神の化身。剣聖である貴女の言葉、行動、意志、それらすべては聖堂教会の道しるべとなっておりました」


 「しかし」と、遠い目をした聖職者は悲しそうに告げる。


「四年前、この聖王国を救ったと同時に貴女は加護を失ってしまった。剣聖では、なくなってしまった」

「な、なにを言ってるの? そんなことより、村のみんなは……!」

「そんな、こと……だと?」


 低く、威圧するような、憤りの声が聞こえた。


 初めて聞くそれに、クライは思わず、びくりっと肩を震わせる。


「そんなことではない。ノルン様は絶対だ。王国の象徴だ。それを、そんなことだと? 仮にも、その恩寵を授かっていた、剣聖であった、貴女が??」

「ち、違います! わたしは女神様を否定したわけではなくて……っ!」

「黙れ。この意地汚い背信者が」


 それはもはや、狂気であった。


 一切、取り合うことなく、繕うこともやめた、剥き出しの狂気で、聖職者は激怒する。


「……ご安心を。村人の皆様に罪はありませんからね。安全な場所で保護させてもらっておりますよ」

「えっ、それって一体……!」

「いい加減気付け、クライ。この惨状はこやつの引き起こした事態だ」

「えっ──?」


 見ていられないとばかりに、ラストが言って。


 クライは、目を見開く。


「そ、そんなわけ……だって、村長ですよ? 村の長で、村の代表者で、村唯一の教会の神父様で……それが、どうして?」

「それはさっきからあやつ本人が証言しておるだろう。おぬしが剣聖ではなくなったからだ」

「ええ。正しくは【剣聖】ではなくなったと判断したからですが」


 聖者の笑顔で、どろどろとした雰囲気を放つ、ダンデ。


 その異様な波動にラストは目を細める。


「察するに、剣聖ではなくなったにも関わらず、適合者として聖剣を持ち続けている現状に痺れ切らしたのであろう。故に、手っ取り早く所有権を新たな者に履行させるため。現在の所有者であるおぬしを、ここで始末するつもりだ」

「始、末……?」


 信じられないというよりは、信じたくないというべきか。


 あり得ない、あってほしくない事実を前に、クライはただ疑問符を浮かべることしか出来ない。


「ご名答です。いやはや、本来、私が出る幕はなかったのですがね」

「あの山賊たちもおぬしの差し金か」


 「はい」と、神父は難なくと残酷な答えを吐き出す。


「ですが、やはり。ルディさんの存在が計算外でした。まさかこのタイミングで、あのような方がこの村を訪れることになろうとは」


 「まぁもとより、賊風情にそこまでの期待は寄せておりませんでしたが」と。


 くすくすと息を震わせるダンデが、ほんの少しだけ、辺りへ気を配る素振りを見せた。


「ところで……そのルディさんは、何処に?」

「そ、そう! ダンデ先生、聞いて! 待機所の方でせんせーが……ルディさんが、魔王レグルスと戦っているの!」

「ルディさんと、魔王レグルスが……?」


 これは予想外であったか。

 さしもの狂信者も初めてクライの言い分に耳を傾ける。


 それに気を良くしたクライが、早口に言い募る。


「そうなの! なんで生きているかはわからないけれど……でも、このままじゃ彼が危ないの! 聖剣を返してほしいなら返す! とにかく、いまは早く戻って、彼に加勢を……!」

「ふふふっ。いえ、その必要はありません」


 クライの願いに反して、ダンデの狂気は加速した。


 ぞろぞろ、と。

 どこからか現れた、異様な神官たちが、二人を囲う。


「この場にいないので少し警戒していたのですが……なるほど、それは好都合。あのルディさんがここに現れると少々面倒でしたのでね。いまのはとても有益な情報でしたよ、クライさん。おかげで心置きなく、貴女を天に召すことができる」

「そん、な……ダンデ先生っ!」

「いい加減にしろ。あやつらは敵だ。紛れもなく、おぬしの命を狙いに来ておる。舐めたことばかり言っておると、本当に死ぬぞ」

「そんなこと、言ったって……!」


 咎めるラストの言葉に、クライは弱りきった返事をかえす。


 また裏切られた、また見放された、また失った。

 それもこれも、自分が剣聖でないから。剣聖としての力を失ったから。


「では、皆さん。神の御心に従い、彼女を天のもとへと還して差し上げましょう」


 失意に沈む中、無情にもダンデはその手を振りかざす。


 それを合図に、武装した神官たちが二人の間を詰める。

 多勢に無勢にもかかわらず、その足運びは慎重で、一切の油断がない。


「さすがに、まずいな……」


 ラストが素直に状況を認めながら、クライと背中合わせに立って、じりじりと追い詰められる。


 そうして、十分な距離まで詰めてきたであろう神官たちが、一斉に二人へ襲い掛かろうと地を蹴った──……その瞬間であった。


 後方。出入口である門のある方角から。


 黒く丸い物体が、異様な速度と風圧を伴って、その場に乱入した。


 局所的な嵐を巻き起こされた突風に、迫りきていた神官たちは一様に吹き飛ばされ、クライたちも決死に地面に根を張って、踏み止まる。


「一体、なにが……?」


 突然の乱入者。敵か、味方か、それとも──


 そんな一瞬の判断が迫られる思惑の中、一陣の強風は吹き止み、クライは眼前に置いていた腕を下ろして、乱入者をその目で捉える。


 大人の男性ほどはあろう体高。


 真っ黒な体色はごわごわとした体毛で覆われ、特徴的な長い口鼻のそばから小さな牙を生やした魔の獣


『ぶうぅぅひいぃぃーっっ!』


 猛り立つように、荒く鼻息を吐き出した黒いイノシシの魔獣が、クライたちの前に短い四脚を揃えて、力強く立っていた。


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