第10話 〈闘気〉の修行

「まず修行に入る前に、〈闘気〉について改めて確認しようと思う」


 そう決然と切り出したルドルフの言葉に、対面に立つクライは静かに首肯する。


「<闘気>とは、完全にコントロール下に置いた魔力の状態のことを指すが。この状態には大きく分けて四つの類型がある。それがなにか覚えているか?」


 「もちろんです」と、クライは涼しい顔で答える。


「全身の魔力を均等に留める【てん】。全身の魔力比率を正確にコントロールする【そう】。魔力をある部位に集中して極端に固める【きょく】。魔力の流れを瞬間的に一部へ集約して放出させる【しゅん】、でしょう?」


 さらりと答えてみせたクライに、「そうだ」とルドルフはひとつ安心する。


「これらの状態はそれぞれ相関関係にあり、段階を踏むことによって正しく習得することができる。特に基本の型とする【纏】の精度が、すべての型の完成度に直結する」


 がりがりっ、と。

 木の枝で地面を抉りながら、ルドルフは<闘気>習得の縮図を描く。


「よってまずは、この型に取り組もうと思うが。出来るか?」

「……やってみる」


 そう言うと、クライは深呼吸を始め、高い集中状態に入る。


 ずずっと高密度に圧縮された魔力がクライの小さな身体全身から溢れて、薄い膜を張る。


 成功した──……かと思われた矢先、膜を張っていた魔力に揺らぎが生じ、その状態はすぐに解かれることになる。


「どうやらその状態を作れても、維持できるのは数秒のようだな」

「ハァ、ハァ……くそっ」


 数秒も経たないうちに、クライは息を吐いて、疲弊した様子をみせる。


「ひとまず、静止状態の持続時間を延ばす。それが出来れば、徐々に素振りなどの動作訓練に移行していく。これが出来ないと、いつまで経っても次のステップには進めない」

「言われなくてもっ! 何度だって!」


 そう威勢よく意気込んで、クライは訓練を繰り返す。


 何度も、何度も、何度も……しかし、当然というべきか。

 今日一日で、何かが進展するようなことはなく、無情にも時は過ぎ去った。


「ぜぇ、はぁ……!」


 ぽたぽた、と大量の汗をして、乾いた息を荒く吐き出す、クライ。


 青かった空は、赤く染まり始めている。


 今朝からぶっ通しでここまで続けてきたが。もう限界だろう。


「ここまでだな」

「なっ、まって! まだわたしは……あっ」


 不意に、ふらついたクライの身体をルドルフは受け止める。

 どうやら自分の足で立っているのもやっとの状態であるようだ。


「そんな状態では上手くいくモノもいかないだろう。それにもうじき日も沈む。どちらにせよ、ここで切り上げるつもりだったさ」

「そんな! わたしは、まだ……このままじゃ、いけないのに……っ!」


 ギュッと、ルドルフの裾を掴む彼女の手が力強く握られる。

 その手から、どれだけ彼女が悔しがっていることかが伝わってきた。


「とにかく、小屋まで運ぶぞ」

「えっ? ちょっ……⁉」 


 よっこいしょ、という掛け声とともに、ルドルフはクライの身を抱きかかえる。


 いわゆる、お姫様抱っこの状態だ。


「ちょっと⁉ なにしてんの、離してっ!」

「コラ、暴れるな。誰も取って食ったりせんから安心しろ」

「嘘だっ! わたしが動けないことを良いことに! 腹いせに色々イヤらしいことするつもりでしょう⁉」

「するかっ! お前をそんな目で見れるか、阿呆!」

「それはそれでなんかむかつくっ!」

「いや、十分お前は可愛いとおも……痛っ! だから! 暴れるなと言ってるだろう、このお転婆娘が!」


 ギャーギャー騒ぐクライを無視して、ルドルフはそのまま彼女を連れて、少し離れた待機所の小屋へ向かう。


 すると、なにをしても離されないと観念したのだろう。次第にクライの様子もおとなしいものとなる。まったく世話のかかる娘である。


(……それにしても、本当に大きくなったのう)


 両腕の中に収まる少女を見詰めて、ルドルフはつくづく実感する。


 面影はあるが、丸みが取れてより一層大人に近づいた顔の輪郭。

 背も伸びたのだろう。手の中に収まる感覚が、以前よりも幅広になったように思う。


 最期に見た、彼女から四年。

 その空白の時間をルドルフは肌で感じる。


「……なに? じっと見て」

「いや、大きいなと思ってな」

「それ、抱きかかえてる女性に向かって言うのはすごく失礼だと思うんですけど?」

「それはすまん。配慮が足りなかった」

「……なんか妙に生暖かい視線が、余計に気持ち悪い」


 とんと嫌われてしまったな、と、ルドルフは空笑う。


 そうして小屋に辿り着いたところでルドルフは扉を押して、中に入る。


 懐かしい匂いがした。


 ゴツゴツとしたスギの木目が見える壁。

 簡素で質素な作りをしたテーブルと椅子が寂しく備え付けられ、窓際に比較的大きなシングルベッドが置かれている。


 相変わらず、隙間の目立つ小屋である。 

 

「……ただいま、というべきか」

「それは、わたしのセリフでしょう?」

「それもそうか」


 怪訝そうにルドルフを見詰めるクライに、ルドルフはほくそ笑んで、彼女をベッドまで運ぶ。


 ギッ、と、古いシングルベッドの脚が小さく鳴いた。


「今日のところはこれで終いだ。無茶をさせすぎた、すまない」

「別に……それより、今日のところはってことは、また明日もきてくれるの?」

「ん? 当然だろう?」

「そ、そっか……当然、か……」


 安堵の息を漏らすクライに、ルドルフは首を傾げる。


「あっ、べつに。あなたに来てほしくて言ったわけじゃなくて、その……あなたに今いなくなられると、困るから」

「いなくなると、思ったのか?」

「…………ぅん」


 小さく頷いたクライは、その顔を手で覆い隠す。


「だって、わたしが何もできないことを知ったら。みんな、いなくなったもの……」

「クライ……」


 ぽつりと口をついてこぼれ出た弱音。


 それは、蛇口をひねったかのように、次々と溢れ出す。


「不思議に思わない? 剣聖であるわたしが、一ヶ月で習得したはずの〈闘気〉を、いま基礎の型すらまともに使えなくなっていることが」


 確かに、それは気になっていた。

 かつての彼女は、スポンジが水を吸うように、凄まじい吸収力をしていた。


 それがいまでは、基本の型すらままならず。

 たったの一日とはいえ、その中で何の進歩も見せなかった。


「それは、わたしの力が全部、聖剣によるものだったから」

「聖剣によるもの?」


 要領を得ず、ルドルフは眉をひそめる。


「聖剣はあらゆる加護を与えてくれる。それは単純な身体能力とか、センスとか。そういうのも全部ひっくるめてなの」


 そう言って、クライは自嘲気味に笑う。


「ずるいよね……自分の力じゃなく、聖剣に頼りきりで。いざそれを取り上げられたら、わたしは何でもない。ただの小娘だった」


 ぎゅうっ、と、不甲斐なさにクライは下唇を噛む。


 彼女は剣聖であった。

 あらゆる困難を、あらゆる期待をまたにかけ、応え続けた。


 しかし、それらは力あってこそのもので。

 それが失われれば、自然と彼女の力に群がっていた人々は離れていく。


「さっき、あなたのことを世界で二番目に嫌いって言ったでしょ? 一番はね、わたし自身なの」


 ぎゅっと、布団の裾を握り込むクライは打ち明ける。


「この世で一番、自分が大嫌い。何もできない、何も持っていない。そのくせ、それを認める勇気もなくて、以前の何でもできた嘘っぱちの自分を追いかけてる。いまでも、ずっと、惨めに足掻いてる自分が大嫌い」


 言って、堪えながらも漏れ出す嗚咽が、小屋の中に響く。


「お師匠様がいまのわたしを見たら、きっと失望する。前までのわたしとぜんぜん違うから。みんなと同じように、きっと離れてく……」


 そうか、と、ルドルフは気付く。


 村長のダンデから聞いた、献身的なまでに身を捧げる一方で、頑なに繋がりを持つことを避けたがる、村での振る舞い。


 栄光の面影を追いかけ、必死になってしがみつこうとする並々ならぬ力への渇望。


 それは、怯えていたのだ。


 いずれ繋がりが失われることを。一方的に絶たれることを。


 これまで何もせずとも手に入ったものが、突然に取り上げられたことで。


 彼女の自尊心は尽く、叩きのめされていたのだ。

 結果として、彼女はヒトとの繋がりにひどく臆病になっていた。


「……ごめんなさい。こんなことあなたに言ったって、何も変わらないのに」


 それは気を遣わせまいといった思いからではなく、本当にそう思っているのだろう。


 べつに慰めや答えが欲しかったわけではなく。

 ただ、無力な現実に打ちのめされた心が限界を迎えただけ。


 一時的にでも吐き出さずにはいられなかった、ただそれだけ。


 ──だからと言って、このまま放置できるわけがない。


「……これはいつか聞いた、姉弟子の話なんだが」


 突然、枕元で語り口調になったルドルフに「えっ、なに」と、瞬時にクライが反応する。


「姉弟子は十歳になるまで、厠でひとり、用を足せなかったらしい」

「んなっ!?」


 想定外のカミングアウトにクライが素っ頓狂な声を発する。


「その他にも、森から物音がするからと言って、深夜によくベッドに潜り込んできたり」

「あぅ……っ!」

「虫がとにかく嫌いで、夏に毛虫やゴキブリなんかが出た日には、混乱のあまり小屋ごと焼き払おうとしたり」

「ぐぅ……っ!」

「あとは──」

「もういい、もういいからっ! なに⁉ さっきから何が言いたいわけ⁉」


 がばっと身を起こしては、うーっと顔を真っ赤にして唸るクライに、ルドルフはハハッ、と可笑しそうに笑った。


「お前の恥ずかしい姿なんて、いくつも知ってるんだ。あのジイさんが今更そんなことでガッカリすると思うか?」


 失望しなかったかと言われれば、嘘になる。

 あの輝かしい剣聖であった彼女がただの荒くれ者に敗北し、教えたはずのこともすべて忘れられていて。


 だが、それがたったひとりの娘を、唯一の弟子を見捨てる理由になるか?


 答えは否である。


「忘れたなら、もう一度教わればいい。お前自身が自分を信じられないなら無条件に際限なく、オレが信じる」


 そのために、もう一度。


 ルドルフはこの子の師匠として、この場に立っているのだから。


「……あなたに何がわかるのよ」

「さぁな。少なくともお前が話の通り、いまも昔も変わらず泣き虫だってことくらいは分かったさ」

「むかつく。慰めるならもっと上手に慰めてよ。へたくそ」

「手厳しいな」


 口上に調子が戻ってきたところで、ルドルフは折を見て席を立ち上がる。


「ではな。せいぜい身体を休めろよ」

「あっ……」

「どうした、まだ不安か?」

「なっ、別にそういうわけじゃ……!」


 そこでルドルフのニヤついた表情に気づいたのだろう。


 からかわれていることを自覚したクライは「はぁ、もういい」と辟易と口にして。


「ありがとう、せんせー……また、あした」


 ぶっきらぼうに唇を尖らせて言う彼女を尻目に、ルドルフは小屋をあとにした。



 ────────

 ──────

 ────


 その夜。

 幻惑の森は、騒ぎ立てていた。


 脅威。


 圧倒的な脅威が、のそりのそりと樹海の中を這うように進む。


「うーん、おかしいなぁ。この辺にいると思うんだけど」


 そう独りごちる脅威に早速、防衛機構である幻惑の精霊リューグナーたちは排除に向かう。


 より確実に。より明確に。


 紛うことのない脅威を排除するため、幻惑の言葉による迂遠な方法ではなく、森そのものの構造を変質させる。


 進む道のことごとくを捻じ曲げ、掌握し。

 そうして誘導された脅威の向かう先は、この森を統べる魔獣の王のお膝元。


『ブルルル……ッ!』

「きみじゃあ、ないんだけどなぁ」


 金色のたてがみを逆立たせて威嚇する金猪子を前に、脅威は変わらず平静を維持して。


 のんびりと、口にする。


「まあいっか、きみでも。ぼくもウンザリしてたところなんだ。うん、しかたない」

『ブオオォォォッ!』


 森を震わせる咆哮とともに、金猪子が脅威に向かって突進する。


 触れるものの動きを止める電撃を身に纏って、すべてを薙ぎ払う暴風の疾走を前に、しかし、脅威はニィッと口元を引き裂いた。


「──ちょうど、おなかもへっていたところだし、ね」



 その夜から。

 幻惑の森に君臨していた主は、姿を消した。

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