第4話 「……なんでもない」 俺は思わずドキッとした。

 コンコン。

 扉をノックする音が聞こえる。


 コンコン。

 再び扉をノックする音が聞こえる。

 部屋の主からの反応がなかったのに、扉は平然と開かれた。


 誰かの気配が俺の寝ている横に止まる。


「お兄ちゃん、朝だよぉ~。ほらぁ、起きてよぉ」

「う~ん……?」


 俺の体が、ゆさゆさと揺らされている。

 頑なに起きないでいると、気配は俺の横から少し外れた。すぐにバサッという音が部屋に響く。

 それと同時に、眩い光が俺に降り注いだ。


「ぬおぉ……」

「ほら、もぅ。今日当番だったのに、珍しく寝てるんだもん」

「はっ!」

「ひゃっ!」


 降り注ぐ太陽の光に苦しんでいた俺だったが、今日当番という言葉を聞いて飛び上がった。


「び、びっくりしたなぁ……。目は覚めた?」

「朝食は!?」

「もうできてるよぉ」

「……ごめん」


 俺は目の前にいる女の子にしっかりと謝る。

 その女の子、俺の妹である神城かみしろ心優みゆはわざとらしくため息をつくと、笑顔で言った。


「大丈夫だよぉ。それよりどうかしたの?」

「あぁ……まぁ、いろいろと……」

「……?」


 こればっかりは心優に話しても仕方ないだろう。


「あ、でもなんかあったら質問させてもらうかも」

「うん。わたしにわかることなら任せてぇ」

「頼んだ。そして本当にありがとう」

「いいってぇ」


 心優は少し照れたようにしながら、顔洗ってくるんだよぉと言って部屋を出て行った。


 今日は当番。朝食作りの当番のことだ。

 俺と心優はとある事情から二人暮らしをしている。

 心優は二歳年下なので、現在中学二年生だ。それなのに、家事を分担したり当番制にしたりして一緒に家事をしてもらっている。それは大変なことだと思うが、仕方のないことだった。

 これは、二人で決めたことだ。しかも、数年前に……。


「お兄ちゃん、まだぁ?」

「今行くー」


 昔のことを思い出していたら何回も顔を洗っていた。

 せっかく心優が起きてこない俺のために作ってくれたんだ。温かいうちに食べなければ。


 律儀に俺のことを待っていた心優の正面に座り、手を合わせる。

 メニューは焼いたトーストに焼いたベーコンと目玉焼きを乗せたものに、インスタントのコーンスープだ。


「いただきます」

「いただきまぁす」


 まずはパンに齧り付く。

 ふわっと甘いパンの香りと、胡椒の効いたベーコンと目玉焼きの香ばしい香りが食欲をくすぐる。口の中に広がるのはバターの甘みがあるもちもちの生地とピリッと辛いベーコンと目玉焼きだ。

 次はコーンスープに手を伸ばす。少し薄味に作られた俺好みの味だ。温度も熱すぎずぬるすぎず、ちょうどいい。

 完璧だ。


「おいしいよ心優」

「ありがとぉ」


 心優ははにかみながらパンにはむっと齧り付いた。


「あ、そうだ、一つ聞いていいか?」

「んぅ?」


 パンをもぐもぐしながらきょとんと首を傾げる。


「異性との登下校ってどうやって誘ったらいいんだ?」

「んぐっ!? っ……!」

「お、おい! 大丈夫か!?」


 急いで心優にコーンスープを飲ませる。

 心優は苦しそうにしながらも、しっかりと飲み込んだ。


「はふぅ……。死ぬかと思ったぁ……」

「大丈夫か?」

「うん。それより、異性との登下校って……好きな人でもできたの?」

「いや、違う違う」


 聞き方が悪かった。これじゃあ俺が誘おうとしてるのかと勘違いされてしまう。


「恋のキューピッドになってくれと頼まれてな」

「朝言わなかったのはそれかぁ」

「うん。そこでとりあえず、登下校が一緒なら二人の時間が増えていいんじゃないかと思ってな」

「一緒に登下校かぁ……。うーん……」


 かわいらしく眉をひそめながら考える姿はどこかで見たことがあった。恋のキューピッドをやってくれと頼まれたという相談をしたのはこれで二人目。前に相談したやつもこんな感じに考えてくれたな。


「……どうしたのお兄ちゃん。なんだかニコニコして」

「いや、真剣に考えてくれて嬉しいのと、なんだか考える姿が琴羽ことはに似てたからさ」

ことお姉ちゃんに?」


 琴羽とは小さい頃から一緒にいるし、一時期はすごい助けられたから重なる部分があるのかもしれない。

 心優からしてみれば、琴羽は本当の姉のようなものだろう。


「琴羽にも相談したんだけど、そんな感じに悩んでくれたよ」

「そうなんだ。さすが琴お姉ちゃんだねぇ」

「だなー」

「って、話が逸れてるよぉ」

「ごめんごめん」


 少しむすっとする表情は、琴羽とは違うな。

 琴羽はこんな表情をしない。


「その子って女の子?」

「ああ」

「そうだなぁ……。お兄ちゃんは、女の子にどう誘われると嬉しい?」

「俺が?」


 登下校を誘われるか……。

 自然と藍那あいなのことを思い浮かべる。俺に対する時じゃなくて、普段の猫かぶりの藍那だ。

 仕草も容姿もかわいらしいあいつが登下校に誘ってくる……。

 誘うならまずは下校からか。バスケ部のマネージャーをやってるらしいから、一緒になるのは簡単そうだ。


「堂々と言われると嬉しいかな」

「なら、それが答えだよぉ」

「答え?」

「うん。女の子が誘う側なら、男の子はどう誘われるのが嬉しいか、それを考えればいいんだよ」

「なるほど」


 たしかにその通りだ。

 誘われる側が男なんだ。なら、男ならどう誘われるのが嬉しいか、男が考えて見なければいけなかった。

 祐介ゆうすけにも聞いてみるかな。あいつ彼女いるしちょうどいいだろ。


「ありがとう心優。助かった」

「どぉいたしましてぇ」


 そう言ってふわっとはにかむと、パンにはむっと齧り付く。

 笑顔でパンを食べる心優を見ながら、幸せのひと時ってこんなだろうなぁと呑気に考えながら、俺もパンに齧り付いた。



※※※



「お、いた」


 朝練が終わってる頃の時間に俺は教室に着いた。

 いつも通りの時間だ。


 祐介や琴羽もすでに登校しており、もちろん藍那もいた。


「ちょいちょい」

「あ、やっときた! あんたに言いたいことがあったの」

「それはこっちも同じだ。こっちこい」

「…………」


 俺は周りを警戒しながら教室を出る。

 幸い、気づかれてはいないようだ。


 不自然な動きをする俺に、藍那が困惑を示している。

 しかしそれを無視し、廊下を進んだ。


 すぐ隣を歩いているのが少し気になるが、この際仕方ない。

 途中で廊下を曲がり、階段を上る。

 最上階である四階の上には、使わない机や椅子が並べられている。

 一応屋上への扉があるが、机や椅子が邪魔で行けないようになっていた。


 その使われていない椅子を一つ取って、藍那が座る。

 一応掃除はされているようで、埃は被っていない。


「まず、あたしのことから話すわね。無事に連絡先を交換できたわ」

「おお。それはおめでとう」

「あなたのおかげよ。ありがとう」

「お、おう……」


 やけに素直にお礼を言われる。

 なんだか鳥肌が立ってしまった。


「それで、そっちの話は? 何か新しい作戦?」

「まさにその通りだ」

「へー……。で、どんな?」


 あの時と同じくやはり前のめりになる藍那。

 連絡先交換の件が信頼に繋がったのか、俺の新たな作戦にかなり興味があるようだ。


「登下校を一緒にすることがいいと思われる」

「と、登下校っ!」

「そうだ。登下校だ。これを共にすることで、二人の時間が格段に上昇するぞ」

「ふ、二人の……時間……!」


 はわわと言いながら頬が真っ赤になる。

 耳まで赤くなりそうな勢いだ。


「そ、それっ! すごくいいわねっ!」

「だろ?」

「でも……」

「ん? でも?」


 藍那は言いにくそうに顔を背ける。

 いい作戦だと思うのだが、何か問題でもあるのだろうか?


「問題があるのか?」

「あたし、部活に出てるの……火曜日と木曜日だけなんだ……」

「え……」


 言われて思い出す。

 今日は九月二日の木曜日。俺が登校した頃にはすでに藍那は教室にいた。

 しかし、昨日と三日前はどうだろう。俺が登校した時、果たして藍那は教室にいただろうか。


「一昨日はどうしたんだ?」

「あの日は、ゴミ捨てで遅れて……ってい、いいじゃないの、別に……」


 どんどんと声が小さくなっていき、目を合わせなくなる。

 何か迷っているような感じがするが、事情がわからない以上、俺にはどうすることもできない。


「まぁ何か事情があるんだろ? なら、火曜と木曜だけでもいいじゃないか。大きな進歩だぞ」

「え、あ、うん……」


 励ましたつもりなんだが、とても驚いたような顔をされる。


「どうした? 俺、何か変なこと言ったか?」

「……ううん。……何も、聞かないの?」

「何が?」


 なんのことを言っているのかは理解していた。

 しかし、ゴミ捨て。家庭の事情があるのは明らかだ。俺にだって家庭の事情はある。

 そこは俺が踏み込んでいい領域じゃない。


「……なんでもない」


 思わず俺はドキッとした。

 今まで俺に向けられたことのない綺麗な笑顔だったからだ。


 猫かぶりの藍那でも見たことのない、とても自然で綺麗で美しい笑顔。


「じゃ、教室戻ろ?」

「あ、ちょっと待った」

「ん? なに?」

「先戻ってくれ」

「ん? わかった」


 一瞬きょとんとしたが、何かを察した顔で先に戻って行った。

 たぶん、キューピッドとして何かあるのだろうと思ったんだろうが、全然違う。是非目の前で言ってやりたい。

 でもなんとなくだが、この俺と藍那の噂を藍那自信が理解したら、なおさら面倒なことになる気がした。


 藍那が去ってから約五分という十分じゅうぶんすぎる時間を経て、俺は教室に向かった。



※※※



「それじゃあこれから学園祭の実行委員を決めるぞ~。誰か立候補はいるか~?」


 今日は四限の時間がホームルームとなり、学園祭の実行委員を決めることになっている。

 学園祭は十月の九日から十一日までの三日間行われる。

 踊咲おどりさき高校の学園祭は毎年かなりの盛り上がりを見せ、大勢の生徒や一般客で賑わうそうだ。


 今年もその例に漏れることはないだろう。

 というのも踊咲高校学園祭で行われる最後の行事に、とある噂がある。

 それは――


「藍那さんでいいんじゃないですか?」

「あ、いいと思う!」

「賛成!」

「えっ!?」

「じゃあもう一人は神城かみしろくんでいいんじゃない?」


 ん? なんか俺が呼ばれた気がしたが……。


「おー。藍那、神城、やってくれるか?」

「え……」


 周囲からの視線が俺と藍那に集中する。

 席は少し離れているが、視線が俺と藍那に向いているのは明らかだった。


 ちらっと藍那を見ると、藍那もこちらに視線を向けてきた。

 藍那は登下校を上野先輩と一緒にするんだ。こんなことをしている場合じゃない。

 それに俺だってそうだ。心優に負担が掛かってしまう。


「藍那さん、どう?」

「藍那さんがしてくれると安心だな!」


 ちょ、藍那、そんな悩ましそうな表情をするんじゃない。

 あ、こら! 口を閉じ――


「わ、わかった……。ま、任せて!」

「さすが藍那さん!」


 あのバカ!

 何を考えてるんだ!?

 登下校が一緒にできなくてもいいのか!?


 それに、家の事情もあるんだろうに!


「じゃあ藍那と神城でいいな?」

「えっ……俺はちょ……いいですよ」


 ごめん心優。

 強引に頼まれた恋のキューピッドだけど、引き受けたからにはやり遂げたいんだ……。

 琴羽にも怒られそうだしな。


「助かるよ。さっそく放課後、集まりがあるからよろしく頼むぞ~」

「わかりました」

「……わかりました」


 藍那はこっちを見てすごく申し訳なさそうな顔をしている。

 俺からしてみると、何を今更という感じなのだが。


 やけに素直になってきたな……。


「じゃあ決定したから、あとは自由にしていいぞ~。下の階は授業中だから、静かにな~」

「はーい」


 先生の言葉を境に、みんな自由に動き始めた。

 藍那がこちらに来ようと席を立つ。しかし、ほかの女子生徒に話しかけられ、思うように動けないでいた。


 俺が席を立とうとすると、机に影が落ちた。


「康ちゃんよかったの? 引き受けちゃって」

「琴羽。まぁそうだな……。心優には謝る」

「みっちゃんのこと、手伝いに行こっか?」

「ホントか? 助かるよ」


 いえいえ~と笑顔を見せると、琴羽は席に戻って行った。

 藍那の方を確認すると、まだ話している途中のようだ。たぶん、この授業中はずっとこのままだろう。

 諦めた俺は、彼女が別クラスなので特にすることもなく暇そうにしている変態祐介の元へ足を運んだ。

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