掌編

高梨鳩郎

夢は願望のあらわれ

朝起きたら世界が終わっていた。


 いや、これは正確じゃないかも。より認識に齟齬がでないように言うのならば、私からは終わったように見えた。


 まず、音が消えていた。自分が出す音以外はなにひとつ聞こえなかった。交通量の多い道に面している我が根城では、外からの音が聞こえないなんてことはまずない。だからこそ、起きた瞬間の静けさに違和感を覚えた。

 眼鏡をかけ、窓から外を見下ろすと道路にはぽつぽつと車が止まっていた。車線の真ん中、まるで、走っている最中に走ることをやめてしまったような止まり方だった。しかし、もっとおかしなことがあった。歩道の方を見ると、スーツと黒い鞄が落ちている。サラリーマンの標準装備一式みたいな落としものだ。電車に鞄を置いてきたり、ひと月に3度ほど携帯を置き忘れるおっちょこちょいの私でもさすがに着ている洋服を落としたことはない。


 いったいどういうことだろうかと思ったものの、目覚めたばかりの頭は正常に働かず、起き出したことによる空腹感のほうを強く訴え始めていた。

 とりあえず、顔洗ってごはんだ。のども乾いた。

 そう思い、ベッドから降りトイレへと向かう。用を足したのち、台所へと向かう。一人暮らしの我が家に洗面台なんてしゃれたものはないので私は台所で洗顔もはみがきもしている。いつも通りに冷蔵庫の上に眼鏡を置き、シンクで顔を洗い、顔の水をふき取ったのち化粧水なんかをぶちかけ、眼鏡をかけ直す。少し眼鏡が曇った。自然事象的なものは通常通りらしいななんて冷静に考えてみる。


 顔がさっぱりしたところで、冷蔵庫から牛乳を取り出し、水切りかごに入れてあったコップに注ぐ。一口飲んでからコップをシンクに置き、もう一度冷蔵庫をあけ、ウインナーの袋を出す。ちょうど残りが2本だったので2本とも袋からだしコンロへと突っ込む。袋はゴミ箱に捨てた。

ウインナーを焼いてる間に、昨晩寝る前に予約炊きしていた米を混ぜる。先にこっちをすべきだったな。米は早めに混ぜた方が美味しい気がする。なんて考えながら茶碗によそう。せっかくだから昼用におにぎりもつくっとこう。冷蔵庫の上に置いてあるラップをとり、手に広げ、そこに米をのせる。調味料棚にあった塩を米の上に適当に振りかける。これでずぼら昼飯の完成だ。学生時代はあの子に「お前と飯を食っとると世紀末を生きてる気分になる」と険しい顔をされたものだ。


 そうこうしているうちにコンロの方からウインナーの皮が弾けるような音がした。

 コンロを開けるといい感じでウインナーが焼けていた。箸でとりあげ茶碗によそった白米の上にのせる。いつも通りの朝ごはん。牛乳と米を一緒にとるなんて、とあの子にはドン引きされたがこちとらこれで20年生きてきたのだ。これ以外の朝ごはんなんて私の中にはない。


 そして、一息ついたところで、脳が現実逃避から目覚める。

 なんでこんなに静かなんだ。

 朝ごはんの味も、台所の窓から差し込む光も、なにもいつもと変わらない。なのに音だけがやけに静かだ。

 車の音も、鳥の声も、しない。

 自分以外の生物のすべてがいなくなってしまったかのようだ。

 私が寝ている間に私以外の全生命体は火星に引っ越したのだろうか。だったらなぜ残されたのが私なんだ?こんなどこにでもいる新卒3年目のOL1人を置き去りにしてなにが変わるというのだ。いや、もしかしたら、終わっているのは私だけで、私が終わってしまった裏(世界的には表?)ではいつもとなんの変わりもなく続いているのかもしれない。そっちの方が説明がつくのではないか。

 ウインナーと米と牛乳を咀嚼しながぐるぐると思考する。

 その時、窓の外から音が聞こえた。

 目が覚めてから初めて聞く自分の行動以外から発せられる音。

寝室へと駆け出す。

道路に面した窓を開け、下を覗けば、そこには、いつものように赤色のヘルメットを被り、赤色の原付に乗った君が、私を見上げていた。



「おはよ!」


 赤いヘルメットを右手で押し上げた君がいつもと変わらぬ勢いと笑顔で声を上げる。

 なんという安心感。なんという日常風景。いや起こしてもらったことなんて過去に数えるほどしかないけど。二人で自転車で海まで行ったときとか、二人で自転車で山手線一周したときとか。あの頃は若かった。今ではもう二人ともスーツの似合う大人になってしまった。まぁ、君は今でもスーツではなくラフな格好の方が似合うけど。今日のオーバーオールとパーカー姿もとってもお似合いだ。


「どした?その姿勢でぼけっとするとたぶん落ちるよ」


 危うく安心感で思考が落ちかけた。そんな場合ではないのである。


「おはよ。生きてたか親友よ」

「おう、生きてたぜマイハニー」


 思ってもいないことは言わないで欲しいものだ。


「とりあえずそっち行くね。あ、牛乳じゃなくてお水ちょうだい」

「あいよ~」


 ヘルメットをとり、その下で押さえつけられていたこげ茶色の髪をほぐしながらにこやかに笑う。

 うちには牛乳と酒しか飲み物がないことを、素晴らしくよくわかっている物言いだった。



 まずは、玄関の鍵を開けておく。それから、戸棚から新しいグラスを出し、氷を2つほど冷凍庫から取り出して入れる。ウイスキーはロック派なので冷凍庫には美味しい氷が常備されている。ついでに自分の牛乳も注ぎ足しておこう。

 氷の入ったグラスに水を入れようと蛇口をひねったところで、ドアノブが回る音がした。


「よっ!ただいま!」


 靴を脱ぎ、羽織っていたパーカーを椅子に掛けながら食卓へとつく姿は、さながらこの家の住民のようだが、君が前回うちに来たのはおよそ4か月近くも前だ。

 パーカーを脱いだことで、君の引き締まった二の腕があらわになる。まだ4月の終わりだが、どうやら下は半袖だったようだ。

 私も君に水を出しながら、再び椅子へと座る。


「あれ?ナツの部屋久しぶりじゃない?年明けに雑煮を食べた以来?あ、お水ありがと」

「たぶんそう。会うのも何気に2か月ぶりくらいじゃない?」

「たしかに!まいちょんの結婚式以来か!あっ、ウインナーひとつちょうだい?」


 聞きながらも、すでにウインナーへと指を伸ばしている君を私が止められるはずもなく、私のウインナーがひとつ減った。

 ちなみに、「まいちょん」というのは中学の時の同級生である。中学の頃はこぶたのように可愛かったまいちょんの花嫁姿は凄まじく美しく、そして、幸せそうだった。その帰り道、私は君の「わたしもはやく結婚したい~!!」を少なくとも18回は聞いた。


「まぁお互い働いてるしね。というか大学時代も同じキャンパスにいたけど、遊ぶのはそんなもんだったでしょ」

「あー、そうかも?でもすれ違うとかは結構してたよ!」

「たしかに、っていやそんな話をしている場合ではないんだわ……!」


 あっぶない、君のトンチンカンに巻き込まれるところだった。

 私もわりと、ちょっと抜けてるとかマイペースだとか言われる方ではあるが、君ほどではない自信はある。この危機感のなさに何度危ない橋を渡たらされたことか。


「で、これどうなってんの?ルイ、なにしたの?怒らないから言ってごらん?」

「いやいや!わたしはなんにもしてないって!ホント!信じて!!あとそれ絶対怒るやつなー!」


 さっきは世界ではなく私の方が終わっている、なんて考えたが、君がいるなら話は別だ。世界滅亡の疑惑をかけられるほど、君のトンチンカンへの信頼は厚いんだぞ。

 激しく首を振る君に私は疑いの目を向け続けた。


「ホント!本当!私も朝起きたら家に親がいなくて、外でても誰もいないし、スマホもつながらないしテレビも映らないし、変だなぁってナツのとこ来てみたら窓開いてナツ出てくんじゃん?びっくりした!」


 びっくりしたのポーズ!と両手を開き顔の横に持ってきて笑う君。危機感のなさは健在のようだ。「お前、それで1度留年してるんだぞ」と言ってやりたいところだが、ぐっと我慢をする。

 でかかった言葉を誤魔化すために残った米とウインナーを口の中にかきいれる。

 どうやら本当に私たち以外はいないらしい。ここと君の家との間だと中学校の学区だけの話ではあるが。テレビとネットのことも私はまだ確かめてなかった情報だ。

咀嚼しながら状況を分析する。

これじゃあまるで、


「なんだか世界がわたしとナツだけになったみたいだね!」

「そんなことあってたまるか。……そんな、小説みたいなことあるわけないじゃん」


なるほど、夢か。

14年に渡るもはや執着なのか恋慕なのかわからなくなった願望が、ついに夢を見させているのだな。それなら納得。せいぜい楽しませてもらおうじゃないか。


そうして、現実でないのをいいことに私はきみと旅にでる。

きみの彼氏の家に行き、ぬけがらとなった服を見つけて泣くきみの背中をさすったり、「悲しみを吹き飛ばすぜ!」と原付の限界速度で二人乗りをした。

およそ妄想でやらかしたランデブーのかぎりを尽くした私であったが、二人の命がついえるその日まで、ついにきみと結ばれることはなかった。

夢は願望のあらわれというのは、嘘だったのだろうか。

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