彼女が欲しかった俺が、恋のキューピッドになるまで。

小倉桜

第1話 「あんたのせいよ!」 涙目の少女は、俺を指差しそう言った。



「いやいや、大きいおっぱいのあの包容力がいいんだろ」


 俺の友人は、何を言っているんだお前というようにこう語った。

 対する俺は肩をすくめ、やれやれというように答える。


「何度も言ってるだろ祐介ゆうすけ。小さなおっぱいの謙虚さを。あの手で包み込めそうなのがいいんだよ」

「いーや康太こうた。包み込まれる方がいいに決まってる」


 夏休みが終わったにも関わらず、まだまだ暑い8月30日の放課後。

 ここ、踊咲おどりさき高校の生徒である俺たちは、校門までの道のりを歩いていた。


 周囲からは部活動に勤しむ男女の声や、帰宅する者たちの声など、様々な音が響く。

 中にはカップルも……。


「そういや祐介。今日は部活は休みなのか?」


 おっぱいの話が一段落したような気がしたので、いつの間にか一緒に帰宅しようとしている変態に疑問をぶつける。


「今日はなぜだか休みだな」

「また合コンか?」

「康太……そういうことは言うもんじゃないぜ」


 バスケ部顧問はよく合コンに行くと専らの噂なのだが、祐介の反応を見るに、あながち間違いでもなさそうだな。

 部員にも知られてるのに、懲りない先生だ。


 そんなことを思っていると、この話題は嫌なのか祐介が話題を変えてきた。


「康太、数学の課題解けそうか?」

「出来ても見せんぞ?」

「ケチだな~」


 あははと笑いながら天を仰ぐ祐介。


 踊咲高校の数学教師は意識が高く、やたら難しい課題を出す。

 今回もその例に漏れず、難しい課題が出たはずだ。


「このプリント、どうすっかなー」

「悩ましそうに取り出すな。彼女に教えてもらえ」


 そうだ。

 こいつには頭のいい彼女がいるじゃないか。

 嫌がらせ以外の何物でもない。


「名誉毀損で訴える」

「何の話……?」


 苦笑する姿も爽やかなイケメンだ。

 なんだか腹が立ってきた。


 目の前で何問か解いて自慢してやろうか。


「あ、しまった。ファイル、机の中だ」

「忘れたのか~? 明日も数学あるぞ?」

「それはまずい。取り入ってくるから先帰っていいぞ」

「あいよ~。ちょうどかなでも来たし~」


 祐介が見た方を見ると、かわいらしく制服を着崩した活発そうな女の子が走ってきた。


 茶髪の短いポニーテールがひょこひょこ揺れ、大きな胸がぼよよんと揺れている。

 身長は154cmくらいだろうか。意外と小柄なところがかわいらしい。一部を除いてにはなるが……。


「待ち合わせてたのか。お前、嫌なやつだな」

「そう言ってくれるのは康太だけだよ」


 大真面目な顔でそんなことを言われる。

 いつも優しいイケメンの友人も、結構苦労しているようだ。


「お待たせっ」

「よし。じゃあな、康太」


 姫川ひめかわ奏もこちらに小さく手を振ってくれる。

 ああくそ、妬ましい。俺も彼女が欲しい……。


「めんどうだが、取りに行くか……」


 俺は重い足を玄関に向け、再び歩き出した。


 校内は比較的静かで、外の喧騒もぼんやりとしか聞こえない。

 校内に残ることのない俺には初めての感覚だった。


 誰の気配もない廊下を歩き、階段をのぼる。

 一年生の俺たちは最上階である四階の教室に行かなければならない。

 これが朝にあるのが億劫だ。


 まぁ、今もなんだが。


 二組の教室は二つ目の部屋だ。

 扉の前に立つと、なにやら話し声が聞こえる。


「残ってるやつっているんだなぁ」


 小さな声で呟いてみる。


 そうこうしてるうちに、教室から男女の声が聞こえることに気づいた。

 なんだ、カップルか。


 そう思った俺は躊躇なく扉を開けた。


「あのっ……わたしっ……」


 男女が窓際で向かい合っている。

 甘い雰囲気というよりは、告白時の甘酸っぱい空気に見えた。


 男女の視線が俺に突き刺さる。


「…………」


 居心地は悪いが、俺には関係ない。すっと自分の机に向かう。


「それでえっと……藍那あいなさん、なんだっけ?」

「……なんでもないです」

「そう? じゃ、部活行くね! また明日!」


 お目当てのファイルをゲット。

 中に数学の課題であるプリントが入っていることを確認し、鞄に入れる。


 そして扉に向かった、その時だった。


「ふごっ!?」

「なに普通に帰ろうとしてんのよ……!」


 く、首が閉まって……い、息が……!


「かはっ……はぁ……はぁ……。何しやがる!」

「それはこっちのセリフよ!」


 そう言いながら今にも泣き出しそうな顔で俺を指差す女の子。


 綺麗な長い金髪にほっそりとした体つき。

 しっかりと着た制服は真面目さを引き出しているが、スカートだけ少し短くしている辺り、そういう方が自分に似合うと理解しているのだろう。


 そのスカートから伸びる白くて細い足は、眩しすぎて直視できない。

 極めつけにはほとんど主張のない胸元。


 長いまつげにぷにっとした唇とほっぺ。

 やばい、かわいい。


「って、よく見たら藍那うららさんじゃん」


 その子は、同じクラスの藍那さんだった。

 とても明るく優しい子で、女子からも男子からも人気がある。


 最近はバスケ部の先輩とよく一緒にいるようで、付き合ってるんじゃないかとの噂を聞いたことがある。


「あんたのせいよ! あんたのせいであたしの告白のチャンスが台無しになっちゃったじゃない!」

「そんなこと言われてもなぁ。もっかいすれば?」

「はぁ!? あたしがどれだけ勇気出したと思ってんの!?」


 はぁはぁと声を荒げながら藍那さんは俺に怒る。

 いつもの優しげな雰囲気は影も形もない。


「一人称があたしになってるぞ?」

「もう気にしてられないっつーの!!」


 なりふり構わんと言うように俺に先ほどの不満をぶちまけてくる。

 そして、落ち着いてきたのか一度深呼吸をする。


 しかし再び口を開いた。


「だいたいあんた、何しに来たのよ!」

「数学の課題を取りに来た」

「そんなの明日でいいでしょ!」

「ダメに決まってるだろ。明日も数学あるんだぞ」

「そんなの知らないわよ!」

「知ってるだろ。同じクラスなんだし」

「あんた、とんでもなくウザいわね!」


 藍那さんの呼吸が再び乱れる。

 忙しい人だなぁ。


「決めたわ。あんた、あたしの恋のキューピッドになりなさいな」

「は? なんで俺が……」

「文句は認めない!」


 あまりにも理不尽な展開に、俺もいよいよ焦る。


「そんな勝手な!」

「あんたがあたしの告白を台無しにしたんじゃない! 責任とってよ!」

「そんなもん知るか! だいたい、教室で告白するのが悪い!」

「無茶苦茶なこと言わないでよ! 忘れ物したあんたが悪いんでしょ!」

「お前こそ無茶苦茶なこと言うな! 人間なんだから忘れ物くらいするだろうが!」


 お互いにはぁはぁと息を整える。

 そして、段々と冷静さを取り戻してきた。


 そこには、外の喧騒もそこそこな放課後の教室で、叫びながら喧嘩する男女がいた。


「あんた、名前は」


 先に呼吸を整えた藍那さんが最初に口を開いた。

 俺は額の汗を拭いながら相手の目をしっかりと見て答える。


佐藤さとうだ」

「下の名前は?」

「……太郎たろう?」


 藍那さんがじとっとした目でこちらを見つめる。

 凛としたその姿にはなんというか、凄みがあった。


「そんなに見つめられると照れるな」

「ふざけないで」


 おっと。

 こりゃさすがにキレる寸前だな。

 またああなるとめんどい。


 だいたい、同じクラスなんだから名前くらい覚えておけっての。


神城かみしろ康太だ」


 いかにも面倒そうに本当の名前を告げると、藍那さんはぷふっと笑いだした。

 口元を抑えながら笑っている姿はいつも教室で見る藍那さんだ。


 そこは変わらんのな。

 というか。


「なに笑ってんだ」

「だ、だって! 神城ってふふっ……似合わなすぎ……ぷっ」


 こいつ黙って聞いてれば……!


「お前だって藍那って柄じゃ……」


 ……いや、藍那ってピッタリじゃね?

 考えてみれば結構かわいい苗字だ。

 金髪美女で貧乳……。たしか、運動もできるし頭もいい。

 女子の中では背も高い方。166cmくらいだろうか。


 ふむ……。


「何よ」

「いや、なんでもない」


 分が悪いと思った俺は早々に諦め、改めて鞄を持ち直す。

 そして、藍那さんの方を向き、笑顔で言った。


「じゃ、また明日。……離してくれる?」

「まだ帰すわけないでしょ」


 俺は力ずくで俺の鞄を掴む藍那さんの手を振りほどこうとする。


「康太! ちゃんとあたしのキューピッドになりなさい!」

「だから嫌だっての! ていうか、いきなり呼び捨てか!」

「あんた神城って感じしないし、康太でいいじゃない! こんなかわいい子に名前呼ばれるなんて嬉しいでしょ!」

「ああ嬉しいさ! それが藍那、お前じゃなかったらなぁ!」


 そこまで言うと、突然藍那の鞄を掴む力が弱まった。

 俺は不思議に思って藍那を見る。


 藍那は俯いてぷるぷると震えていた。


「な、なんだよ……」

「あたし、ホントに頑張ったんだよ……? 今日まで一生懸命……好きになってもらうために……」


 今にも泣き出してしまいそうな震えた声で、藍那は言葉を紡ぐ。


「それで今日……せっかく、教室に呼び出して……勇気を振り絞ったのに……」


 ぐすっと言って手が目元に運ばれる。

 それ以上はなにも言わず、藍那はただただ俯いている。


 背が高めの藍那が、小さく見えた。


「…………」


 俺はちゃんと藍那の方に向き、照れ隠しに頭をかきながら言う。


「わかったよ……。俺が悪かった……力を貸すよ」

「ほんとぉ……?」


 俯いたまま弱々しい声を発する藍那から視線を反らし、続けて答える。


「本当だ。だから、その……元気出してくれ」


 そこまで言っても藍那は震えているままだ。

 顔を両手で覆い隠し、ぷるぷると震えながらふふっ……ぷふっ……と。


 ……ぷふっ?


「あははっ! 康太はチョロいわね! ちょっと泣いたくらいでコロッと!」

「藍那、お前……!」

「じゃ、言質取ったからねっ! 明日からよろしく~!」

「あ、おいこら! 藍那!」


 言いたいことだけ言うと、藍那は教室から出ていった。


「まったく……」


 仕方ない。

 数学の課題よりもめんどうではあるが、やるって言っちまったんだ。言ったからには成し遂げねぇとな。


「恋のキューピッド……。頑張るか~……」


 藍那とあの男をくっ付ける。

 恋人が欲しいのは俺も同じなのに、恋人がいない俺が誰かのキューピッドになるなんて変な話だな。


 そう思いつつ俺は、例の先輩が藍那との噂の人なのかなと考えていた。

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