第3話 「席を立つのは許しません」 どこからか、怯えたような声がした。
その日の放課後、俺はバイトだったので、最寄り駅である
店長やパートの人たちに挨拶をしつつ、奥にある廊下を進む。
なんと、この廊下が男子の更衣室となっている。平等なんてあったもんじゃない。
もともと男子更衣室だった部屋は、今は喫煙室になってしまったと聞いた。
しかもバイトにはロッカーが存在しないという悲しさ。観葉植物とか置いてないで、ロッカーを置いてほしい。
と、心の中で文句を言いつつ、着替えた俺は休憩室に向かう。
すると、近くにある女子更衣室から見知った女の子が出てきた。
「あ、
「
「みたいだね~」
タイムカードを打刻するために休憩室に足を運ぶ琴羽の後に続いて俺も入る。
この女の子は
俺が連絡先を持っているかわいい女の子の一人だ。
琴羽は小さい頃からよく遊んでいた幼馴染で、たまたま高校も一緒になった。
クラスも一緒になり、今でも普通に話す仲だ。
いつも元気いっぱいで、周りにも元気を振りまく活発な子。それが琴羽だ。
ちなみに家は俺の住んでいる家の正面にある。
登校する時間が俺よりも早いため、あまり一緒にならないが、夕飯を分けに来たりと学校外でも結構頻繁に会う。こうしてバイトしている時なんかもだ。
「ほい、ほいっと」
休憩室には時間的に誰もいない。
琴羽は奥にあるタイムカードを俺のも一緒に打刻してくれた。
「ありがとな」
「どういたしまして~。それじゃあ今日もがんばろ~!」
「お~」
高らかに拳を突きあげる。
琴羽の茶髪の長いポニーテールがふわっと舞い、甘い香りが鼻腔を刺激した。
俺もそのあとを追う。
それからはあっという間だった。
時間的に夕飯時。レジに案内、オーダーに掃除に料理を運ぶ……。とにかく忙しい。
気づいた頃にはお客さんはだいぶ少なくなっていた。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
現在お店に残っていた最後のお客さんのレジを終える。
お客さんがお店の外に出るのを確認すると、琴羽が声を掛けてきた。
「康ちゃんおっつ~!」
「おう。おつかれ」
「ねぇねぇ、例のあれ、噂になってるよ?」
「何がだ?」
何のことを言っているのか、わかってはいたが聞き返してみる。
琴羽もわかっていただろうが、嫌な顔一つせず答えた。
「
今日の朝、一緒に教室に入って行ったことだ。
恋のキューピッドのことを考えて、朝早く学校に来た俺は同じく朝早く来た藍那に捕まった。
体育館裏に呼び出され、作戦会議を行ったのだ。
その後一緒に教室に戻ったのがまずかった。
俺も藍那も鞄を持って入らなかったのに、一緒に登校してきたと勘違いされているのだ。
藍那には好きな先輩がいる。そしてそのキューピッドにならなきゃいけないのは俺だ。
その先輩にまで噂が届いたらどうなるかわかったもんじゃない。
「なんでだろうな?」
どうしたそんなことになったのか、とりあえず琴羽に聞いてみる。
琴羽はとても優しい女の子だ。
そんな天使は眼鏡の位置を直してから口を開く。
「そりゃ、接点がなかった二人が一緒に教室に入ってきたんだぜ~? 今まで隠してた~とか思うでしょ~?」
「でも俺たちは鞄を持ってなかったぞ」
「そんな些細なこと、気にならないって!」
そんなものだろうか。
琴羽が言うならきっとそうなのだろう。
もしかして、すでに結構大事になっているのかもしれない。
「どの辺まで噂が……?」
「ん? 他のクラスに仲のいい子がいる人は、伝えてると思うけど?」
「藍那、人気なんだな」
「そんなこと知ってたくせに~」
琴羽はからかうような笑みを浮かべ、仕事に戻っていった。
藍那はクラス中どころか、学年でかなりの人気者だ。
かわいいし、頭がいいし、優しいらしいし。
対する俺には何の話もない。良い噂も、悪い噂も。
そんな得体のしれない俺が、大人気美少女である藍那
噂にならないわけがない。
俺に良い噂があれば、お似合いだとか言われて目立つ。
逆に悪い噂があれば、なんであいつなんかとというように目立つ。
そして、何の噂もない俺は変な風に目立つ。
「なんか、本当にヤバそうだ……」
面倒事とは、どうしてこうも連鎖するのだろうか。
客がいないのをいいことに、俺はまたもや頭を抱えた。
藍那は今日の放課後、
俺との噂が上野先輩にまで届いてないといいのだが……。
藍那を上野先輩とくっ付ける。その前に俺と藍那の関係についての誤解を解く。
単純明快であるが、複雑怪奇だ。
考えるのを一旦やめ、琴羽の手伝いをするために一度裏に下がろうとする。
しかしそれは、お店の扉が開いたことにより中断された。
「よっ。
「
「普通に飯食いに来たんだよ。今日夜勤だったんだと」
「そっか。好きな席に座っていいぞ」
「そうさせてもらうわ」
ちょっと疲れたような顔の祐介は、近くの席に腰を下ろした。
「ていうか康太、あの噂、実際どうなんだよ?」
「あの噂?」
どうせ藍那とのことだろうが、あえて聞き返してみる。
祐介も俺がわかっていると気づいていただろうが、こちらも嫌な顔一つせず答えてくれた。
「藍那さんとのことだって。クラスじゃ結構話題だったんだぜ?」
「そりゃ大変だが、藍那とは何もないぞ。というか、お前なんとなく察してるだろ」
「藍那さんと何かあったのはわかるよ」
そう言って祐介はけろっと笑う。
急に俺が上野先輩について聞けば、おかしいと思うのは当然だ。その後に藍那と一緒に戻ってくれば、バスケ部である祐介は上野先輩と藍那の関係が、そういうものになりそうだとかなってるだとか聞いたことはあるだろう。
そこに俺が何かしら絡んでいる。
具体的にはわからないにしろ、何かあったと思うのは簡単だ。
「あの噂、どうやったら誤解が解けると思う?」
「さぁ……。あまり一緒にいない……とかもう手遅れか」
「どうしようもないと?」
「どうしようもないなぁ。あ、オムライス頼む」
「……かしこまりました」
俺が席を離れる時、祐介は俺も考えてみるよと言ってくれた。
入れ替わりで琴羽が水を持っていく。
二人は少しだけ話し、琴羽はこちらに戻ってきた。
「噂、消したいのかい?」
祐介からちょっと聞いたんだろう。
「そりゃ、ちょっとめんどうなことが絡んでいるからな。噂は邪魔なんだ」
「めんどうなこと?」
「ああ。藍那から、恋のキューピッドになるように頼まれてるんだ」
「恋のキューピッド……?」
オウム返しをしながらきょとんと首が傾く。
なぜそんなことになったの? と表情が物語っている。
「バスケ部の先輩と付き合いたいんだと。どうすればいいと思う?」
「え? う~ん……そうだなぁ……」
琴羽が顎に指を当て、かわいらしく眉を顰める。
本当に昔っから何も聞かずに協力してくれるんだから。
しばらくすると、はっとした表情と共に眼鏡を掛け直した。
「二人での登下校とかどう?」
「なるほど。二人きりの時間を増やすのか」
「そういうことだぜ~!」
たしかにそれは名案だ。
二人で登下校なんてした日には、二人だけの会話がかなり増加する。
会話が増えれば距離も縮まる!
「採用だ!」
「いえーい!」
ニカっと笑いながらピースを向けられる。
が、すぐにいやいやと首を振った。
「じゃあ噂ヤバいじゃん!」
「そうなんだよ……」
思わずため息が出てしまう。
恋のキューピッドをやることになってから、ため息をつく回数が格段に上昇したのは気のせいじゃないだろう。
そんな俺を見た琴羽はというと、またもや何かを考え始めたらしい。
表情は険しいまま、迷ったように口を開いた。
「いい考えがあるけど、どうする~?」
「いい考え?」
「うむ。どう? 聞きたい?」
「是非」
「それはね――」
※※※
「はい、あ~ん」
「あ~ん……」
クラスメイトの視線が集まっているのをひしひしと感じる。
それと同時にひそひそと囁く声もちらほら聞こえる。
非常に居づらい空間へと、教室は変貌してしまっていた。
「おいしい?」
「それはそうなんだが……」
「ん?」
「これ、効果あるのか……?」
「
周りを確認してみるが、すぐにみんな目を逸らしている。
これじゃあわからない。
「わからん」
「効果出てるって~」
「ホントかよ……」
「ホントホント」
目の前の琴羽はそう言って大きくうんうんと頷いている。
これが琴羽の提案した誤解を解く方法。
名づけて、康太琴羽ラブラブ作戦らしい。
実は琴羽と付き合っているということにして、藍那とのことは誤解だと伝えるらしい。
しかし……。
「これ、あんなことあった次の日にやるってまずいんじゃ?」
「あっ! い、いや、大丈夫だよ~」
「あって言ったよな今!! 言ったよな!?」
視線の意図を完全に勘違いしていたのではないだろうか。
もう一度周りを確認するが、またもや目を逸らされる。
そんな中、こちらにくるやつが一人いた。
「なぁなぁ康太、藤島。お前らあんなことあった次の日にその作戦は、まずくないか?」
「…………」
「こ、康ちゃん? これは違う。違うの……。違うんだよ……?」
琴羽がわけのわからないことを言い始めている。
祐介の指摘は俺とまったく同じものだった。
藍那との誤解が発生した次の日に突然琴羽との距離が縮まっていたらさすがにおかしい。
俺に変な疑惑が増えるどころか、藍那や琴羽にも被害が及ぶのでは?
「ねぇ康太」
そんなことを考えていたら不機嫌そうな藍那に小声で声を掛けられた。
藍那と一緒にご飯を食べようとしていた友人は修羅場になるんじゃないかと気が気ではない様子でこちらを見つめている。一方ほかのクラスメイトも修羅場になるんじゃないかと思っているようで、同じような視線を向けてくる。
「作戦のこととか相談したいのに、そんなことしてたら相談できないじゃないの」
「作戦もいいんだが、事態は深刻なんだよ」
「とても深刻そうには見えないんだけど?」
「…………。……深刻なんだ」
「はぁ……。ちょっと来なさい」
「あ、ちょっ!」
無理やり藍那に引っ張られる。しかし、ものすごい力で引きとめられ、藍那の手から俺の腕は解放された。
「食事中です。席を立つのは許しません」
どこからか怯える声がした。
それは俺かもしれないし、祐介かもしれないし、あるいは藍那かもしれない。
そんな圧を発する琴羽には誰も逆らえない。
いつの間にか、周囲からの視線も消え失せていた。
「わ、私も、お弁当こっちに持ってきてもいいかな、藤島さん……」
「うん! もちろんいいよ~!」
「あ、ありがとう……」
さっきの圧は一瞬にして消えたが、藍那は怯え切っていた。
それは俺も一緒なので、静かに食事を再開する。
祐介は静かに「じゃ」とだけ言うと、青い顔をして席に戻った。
別のクラスから遊びに来ている彼女の
「じゃあ、失礼します……」
「どうしたの? 藍那さん、そんなにかしこまっちゃって」
「いえ……。なんでもないです……」
「?」
すっかり無口キャラに転身した藍那は、黙々とお弁当を食べる。
きょとんとした琴羽だったが、よくわからなかったのか、自分もお弁当を食べることにしたみたいだ。
無言の食事会がしばらく続く。
正直、気まずいなんてもんじゃない。
時々祐介からの視線を感じるので、助けを求めているのだが、気づかない振りをされている。
二度目の裏切り。許すまじ。
「あ、あの……」
同じく気まずいと思っていたであろう藍那が、ついに耐え切れなくなったのか口を開く。
「ん?」
「その……康太くんのお弁当、藤島さんが作ったんですか……?」
「そうだよ~! 今日は作戦だったからね~!」
「作戦……?」
今度は藍那がきょとんと首を傾げる。
ホント、仕草と容姿だけはかわいらしいやつめ。
「もう意味ないみたいだけどねぇ……」
「さらによくない方向に向かってる気がするけどな」
「まぁまぁ」
思わず突っ込んでしまったが、結構気にしてたみたいで目を逸らされる。
「それより康ちゃん、康太くんって呼ばれてるんだね。急に仲良くなったね~」
「っ! そ、それはっ! 康太くんが、そう呼んでってっ!」
「そうなんだ? じゃあ私も琴羽って呼んでほしいなぁ~」
「わ、わかった! こ、琴羽……ちゃん」
「うん!
いや、俺そんなこと言ってないし。勝手なこと言うなよ。
というか、本当に藍那が俺と接する時と違う人物なんだけど。
仕草はどっちでも変わらないけど、態度が違うだけでこうもかわいく見えるもんなんだなぁ。
それともこれは、怯えているだけなのか。
「麗ちゃんのは、お母さんが作ってるの?」
「い、いえ……。うち、母親は離婚してていないので……」
「あ……ごめん……」
「いえ、気にしてないので大丈夫です……。だからその、お手製です……」
「そうなんだ! 料理上手なんだね!」
「琴羽ちゃんだっておいしそうなのばっかりお弁当に入ってるよ?」
「そう? ねぇねぇ、一個交換しない?」
「え、いいの?」
藍那から怯えの表情が消え始め、活き活きとし始めたように見える。
完全に女子会が始まった。
藍那は自然な笑顔が増えていき、敬語が消えている。
「うわっ! ふわっふわ! どうやって作ってるのこんなの!」
「んっ! 肉汁がすっごい! おいしさが凝縮されてるって感じ!」
藍那が作った卵焼きを食べた琴羽がふわっふわと大絶賛。
一方琴羽が作ったハンバーグを食べた藍那がお肉に大満足している。
「康ちゃんももらえばいいのに~」
「え、いや俺はいいって」
急に話を振られて少し驚いた。
そんな琴羽は俺ににっこりと笑いかける。
俺もにっこりと笑い返し、琴羽が作ってくれたお弁当を掻き込んだ。
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