第2話 「よかったわね」 ドヤ顔でそんなことを言われても、俺には効果がない。

 ピピピピピっと目覚ましが鳴る。

 二回目が鳴る前にさっと止めた。

 8月31日、火曜日だ。時刻は五時半。


 良い目覚めができたようで、ゆっくりと起き上がる。


「ふわぁっ……」


 欠伸を少し漏らしながら、俺はベッドから降りた。

 部屋の扉を開け、洗面所に向かう。


 冷水で顔を洗うと、眠気が一気に飛んだ。


「よしっ」


 タオルで顔を拭いた俺は、キッチンに向かった。

 今日の朝食は俺が担当だ。メニューは白米、味噌汁、鮭の塩焼き、卵焼き、ほうれん草ともやしの胡麻和え。

 胡麻和えは途中で人参も入れることにした。


 調理も終盤に差し掛かったころ、扉が開く音がする。

 扉を開けた人物は、俺に声を掛けてきた。


「お兄ちゃん、おはよぉ」

「おはよう、心優みゆ


 目を擦りながら現れたのは二歳年下の妹の心優だ。

 髪が寝ぐせでボサっとなっている。


「もうご飯できるから、顔洗って席着いてな~」

「わかったぁ」


 心優が席に着いてしばらくして料理が完成した。

 残さずしっかりと食べた俺たちは、それぞれの学校に向かうために家を出る。

 その頃には当然。心優の髪もしっかりとしていた。


 綺麗な黒髪のセミロングで、肩甲骨辺りまで髪が伸びている。

 そして、心優から見て右側の方の髪を水色の細いリボンで結んでまとめ、下ろしている。


「お兄ちゃん今日はもう出るんだねぇ」

「ちょっと考え事があってな」

「へぇ~」


 俺は駅の方に、心優はバス停の方に歩き出す。

 心優が利用するバス停は駅が始発なので、駅に行かず、そのままバス停に行った方が近い。

 そのバス停と駅は、反対方向だ。


「気を付けてな」

「うんっ。お兄ちゃんもねぇ」

「おう」


 ぐっと軽く伸びをしてから歩き出す。

 ゴミ出しをする近所の人たちに挨拶をしながら、駅までの道を進む。


 駅の近くには八百屋さんや飲み屋さん、果物屋さんやケーキ屋さんなどいろいろなお店がある。

 八百屋さんのおじさんはもうお店の準備を始めていた。


「おはようございます」

「おう兄ちゃんおはよう。気を付けて行くんだぞー」

「ありがとうございます~」


 今日も気持ちのいい朝だ。

 最寄り駅である咲奈さきな駅に着き、定期をかざして改札を抜ける。


 ホームには、見知った顔の姿があった。


「よっ」

「…………」

「おい、無視すんなよ康太こうた

「昨日裏切ったやつに挨拶される筋合いなんてない」

「悪かったって。この通り!」


 そう言って手を合わせる祐介ゆうすけをジトっと睨みつける。

 片目だけで俺の表情を窺っているのがわかる。


 俺はあからさまに溜息をついてから言葉を続けた。


「俺も彼女が欲しい」

「ド直球だな」


 俺が考えることは常にこれだ。

 彼女が欲しい。


「その欲望の吐露は、こんな朝早い時間にいることと何か関係があるのか?」


 挨拶した段階から気になっていたであろうことを祐介が聞いてくる。

 たしかに俺はいつもこの時間には電車を利用しない。というのも、この時間に利用する学生は基本的に部活動の朝練など、事情がある。

 対して俺は、部活に入っていない帰宅部だ。

 この時間の電車を利用する理由は見当がつかないだろう。


「微妙なところだな。話の本質は同じなようで違う」

「よくわかんねぇな」


 祐介に言ってもしょうがないことのような気がする。


「最初に相談するとすれば、俺は琴羽ことはがいい」

「なんじゃそりゃ……。ま、もしなんかあったら相談してくれよ」

「その時は頼む」」

「おう」


 しばらくすると電車がやってきた。

 電車内はいつも俺が利用する時間ほどは混んでいない。それでも、それなりに人はいた。

 祐介はバスケ部だが、ほかに野球部やテニス部など、ほかの運動部らしい人の姿がある。


 電車はゆっくりと動き出し、住宅街を抜けていく。

 しばらくすると、辺り一面田んぼだらけになる。時々現れる住宅などを通り抜けると、次の駅に到着した。


「そういや踊咲おどりさき高校の学園祭って結構有名だけど、実行委員とかまだ決めないのな」

「言われてみるとたしかに」


 俺たちの通う踊咲高校は三日間も学園祭が執り行われる。

 日数が多いこともそうだが、とある噂が元で実は結構有名なのだ。


「まぁそのうち決まるだろ」

「康太、興味ないのか?」

「嫌味か?」

「学園祭の前にゲットしとけって話よ」

「それができれば苦労しないっての……」


 祐介が言っているのは彼女のことだ。

 学園祭前に彼女なんてできるわけがない。

 話すのが嫌になった俺は窓の外に視線を向ける。


 田んぼ、住宅、田んぼ、住宅を何回か繰り返していると、目的の駅である踊咲高校前おどりさきこうこうまえ駅に到着した。

 ここから歩いて約十分ほどで高校に着く。

 それほどの距離があるのになぜ駅名が踊咲高校前駅なのかはよくわからない。


 電車を降り、ホームに出る。

 改札を抜けて駅を出ると、憎むべき出来事が起こった。


「祐介、おはよう」

「お、かなで、おはよ」


 妬ましい……。

 朝練の時間だというのに、一緒に登校するために来てくれているというのだろうか。健気すぎる……。

 俺も彼女が欲しい……。


「じゃ、また後でな康太」

「けっ。お幸せにな」

「おう。幸せになるぜ」

「ちょっ、祐介っ!」


 姫川ひめかわさんの顔がぽっと赤く染まる。

 かわいいなちくしょう。


 そんな惚気を見せつけられ、その足で学校に向かう。

 まさに憂鬱以外の何物でもない。


 駅から歩くこと約十分。

 踊咲高校に着いた。


 下駄箱で靴を変え、最上階にある自身の教室に向かう。

 扉を開け、教室にある自分の席に座ると、真っ先にため息が出た。


「はぁ~……」


 誰もいない教室に俺のため息が響くようにこぼれる。

 静かな教室。聞こえるのは朝練に勤しむ生徒の声だけだ。

 不思議と落ち着く中、考えることはただ一つ。昨日のことだ。


 藍那あいなの協力をすると言ったのに男の名前も正確な学年もわからない。わかるのは先輩であるということだけだ。

 というよりまず、藍那の連絡先すら知らない。

 どうしたらいいのか、俺は真剣に悩んでいた。


 その時、ガラリと教室の扉が開く。

 無意識にそちらに視線を向けると、そこには俺と目が合うや否や不機嫌そうな顔をする藍那の姿があった。


 なんでこんな朝早くからいるのよ。とでも言いそうだ。


「なんでこんな朝早くからいるのよ」

「本当に言ってきたよ……」

「何が?」

「あ、いやこっちの話」


 かわいらしく首を傾げるという仕草は自然と出てしまっているみたいだ。

 俺と話すときに猫をかぶる必要はない。

 なぜ口調や態度だけこうも変わってしまうのか。


「で、なんでこんな早くからいるのよ」

「作戦を考えてるんだ」

「ふーん」


 ジトっとした目を一瞬向けられるが、藍那は自分の席に鞄を置くとすぐに教室を出て行った。

 バスケ部の先輩と仲がいいのは、マネージャーかなにかやってるからなのだろうか? それならこの時間は朝練だから学校にいてもおかしくはない。

 でもそれだと荷物を置いていくのはおかしくないか?

 バスケ部の部室にみんな荷物を置くはずだ。

 マネージャーの荷物置き場がないと言われればそれは知らないが。


「ん?」


 藍那が出て行ったはずの扉が少し開いている。

 そこから手が少し見えた。


 指をくいっくいっと曲げたり伸ばしたりしている。こっちに来いということだろうか?

 扉を開くと、そこには案の定藍那がいた。

 藍那は無言で廊下の方を指さした。場所を変えるらしい。


 そのまま無意味に連れられ、辿り着いた場所は体育館裏。


「なに俺、告白でもされんの?」

「バカなこと言ってないで、作戦は思い付いた?」

「そんなのまだ思いつくわけないだろ。昨日の今日だし、さっき考えてるとこって言ったろ」

「はぁ? あんた昨日の夜何してたわけ?」

「そりゃ普通にごはん食べて風呂入って課題して寝たぞ」

「キューピッドとしての自覚が足りないみたいね」


 そんなもんあるわけないだろ。


「ていうかそうだ。お前、連絡先よこせよ」

「は? なんであんたにあたしの連絡先を教えなきゃいけないのよ」

「作戦とか知らせるのに使うだろ」

「ちっ。……はい」

「おう」


 素直に渡せばいいものを。

 こうして俺は藍那の連絡先を手に入れる。


 誰かに自慢できそうなもんだな。

 この口悪い状態を知らなければ、だが。


 それはともかく、これで藍那との連絡はいつでも取れる。

 便利な世の中になったもんだ。


「かわいい女の子の連絡先が手に入ってよかったわね」

「かわいいって……自分で言うか? 普通」

「事実だから問題ないでしょ。どう? かわいい女の子の連絡先を初めてゲットした感想は」

「初めてじゃないからなんとも……」

「はぁ!?」


 急に大きな声を出して驚く。

 あまりにも大きな声を出すので俺までびっくりした。


「急に大きな声出すなよ。近所迷惑だ」

「いや、そんなことより女の子の連絡先、そんなにあるわけ?」

「お前を入れずに三人はあるぞ」

「冗談でしょ?」

「本当だ」

「見せなさいよ」

「プライベートだ」

「やっぱり嘘なんだ」

「そう思うなら勝手だが」

「ウザイわね」

「お前も大概だ」


 なんで藍那に俺の連絡先がどうこう言われなきゃいけないんだよ。

 彼女でもなんでもないくせに。


「ここの生徒なの?」

「一人は妹だな」

「え……シスコンだったんだ……。引くわ……」


 そう言って自分の体を守るように抱く。

 失礼なやつだな。


「俺はシスコンじゃない」

「え、知らないの……? 妹にかわいいって言ってる時点でシスコンよ……」

「言ってはいない」

「言ってるようなもんよ……」


 そう言いつつどんどんと距離を取る藍那。

 だいたい妹は俺の家族だ。かわいいって言って何が悪いか。


「俺の話はいいんだよ。昨日の先輩の連絡先、持ってるよな?」

「…………」

「何黙ってんだよ」

「……い」

「え?」

「持ってない!!」

「は!?」


 告白寸前までというか、告白する気満々でいながら連絡先を持っていない?

 まさか、そんなことがあるなんて……。いや、世の中そんなもんなんだろうか。


「じゃあ何年何組の誰なのかくらいは知ってるよな?」

「当たり前でしょ! バカにしてんの!?」

「知ってるならいいんだ。教えてくれ」

「あんたホントムカつくわね……。二年三組の上野うえのただし先輩よ」

「なるほど」


 一つ上の先輩か。

 三年生よりはこちらも話しかけやすいな。


 とりあえずは藍那がその先輩の連絡先を手に入れないことには話にならない。

 藍那はそう思ってないかもしれないが、俺はそう思っている。


 だいたい、何をするにしても、連絡先の有無はかなり重要のはずだ。

 待ち合わせとか、なんなら会えない夜になんかも通話ができてしまう。


 持っていないというなら……どうしようか……。

 そうだ。それならうってつけのやつがいるじゃないか。


「連絡先、欲しいよな?」

「当たり前でしょ」


 俺がそう聞くと、興味を持ったのか期待の眼差しが向けられる。


「まぁ、見てろ」

「あ、ちょっと!」


 そんな藍那を確認した俺は、早々にこの場を後にした。

 ちょっとズルいかもだが、手っ取り早いのはこの手だ。


 なにやら後ろから抗議の声が聞こえるが気にしない。

 俺は迷わず教室に戻ってきた。


 教室の中は生徒がかなり増えていた。

 この時間なら、部活の朝練も終わっているはずだ。


「お、いたいた」


 俺はお目当ての人物を見つけると、すぐにそいつの席に向かった。

 俺の気配に気づいた祐介は、机の中に教科書等を移すのをやめ、顔をこちらに向けた。


「どうした? 数学の課題なら、奏に教えてもらったが、お前には教えないぞ?」

「その点についてなら問題ない。昨日、しっかり解いてきた」

「じゃあ、なんだ?」

「上野忠先輩とやらの連絡先を教えてくれ」


 俺は単刀直入に用件を伝える。

 それを聞いた祐介は、しばらく固まってからオーバーリアクションを取る。


「どうした急に?!」

「すまん。言葉が足りなかった。どうすれば上野先輩の連絡先が手に入ると思う?」

「え……。本人に聞く……じゃダメなわけ?」

「やっぱりそれが一番だよな。俺も思ってた」


 知ってた。

 だって当たり前じゃんそんなの。


 バスケ部に入ってる友達から聞きました~とか言えるわけがない。

 まぁ藍那の場合は、バスケ部に入っている友達のいる友達から聞きましたと言わなければいけないわけだが。


 そんなことはどうでもいい。


「またなんかあったら頼むわ」

「お、おう……。今のでいいのか……?」


 最後にぼそっと何か言ってる気がしたが、俺はもうすでに廊下に向かって歩き出していた。

 もう一度藍那に会うためだ。

 体育館裏は遠いなと思いながら歩いていたら、そんなに歩く必要はなくなった。


「あ、いた! かわいい女の子を置いて勝手にどっか行くなんてどうかしてる!」

「まぁ落ち着け。とりあえず作戦その一だ。まずは連絡先を手に入れること」

「は!? どうやって!」

「そこは共通の話題とかあるだろ? お前、バスケ部のマネージャーとかじゃないのか?」

「……なんで知ってるのよ」

「告白しようとしたってことは顔見知りではあるってことだろ? なら、部活が一番かなと」

「意外と考えてるのね」


 感心したとでも言いたそうな口調で目を丸くする。

 これが普段からならかわいいのに、わざとにしか見えない。違うんだろうけど。


「だから、バスケの試合観戦とかあるだろ」

「あなた、もしかして天才なのかしら!?」


 急に前のめりに詰められる。

 パッと花が咲いたような笑顔で目をキラキラさせている藍那が目の前に現れた。

 綺麗な瞳に吸い込まれてしまいそうだ。


「それをきっかけに、またバスケの話がしたいから~とか連絡先を交換するんだ。完璧だろ?」

「そ、そうね……! 放課後やってみるわ!」

「そうするといい」


 そこでちょうどよく予鈴がなった。

 もうすぐ朝礼らしい。早く教室に戻らなければ。


「ほら、戻るぞ」

「あ、うん」


 隣を歩く藍那は、今も目をキラキラとさせていた。

 両手を胸の前に合わせ、何を考えているのか擦り合わせたり、パッと離したと思ったらまた合わせたりしている。

 この仕草に合う態度と口調を是非俺にも欲しいものだ。


 がっかりとため息をつきながら教室の扉を開けた。


 人間、なにか音がしたり、なにか視界を横切ったりすると気になるものだ。

 自然とクラスの視線はこちらに向けられる。

 俺と藍那だとわかると、興味なさげに会話に戻る人もいたが、大半は好奇の目をこちらに向けていた。


 これは考えてもいなかった。

 昨日まで会話のなかった男女が急に一緒に現れたのだ。

 俺の友人や藍那の友人は気になるに決まっている。

 ましてや藍那は人気者。人の視線は必然的に増えてしまった。


 隣の夢見るおバカさんは何も気づいていないみたいだ。


「なになに、二人はどんな関係~?」

「わっ」

「いつから? いつからなの?」

「ええっ?」


 やっと気づいた時にはすでに囲まれている。

 盛大な勘違いにもほどがあると言いたいところだが、この状況じゃ言っても無駄だろう。

 それでももう、言うしかない。手遅れになる前に。


「そこで一緒になっただけだ。お前らが期待していることは何もない」


 俺はそれだけを言い残し、自分の席に着いた。

 しかし、後ろから視線を感じる。


 チラッと確認してみると、そこにはニマニマした気味の悪い笑みがいくつも浮かんでいた。

 もう一度口を開こうと思った矢先、教室の扉が開いた。


「はい、席着いて~」


 先生が入ってきたのをきっかけに、人だかりは散った。


「なんだったの……?」


 藍那は何も理解していないらしい。

 何もないといいのだが、最悪の事態も考えておいた方がいいだろう。


 またため息が零れた。

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