第14話 「やだっ」 それは小さくも、大きな抵抗だった。

 走り続けてどれくらいの時間が経っただろうか。

 もう自分がどれだけ走ったのかさっぱりわからない。


 足はもうパンパンで息も絶え絶え。

 視界もぼんやりとしか見えていない。


「はぁ……はぁ……」


 それでも一心不乱に走った。

 何度転びそうになっても俺は走った。


 心が弱っている人が何をするか、そんなこと誰にもわからない。

 ただわかるのは、絶対にろくでもないことしかないということ。


 手遅れになる前に、俺は見つけ出さなきゃいけない。

 藍那あいなうららを。


 かくして俺はちょっと高く、町が一部見渡せそうなところに辿り着いた。

 そこは公園と呼べるほど広くもないが、ベンチがいくつか置かれていた。


「はぁ……はぁ……」


 そのベンチの一つにポツンと座る、一人の女の子がいた。

 街灯に照らされた金の髪は、ここにいるよと言っているように見える。


 俺は隠すこともなくその本人。

 藍那に近づいた。


「…………」

「…………」

「……探した?」

「見ればわかるだろ」

「……ごめん」


 ベンチに膝を抱えて座って、顔を伏せている藍那はそのまま俺に返答する。


「もう終電も過ぎた。泊まれるとこ探すぞ」

「…………」

「はぁ……。行くぞ」

「やだっ」


 無理やり腕を掴んで連れて行こうとすると、小さい声で強く抵抗された。

 こちらを見上げるその目には、まだ涙が浮かんでいる。


「いつまでここにいるつもりだ?」

「ずっと……」

「ずっとここにいて、どうするんだ?」

「ずっとここにいて、そのまま……」

「そのまま?」

「…………」


 またもや顔を伏せてしまう。

 俺は掴んでいた腕を離し、隣に座った。


「学園祭の準備、順調に進んできて当日も楽しみだな~。これは佐伯さいきさんと前川まえかわさんが言っていた」

「…………」

「俺たちも執事って……なんかかっこいいよな! 最高だぜ! ……これは平石ひらいしが言ってた。ほかには――」

「やめて……」

六浦むつうらが――」

「やめてってば!」


 藍那は顔を上げてキッとこちらを睨みつけてくる。


 それでも俺は、話すのをやめない。


「藍那さんが実行委員になってくれてよかったってな」

「っ……!」


 クラスのみんなが、口々に言っていた。

 このクラス楽しそうでよかったとか、いい出し物じゃんね~とか。

 ほかのクラスに話を聞いたやつらなんかは、ここのクラスでよかったとか言ってるやつもいた。


「辛かったよな。苦しかったよな。……でも、それはお前がそこまで自分を追い詰めるようなことなのか?」

「…………」


 俺は藍那を慰めて立ち直らせることができるほど器用じゃない。

 きっとクラスの人たちの声を藍那に届ければ、俺の言葉に耳を傾けてくれると思っていた。

 藍那の性格ならば。


 ここでうじうじしてるなんて藍那らしくない。


「お前は頑張ったんだ。お前は何も悪くない。悪いのは、上野うえのだろ?」

「……っ」


 彼女がいるにも関わらず、思わせぶりな態度をとるなんて、俺は許せない。

 お前だってそうだろ?


「お前が苦しむ必要なんてないんだよ。最初から」

「あたし、どうすればいい……?」

「ん?」

「あたし、どうすればいいの……?」


 すがるような目で俺を見つめてくる。


 冷たい風が、頬を掠めた。


「俺は恋愛なんてしたことないからわからないけどさ」


 俺は立ち上がって答えた。


「今、お前がどうしたいかなんじゃね?」

「っ!」


 そう言いながら俺は微笑んで見せた。


 一瞬驚いたような表情をした藍那は、ゆっくりと立ち上がった。


「そうね……。そうだね……」

「ああ」


 藍那は勢いよく、拳を天高く振り上げた。


「思わせぶりな態度なんてひどい!」

「そうだ!」

「彼女がいるなら最初から断れ!」

「その意気だ!」

「本当に怒ったんだからー!」


 藍那と目が合う。

 目にはたっぷりの涙を浮かべつつ笑うその姿は、とても儚く美しかった。



※※※



「ねぇどうすんの!? 終電ないけど!?」

「いやだから言ったじゃねぇか! お前俺の話なんも聞いてなかったな!?」


 藍那の荷物は藍那に渡し、駅まで戻ってきたはいいのだが、終電を過ぎてしまっている。

 もう俺たちの帰るすべは、大金を叩いてタクシーで帰る以外にない。


 それか走って帰るか。これは無理だ。どれくらい掛かるのかわかったもんじゃない。


「ほ、ホテルに泊まるしかないって言うの!?」

「この時間に高校生二人を泊めてくれるホテルなんてあるのだろうか」

「…………」


 ないだろうなぁ……きっと。

 普通のホテルだって絶対に無理だろうし、おしゃれなホテルなんかはもってのほか。


 完全に詰んでいる。

 どうするか……。


「あ、いたよ! おーい!」


 その時、どこからか聞き覚えのある声が聞こえた。

 藍那にも聞こえたようで、「なんか聞こえなかった?」と言いつつ辺りを見回す。


「あ、あれじゃない?」


 藍那が指した方を見ると、車の中から手を振っている女の子が……。


 ってあれは……。


琴羽ことは!?」

「うそっ!?」


 手を振りながら大きな声で「こっちこっち!」と叫んでいるのは絶対琴羽だ。

 近づいていくと、琴羽の影に心優みゆがいるのが見えた。


「こんなことだろうと思って、お父さんにお願いしたんだ!」

康太こうたくん。それに藍那さんだっけ? 乗りなよ」

「「ありがとうございます!」」


 八人乗りの大きな車の一番後ろに藍那と一緒に乗せてもらう。

 車に乗ると、一気に安心感が募って眠気が襲ってきた。


「お兄ちゃん……麗さん……よかったぁ……」

「心優ごめん……心配かけて……」

「ホントだよねみっちゃん! もう心臓止まっちゃうかと思ったよぉ……」

「琴羽もごめんな……。おじさん、ありがとうございます」

「ことちゃん、心優ちゃんごめんなさい……。ありがとうございます」


 俺と藍那は二人で深々と頭を下げた。


「二人が無事ならいいさ。じゃ、出発するよ」


 そこで俺は完全に安心しきってしまった。

 一度は消えた眠気も、再び俺に襲い掛かってくる。


 瞼がゆっくりと閉じていく。

 抵抗することなく、俺は意識を手放した。


 手放す最後の瞬間、肩に何かが乗った気がした。



※※※



 目を覚ますと、景色は見慣れたものになっていた。

 一つ前の席では、琴羽と心優が肩を寄せ合いながら眠っている。


 心配していて疲れたようで、眠ってしまったみたいだ。

 姿勢を直そうとしたら、肩に重みが掛かっているのに気づいた。


「すぅ……」


 横を見てみると、規則的に呼吸をしているかわいい寝顔の藍那がいた。

 ちっとも起きる気配がなく、このままでは俺は動けない。


 容赦なく動いてやろうとも一瞬考えたが、やめた。

 こんなに気持ちよさそうに寝ているし、あんなことがあった後だ。ゆっくり寝かせてあげよう。


「…………」


 移り行く景色をぼーっと眺める。

 暗くてわかりづらいが、確かに見覚えのある景色だ。

 あと十分もしないうちに家に着くだろう。


 視線を車内に戻す。

 バックミラー越しに、おじさんと目が合った。

 おじさんは優しく微笑んでくれた。


「よかった……」


 琴羽にも心優にも心配をたくさんかけたけど、俺も藍那も何事もなく帰って来れた。

 藍那は心に傷を負ったかもしれない。


 けれども最後には、俺といつも通り会話をしていた。

 藍那ならきっと大丈夫だろう。


 明日は藍那と上野先輩のデートだったはず。

 これを藍那がどうするかはわからない。


「すぅ……すぅ……」


 隣では藍那が静かに眠っている。


 こんなことを俺が考えても仕方ないな。

 決めるのは藍那だ。でも、今はまだ、眠っているのがちょうどいい。



※※※



「今日はみんな泊まっていくといい」


 おじさんの言葉に俺たちはそれぞれお礼を言う。

 もうかなり遅い時間になってしまっている。

 今からまた車を……というわけにもいかないだろう。


「お腹空いてるでしょう? みんな座って」


 家ではおばさんが起きて待っていてくれた。

 そしてテーブルにはおいしそうな料理が並んでいる。


 俺たちはありがたく頂戴することにした。

 温かいスープなど、健康的な食事を取り、風呂もいただく。


 琴羽と藍那と心優は、仲良く三人で入ることにしたようだ。


「…………」


 ご飯を食べている間、藍那はいつも通りだった。

 琴羽とも心優とも笑顔で話すし、前に遊びに行ったときとあまり変わらない。


 大丈夫なんだろうな……あれ。


「康太くん。あの子は彼女なのかい?」

「わっ! ち、違います!」


 リビングの椅子に座って待機する俺に、廊下からひょこっと顔を出したおじさんがそんなことを聞いてくる。

 俺は考え事をしていたので、急に現れたおじさんに驚いた。


「あ、そうなんだ? てっきり」

「あの子には……あ、いや」

「うん?」

「本人の前で、こういう話はしないようにお願いします……」

「わかった」


 特に詮索することなく頷いてくれる。

 やっぱり琴羽のお父さんだな。


「まあ、今日はゆっくりするといい」

「ありがとうございます」

「うん」


 おじさんは優しく微笑んで、リビングを出て行った。


 再び一人になってしまう。

 一人になると、どうしても考えてしまうな……。


「いい湯だったぁ」

「心優」

「お兄ちゃんまだ行っちゃダメだよぅ。二人ともまだお着替え中だからぁ」

「おう」


 風呂から出てきた心優は、見覚えのない服を着ていた。

 朝、ゴミ捨の時に会う、琴羽の服に似ている気がする。


 たぶん琴羽のパジャマなんだろうな。


「部屋どうしよっかー」

「私はソファでも……」

「いや、それはダメだよっ」


 相談をしながら琴羽と藍那も現れた。


 二人も心優と同じく似たパジャマを着ている。

 何着持ってるんだよと思わずツッコミそうになった。


「あ、康ちゃんごめん! みんな出たよー!」

「わかった。じゃあ風呂いただくな」

「残り湯とか飲まないでしょうね……」

「飲まねぇよ!!」


 藍那のやつ俺のことをなんだと思ってんだ。

 そんなに変態に見えるか俺は。


 やれやれと思いつつも、着替えを持って脱衣所に向かう。

 着替えはこっそり家から持ってきた。


 おじさんから借りるのはなんだかあれだし、琴羽からなんてもってのほかだ。


「ふぅ……」


 全身を洗い終え、お湯にゆっくりと浸かる。


 かなり疲れているようで、また眠ってしまいそうだ。

 ここで寝るわけにはいかないので、早めに風呂を出る。


 リビングに戻ると、三人が布団を敷いていた。

 なぜか、四人分。


「なぜ?」

「あ、康ちゃん! 今日はみんなでここで寝るぞ!」

「なぜ?」

「……寝るぞ!」


 理由はないんだな……。


「私はここぉ」

「じゃあ隣もらうね」

「あ! ずるい!」


 俺と琴羽が話しているうちに、心優が真ん中右を選び、藍那が真ん中左を選んだ。


 なら、俺は一番右をえら――


「私はここ!」

「あ、ちょ……」

「早いもん勝ちー!」


 選ぼうと思ったら琴羽に取られてしまった。


 つまり俺の隣は藍那ということに……。


「……こっちは向かないでね」

「善処します……」


 なんだか意外だった。

 もっとボコボコに言われるのかと思った。


 琴羽と心優がいて猫かぶりを続けなければいけないからだろうか。

 心の中で二人に感謝しておこう……。


「じゃあもう電気消すよー!」


 ちょっと話したりするのかと思ったが、みんな疲れているのでそんなことはなかった。

 車の中で少し仮眠を取ったが、そんなんじゃ足りない。

 お腹も膨れたしお風呂も入った。


 みんな無事にここにいる。


 でも、俺はなかなか寝付けなかった。


「…………」


 もう誰かの寝息が聞こえてくる。

 「すぅ……すぅ……」と規則正しい呼吸が聞こえる。


 考えないようにしていたが、お風呂上がりのパジャマの女の子と同じ部屋で眠っているという事実が俺を襲い始めた。


 ダメだダメだ。

 何も考えるな俺!


「ねぇ康太」

「っ!」


 そんな時、後ろから声を掛けられて驚いた。


「起きてたら聞いてほしいんだけどさ……」

「…………」


 どうやら俺がびくっとしたのに気づかなかったらしい。

 俺は何も答えず、藍那の言葉を待つ。


「あたし、明日はデートに行かない。これからも行かない」

「…………」

「仕返しがしたい。じゃなきゃ、今日いたあの女の人も可哀想だよ」


 自分のことだけじゃなく、あの人のことまで考えるのか。

 悪いのは上野先輩だが、あの女の人がいなければ、自分が横に立っていたかもしれないのに。


「許せないんだ。あたしのことを弄んじゃってさ。あの人のことも弄んで……。協力してくれると嬉しいなぁ……」


 とても優しい声で藍那はこんなことを言う。


「なーんて、あたしの我儘。おやすみ……康太」


 それっきり藍那はしゃべらなかった。

 しばらくすると、小さな寝息が聞こえてくる。


 俺は少し起き上がり、藍那の方を見た。

 車の中で見た、かわいらしい寝顔だ。


「お前は最初から、我儘じゃないか……」


 俺は苦笑しながら藍那に向けて言った。

 なんだか藍那が、「生意気ね」とでも言っているような気がした。


 再び反対側を向いて寝転ぶと、俺は瞼をゆっくり閉じた。

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