第11話 脅威、迫る

 

「ハァッ……!」


 裂帛の気合が、野原に響く。

 その音源を辿れば、木刀を手に打ち合う、ルドルフとクライの姿があった。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。

 鋭い踏み込みと剣戟を受け流しながら、ルドルフは言う。


「まだ魔力が流れている。身体の動きに釣られるな、しっかり留めろ」

「わかってる!」

「わかってる……?」

「~~~ッッ! 分かりましたっっ‼」


 苛立ちを露わにクライは打ち込み続ける。


 修行の申し出があってから、一週間。

 日中は彼女の修行に付き合い、隙間を見ては村の雑用を手伝う日々を過ごしていた。


 初めこそ不安であったが、いまでは静止状態では安定し、実戦形式での動きを織り交ぜた段階にまで進んでいた。


 この調子であれば、次の型に取り掛かるまではそうかからないだろう。


「よし、休憩だ」

「あーっ! もうむりー! 疲れたぁーっ!」


 ルドルフから制止の声があがった直後、クライはばたんきゅーとその場で仰向けに倒れ込んだ。


「休憩中は瞑想の時間じゃなかったか?」

「少しだけ、ほんのちょっとだけ、このままでいさせて……」

「……仕方がないな」


 攻撃一辺倒でそこまで複雑な動作したわけではないが、やはりまだまだ〈闘気〉による疲労感に慣れないようだ。


(本来、流れているものを意図的に塞き止めた上で動くわけだからな……)


 激流の渦に揉まれながら、自由に遊泳するようなものだ。

 身体的にも精神的にも、その負荷はとてつもなく大きい。


 ハァハァと息を荒くして倒れるクライの汗の量を見て、ルドルフは腰に提げていた水筒を手渡す。


「喉が渇く前に飲め。脱水症状になれば元も子もない」

「うっ……こんなことしたって、わたしの好感度は上がらないから」

「そんなことは一ミリも気にしてないから、お前も気にせず飲め」


 ぬぬぬ、と毒でも塗られている飲み口に口を当てる。


 一週間が経ってもなお、『ルディ』としてのルドルフは嫌われているようで。

 どうにも心を開いてくれない現状が続いていた。


 なんというか、ここまでくると、さすがに少し傷つく。


「今日も精が出るな、二人とも」

「あっ、ラストさん」


 そんな二人のもとに、相変わらず目立つ黒ドレスに身を装ったラストが現れる。


「ほれ、餞別だ。村の者から預かってきた」


 そう口にして、引っ提げてきたものを見ると、綺麗に詰められたサンドイッチが見えた。


「わぁ、美味しそうですねっ!」

「そういえば、もう昼時か。休憩も兼ねてランチとするか」

「うむ、余も共にするぞ」

「そうですね! 一緒に食べましょう、ラストさん!」


 ルドルフとは打って変わって、ものすごく良い笑顔でクライは、ラストへ語り掛ける。


 おかしい。

 元師匠より、元魔王に向ける笑顔のほうが綺麗だなんて、納得がいかない。


「というか。そもそも貴様、吸血鬼だろう。食べられるのか?」

「栄養価としては無価値だが、味覚はおぬしらとそう変わらん。嗜みとしては十分だろう」

「ラストさん、どれにします? 個人的にはこれが美味しいと思いますよ」

「ふむ。ではせっかくだ、クライの勧めるものを頂くとしよう」

「ふふっ。はい、どうぞ」


 相も変わらず不遜に振舞うラストを見て、くすくすと温かな眼差しで微笑むクライ。


 元勇者と元魔王が仲睦まじくする光景は異様ではあれ、今後このような未来があればいいなとルドルフは率直に思った。


 そうして、二人が選び終わったのを確認してから。

 ルドルフは最後に残ったサンドイッチを手に取り、口にする。 


「おおっ、美味い!」


 ふんわり柔らかなパン生地から、シャキシャキとしたレタスの食感とみずみずしいトマトの味わい、そこからカリカリに焼いたベーコンのジューシーな旨みが、一挙にこぼれ落ちてくる。


 さらに内側には、薄くマスタードを塗ってあるのだろう。ツンとした香りが後味をすっきりとしたものに変えていて。とても食べやすい。


「これなら、運動の前でも後でも軽く食べられるな」

「おぬしとクライが日中、剣の修行に励んでおることは村の者たちも知るところだからな。それも踏まえてのことかも知れぬな」

「そっか……みんな、知ってるんですね」


 どこか気恥ずかしそうに、クライが呟く。

 なんだかんだと互いに古くから知っている仲だ。


 村の者からすれば、みんなの可愛い姪っ子同然で。

 クライからしても帰ってきてからの数年間、落ちぶれた自分を何言うでなく迎え入れ、ずっと気に掛けてくれている、優しいおじさんおばさんたちなのだ。


「また、お礼に行かないとな」

「言われなくても、わかってます」


 ふん、と気丈に鼻を鳴らしたかと思いきや。

 パクパクと手にしていたサンドイッチを早々に平らげる。


「はい、腹拵えも済みました! 修行の続きをしますよ、せんせー!」

「いや、まだオレは食べてるんだが……」

「遅い! 先に素振りして待ってますから。早くしてくださいよねっ!」


 言って、一足早く食事を終えたクライは立ち上がり、少し離れた場所で素振りを始める。


「くくっ、剣聖は頑張り屋だな」

「休めるときは、ちゃんと休んでほしいんじゃがな」


 慌ただしい若者を眺めて、老齢の二人がそんな風にごちる。


「それで、肝心の成果のほうはどうなのだ?」

「悪くはない。聖剣の力で使用していたとはいえ、その感覚の名残りがあるのかもな。【纏】だけで言えば、ほとんど習得間近じゃ」


 以前には程遠いとはいえ、その吸収速度は十分驚異的なものであった。


「そもそもの話だが、なにがどうして聖剣の力を失うようなことになったのだ?」

「本人曰くは、魔王レグルスと対峙した際に聖剣の力を全て解放したことが原因ではないかと言っていたな」

「聖剣の全解放、とな?」


 マスタードのついた指を舐めながら、ラストは興味深そうに反芻した。


「かなり手強かったようでな。普段の力では倒しきれないと思い、『ここで全てを出し切らなければ』と考えたらしい」

「なるほど。誓約による限定的な力の解放だな」

「誓約?」


 今度はルドルフが訊ねる番であった。


「魔法に組み込む術式の一種だ。例えば、『片手を失う』ことを条件にすることで、発動した魔法の威力や効力を上昇させる」

「なるほど。代償というリスクを背負うことで、より大きな力を得ると」

「それほど極端な使い方は稀だがな。一般的には、必要以上の魔力リソースを消費することでより高火力の魔法を生み出すといった風に用いられることが多い」


 魔力量の多い者とそうでない者。

 同じ魔法を使用しても、威力が段違いであることがある。


 おそらく、その『誓約』とやらが関係しているのだろう。もっぱら剣士道を歩んできた門外漢のルドルフではわかるはずもなかった。


「知ってか知らずか。あの娘はそれを聖剣に強いり、魔王レグルスを打倒したとともに、誓約通りに力を喪失した」

「……その力が、戻ることはあるのか?」


 おそるおそるルドルフが問うと、ラストは表情を変えることなく答えた。


「ないな。世界法則に介入する魔法行使において誓約は絶対だ。先ほど例に挙げた『片腕を失う』ことを誓約にした場合、どんな力を使ったとしてもその腕が戻ることはない」


 無情な事実に「そうか」とルドルフは言うしかなかった。


「まぁそれはあくまで魔法分野においてだがな。星遺物アーティファクトまでがそれに該当するかは正直わからん」

「だが、四年経っても戻る気配がない現状。その不明瞭な可能性に期待を寄せるのは建設的とは言えぬだろうな」

「そう言うことだ。余たちの魔界征服の計画においても、それは計算から除外するべきであろう」

「そういえば、しばらく考えると言っていたが。今後の方針は決まったのか?」


 この村に来た最初の夜ことを思い出しながら、ルドルフは訊ねた。


「ああ、そのことについてだが。まずは正式に冒険者登録をしようと考えている」

「ほう。理由は?」

「ひとつは言うまでもなく金銭面だ。この村でこそ教会の雑用を手伝うことで衣食住を提供してもらっておるが。今後はそうもいかん」


 確かに、活動資金としても、必要最低限の生活をするにしても。大なり小なり金は必要になる。

 身分を問われず、旅をしながら体よく稼ぐとなれば、やはり自由を生業とする『冒険者』となるのが最も正しく、適した選択だろう。


「ふたつめに、この人界において手っ取り早く名を上げるためだ。大国の協力を得るには、それなりの信頼と名声が必要になる」



 「剣聖が健在であれば、そこからとんとん拍子に進めていくつもりだったのだがな」と、こぼしつつ、ラストは開き直る。


「冒険者としておぬしが名を上げれば、必然的に各国の権力者たちと接触できる機会は増えていく。やや時間はかかるが、こうするしかあるまい」

「そうじゃな……となれば、ここから冒険者協会に一番近い、王都へ向かうべきか」


「ちょっとぉー! いつまで休んでるつもりですかぁー! ずっと待ってるんですけどーっ!」


 今後の動向を話し合っているところで、ついにシビレを切らしたクライが叫ぶ。


 そこでルドルフは、ふと思う。


「ラスト、あの子は──」

「おぬしも分かっておるだろう。あの娘とはここでお別れだ」


 「酷な話だがな」と、ラストは付け足す。

 

 そうだ。もはや剣聖でなくなった以上、いまの彼女には利用価値もなければ、今後の戦いにおいては戦力となるのかも怪しい。


「そも、あの娘にはこの村の門番という大役がある。どちらにせよ、一緒に行くことはできぬさ」

「そう、じゃろうが……」


 本当にそれでよいのか? と、ルドルフは思う。


 せっかく黄泉返り、再会を果たしたばかりか。

 形はどうあれ、再び彼女の師匠として、そばに寄りそえる関係となった。


 だというのに、ここで彼女と別れてしまってもよいのだろうか。


 それは、また彼女を独りにするということではないのだろうか。


「ねぇ、ちょっと聞こえてますかー⁉ はやくしてってばー! 日が暮れちゃうでしょうー!」


 ぷんぷんと、腹立てた弟子がわめき立てる。

 その姿を眺めるルドルフの脳裏には、生前の最期にみた、彼女の泣き顔が浮かぶ。


 ──やはり、このまま別れるわけにはいかない。


「ラスト、やはりあの子を──!」


 その時であった。

 雷が落ちたかのような轟音が、ルドルフ達のいる草原一体に鳴り響いた。


「な、なに⁉」


 聞こえた方角へ、全員が一斉に振り返る。


 顔が向く先は、村広場のある方向。

 もくもくと、不穏な黒い煙が空へ向けて立ち上っているのが見えた。


「そんなっ……! 一体、なにが!」

「どうやら、こっちもそれどころではないようだぞ……!」

「へっ?」


 それとは、別に。

 こちらへ忍び寄る脅威の気配を、ルドルフは感じ取った。


 それは視線の先、村の玄関と幻惑の森を結ぶ直線上。

 その奥からぬぅっと影を浮かび上がらせ、日のもとへ出てきたところで、その姿は露わとなる。


 それは、少年であった。


 地面を這うほどの長い赤髪。ぶらりと身体の前に両腕を垂らしながら。

 ふらふらとおぼつかない足取りでこちらへ歩み寄る、異様な少年。


 その姿に、その存在に。

 ルドルフ達は凝然と、驚愕を口にする他なかった。


「う、そ……?」

「そんな、バカな……」


 なにせ、それは。

 かつて多大なる犠牲と死闘の末、打ち滅ぼしたはずの亡霊に酷似していたから──


「どうして、貴様がここにいる──……魔王レグルスっ!」


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