第三十一幕 矜持

 正木家広間、宴会場にて正木団十郎は片膝を立て盃の酒を一気にあおる。

 その周りには、正木家の侍衆が三名程囲む。

 「まあまあ、若、ほれもう一献」

 正木の隣にいた者が、すかさず、正木の空いた盃に酒を注ぐ。

 それをまた勢いよく正木はあおり、プハッっと大きく息を吐く。

 「若、お気持ちは分かりますが、こんなことで取り乱したら正木家の次期当主としての示しが尽きませんぞ」

 「分かっておる!別に取り乱して居らんわ!それよりももっと酒をよこさんか!」

 正木は、顔を真っ赤にしながら、盃を差し出す。

 侍衆は、顔を見合わせ苦笑いをして、酒瓶を持つ侍を促す。

 「若、今宵は我らと呑み明かしましょう!」

 「ほうじゃ、ほうじゃ。今宵は男同士大いに語らい合いましょう」

 正木は、それには応えず、注がれた酒をまたも一気にあおる。


 「おおう。宇藤殿、戻ってたんかい。呑み直そうや」

 「嫌、忘れもんを取りに戻っただけじゃ。それに家の小間使いの小僧がどうしても正木家の屋敷を観たいと申してのう、ついでに連れて来た次第で、こやつに屋敷を見せたら直ぐに帰るつもりじゃ」

 「ほうかい。小間使いに・・。宇藤殿は相も変わらず、下の者に優しいのう」

 いつのまにやら正木家屋敷に戻っていた宇藤徳兵衛は、庭を小間使いと歩いているところを縁側で呑んでいる同僚に声をかけられた。

 宇藤は、同僚に笑顔を向け、そのまま奥に消える。後ろを歩く小間使いのが同僚に深々と頭を下げ宇藤についていく。

 この虎助という男は、名に似合わず、線が細く、肌も白い。顔立ちも女子の様に頬は細く、唇も薄い。それに、所作もいちいちしなやか、一目見れば誰もが、女子と間違える。色を覚えた、近隣の村の男衆から何度も求められたほどである。

頭を下げられた男もそのうなじを見るに付け、思わず生唾で喉を鳴らす。


 程なくして、奥の影から宇藤が小間使いと庭に戻ってくる。

宇藤が、縁側で呑んでいる先程の男の前を通り抜けようとした所。

 「おい。その小間使いの者。宇藤殿に可愛がれている、者の名前を聴いて居なかったな、名は何という?」

 男の眼は、酔いが回っているためか、男を見るものでは無くなっている。

 小間使いは、顔を伏せたままである。

 「おおい。どうした?名を問うておる。早く名乗らんか」

 少し苛立ったのか、声が少し大きくなる男。

 小間使いは尚、顔を伏せたままである。

 「この者は、虎助と申す。少し気の弱いところが有る故。荒木殿の声にびっくりしたのでしょう。許されよ」

 「ほう。虎助と申すのか‥。驚かせてすまなんだ。改めて挨拶したい故、顔を上げて見せてくれんか?」

 飽くまで、この小間使いの顔をもう一度物色したい荒木。この男は、里の間でも、女好き、果ては未熟な男子を好むという好色の噂が有る男である。

 小間使いは、下に顔を伏せたまま、着物の裾を両手で掴んでいる。そのめくれた裾から覗く白い脚に荒木は、喉を鳴らす。

 「なあに。取って喰おうってんじゃ無い。顔を見せてくれや」

 「荒木殿。すみませぬが、急いでいる故、この辺でご勘弁を。虎助もすっかり怯えておりまする。この者には、某の方から言って聴かせます故」

 宇藤が堪らず、間に入る。

 「何を申すか!?儂は、ただこの者の顔を見ようというだけの事。このものが顔を上げれば良いだけの話であろう!?」

 荒木の声が怒号に変わり、その声に宴の雰囲気が一変し呑んで居た者が、皆縁側に注目している。その中に、奥の正木達も混じっている。

 宇藤は、小さく舌打ちする。

 「さあ。顔を見せれ」

 荒木は、立ち上がり庭に降りて来る。その騒ぎにいよいよ、なんだなんだと他の者達も好奇の声を上げ縁側に近づこうとしている。

 小間使いは、その場を動けず、裾を掴んだまま顔を伏せ立ちすくむ。

 酒息荒く荒木の手が、小間使いの髪の毛を掴もうと伸びる。

 「あらあら、荒木様。大分酔ってらっしゃるのかしら?」

 後ろから、響く自分を呼ぶ美しい声に、荒木は振り返る。

 そこには、酒瓶を持つ凜の姿が有った。

 「さあさ荒木様。そのような小間使いの者に色目を使わず、私と呑み直しましょ」

 里でも美人で有名な凜に誘われ、荒木の興味は一気にそこに移る。

 「凜殿のお誘いとあらば断る訳にもなるまい。…おい。お前はもう行ってよいぞ」

 荒木は吐き捨てると、小間使いと宇藤に背を向け縁側にいる凜の方へいそいそと向かう。

 それを見ていた野次馬の面々は興が醒め、元居た位置に戻っていく。

 「参るぞ」

 宇藤は、小間使いの背を押し促す。庭を去る際に宇藤と荒木の酌を始めた凜と眼が合い宇藤は、軽く会釈する。

 その様子を盃を片手に酔いどれとは思えない鋭い眼光で正木が奥から見ていた。


 「さて。ここまでくれば問題あるまい」

正木家の門を抜け、城への暗い路まで出たところで宇藤は小間使いに声を掛ける。

 その声を受け小間使いは始めて顔を上げる。

 「ありがとうございます。宇藤様」

 「何の。しかし、多少肝を冷やしましたな」

 「ほんとに」

 宇藤と小間使いがほっと笑い合う。

 「ささっ、小春殿。急ぎなされ、某達が力を貸してやれるのはここまでじゃ」

 「はい。本当にありがとうございました」

 宇藤に深々と頭を下げる、小間使いの恰好をした小春は、そのまま城の方へ駈け出していく。

 その小さな背中が喜々として離れていき、影に消えていくのを宇藤は眼を細めて眺めている。

 「今日は、矢の如き真っ直ぐな若人の背中を見送る日じゃのう」

 宇藤は、白い息を吐きながら呟く。


  ー「御免」―

 部屋の外の声に顔を見合わせる小春と権兵衛。二人供、息をのんでいると障子が開く。

 権兵衛は咄嗟に床に置いた刀を手に取る。

 開いた、障子から宇藤の顔が見える。

 「う、宇藤殿?」

 「入らせて頂く。おい」

 宇藤は、後ろに控えている小間使いの虎助に声を掛け、部屋に入って来る。いそいそと虎助も宇藤の後に続き部屋に入る。

 「な、んで?」

 宇藤を眼で追いながら、権兵衛はつぶやく。

 宇藤は、権兵衛と小春の間に座り、虎助は宇藤の後方に控えて座る。

 と、障子が開け放しているのに小春が気付き、障子を閉めに向かい手を掛けると

 「閉めなくてよろしいですぞ」

 「えっ?」

 宇藤の一言に、小春は思わず振り返る。すると奥から部屋に近づいてくる足音がしてくる。

 足音が近づき影から現れたのは、

 「凜さん・・・?」

 「入りますわよ」

 凜は、小春に小さく微笑み、部屋に入る。

 「戸を閉めてください」

 小春は、黙って頷き、障子を閉める。

 凜は、宇藤の隣に座る。

 「さて、そろいましたわね」

 小春は、元の位置に戻り、同じく事態が呑み込めない権兵衛と今一度、顔を見合わせる。

 「刻が御座いませんので、手短に」

 凜と宇藤は、頷き合うと虎助を前に促す。

 虎助は、するすると自分の着物を脱ぎだす。

 「なっ!?」

 驚いた、小春は、思わず手で顔を覆う。

 「ささっ、小春さん。貴女も脱いでくださいまし」

 手で顔を覆ったまま固まっている小春の袖を掴み、凜が脱ぐように促す。

 「なっ!?凜さん!?」

 「ややっ!?」

権兵衛も事態が呑み込めず、目のやり場を探している。

 その間に、虎助は、襦袢姿になっており、その姿は若い白樺の如く白く細い。

 「ご覧の通り、当家の小間使いの虎助は、女子の如き、容貌にて、丁度体躯が小春殿と違わぬ。」

 宇藤が、説明をしている間に、小春は凜の手によってみるみる襦袢姿にされていく。その姿を、権兵衛は、俯いて何とか見ないようにしていた。

 「二人の衣装を交換し、なり替わり、小春殿は某と共に屋敷を出た後、坂田の所に向かわれよ。某はゆるりと、後をおいます。戻るときには某と戻りましょう。その間、虎助は、ここで権兵衛殿と居り、小春殿のふりをしてもらう。なに今宵は、新月、この薄暗さでは、誰も気づくまいて」 

 「えっ!?それは・・・、もし露見したら宇藤様にご迷惑が・・それに虎助さんも無事にはすみませんよ!?」

 「なあに、屋敷の男衆は、団十郎様を含め、みな酔い潰して差し上げますわ。小春さんは、用が済んだら、堂々と屋敷にお戻りくださいませ。誰も彼も寝ております故。それにもしこの部屋に誰かが近づくようなら、権兵衛様が上手くやって下さいます」

 「えっ!?」

 権兵衛が弾ける。

 「そんな・・・でも・・・」

 俯く小春の両頬を両の手で包む凜は、小春と眼を合わす。

 「良い小春さん?同じ女として、男達の世界の道具にされ好いた方と添えない苦しさ、痛いほど分かります。・・・それでも、私たちは、武家の女としてしかと生きていかなければいけません。それなら、武家の道具としての役目を果たす前に、一人の女としての想いを成就しても罰は当たりません。それにもし、戻りたくなくなっても、私が団十郎様を立派な正木家当主にして差し上げますから、ご心配なく」

 両頬に添えられた手は温かく、頬に涙が伝う。

 「ううっ・・。あ、りがとう」

 絞るように小春は凜に伝える。

 「凜殿!」

 宇藤の促しに凜は、頷き。

 「ささっ、泣くのは、上手くいってからにしましょう」

 虎助の着物を手際よく小春に着付けていく。

 宇藤は、小春の衣装を虎助に、権兵衛も手伝う事にした、その目に熱いものが溜まっていた。

                              第三十一幕【了】

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彼岸花~相思華~ @yawaraka777

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