第三十幕 熱想

 正木家屋敷では、式に出席した者達が思い思いの場所で、思い思いの者と酒に肴に賑わっている。下女達は、忙しなく給仕に奔走している。

 

 「な、何者ぞっ!?」

 和やかな、屋敷内に怒号が響き渡る。皆、一様に手を止め怒号の方へ顔を向ける。が、如何せん酒席の事、酒も回っており誰ぞ喧嘩をしているのだろうと、誰一人その場を動くものは居なかった。

 「お、おい。止まれ!」

 しかし、怒鳴り声が徐々に酒宴の席に徐々に迫っており、その声を発している者の数が増えている。屋敷が騒然としだした。

 流石に只事では無いと皆刀を手に立ち上がり、騒ぎの方へ向かう。

 すると、庭の闇から、怒号と共に騒ぎの主が現れる。

 酒席の明かりに照らされたその男は、全身、砂利まみれ、口や身体のあちこちから血が滲んでいる。肩で大きく息をしており、息は絶え絶え、だが眼光だけが異様に鋭い。男は、屋敷の者に身体中を掴まれ、ようやく止まる。

 その姿に、皆、息を呑む。

 「何じゃあ、お前は!?」

 「・・・こ」

 「こ?」

 「小春!権兵衛じゃ!」

 男が、有らん限りの声を発する。

 「何じゃ!?こやつ?権兵衛?」

 「ああ。小春殿に惚れとる男じゃろう?」

 「おお、ほうか。おい小僧。お前も男なら潔よう諦めい」

 「ほうじゃ、ほうじゃ。今頃、新婦は、幸せの絶頂よ」

 男達は、権兵衛を野次り下品な笑い声を上げる。それを見た下女たちは、袖で顔を隠し、嫌がる様を取っているようであるが、口元は緩んでいる。


 「おい。小僧。正木家のお屋敷に侵入したことは大目に見てやる。ここへ来て、呑もうや」

 「ほうじゃ、ほうじゃ。惚れた女子を忘れるくらい呑み明かそうや」

 男たちは、お銚子を持ち、権兵衛を招く。

 「小春ー!小春ー!権兵衛じゃー!」

 男達を無視して権兵衛は再び叫ぶ。

 「こいつ、しつけえぞ!」

 「ぐっ!・・・」

 怒った、屋敷の一人が、権兵衛の腹を蹴ったぐる。

 「小春・・。」

 「こいつ、また!」

 口から涎を垂らし、苦しみながら権兵衛は前に進もうと掴んでいる男たちを引き摺る。

 「いい加減に止まれ!」

 引き摺られそうな男たちはとうとう権兵衛を組敷く。権兵衛は、遂に地面に腹ばいに押さえつけられる。頭の上から押さえつけられ、顔を庭に押し付けられる。

 それでも、権兵衛は顔を少し上げる。

 「小春ーー!」

 もう一度、力一杯叫ぶ。

 「このっ!」

 それに頭を押さえつけた男が更に力を込め権兵衛の顔を地面に叩きつける。

 「いい加減、おとなしくしろ!」

 これには、流石に権兵衛も身動きが取れず、声も上げられない。

ここまでか・・。薄れそうな意識の中権兵衛は、苦虫を噛みつぶす。


 「小春様!」

 驚く下女の声が、響く。

 その声に皆一斉に、視線を向ける。

 「小春様。何て恰好を!・・羽織れるものを!」

 真白の肌襦袢すがたの小春が、男たちに組敷かれている権兵衛に走り寄る。下衣部分は乱れ、白い下肢が露わになっている。その姿に、男達も騒然となる。

 

 権兵衛の頭を押さえていた力が緩み、何とか顔を上げる。

 縁側に出た小春に下女は長目の着物を羽織らせる。

 小春は、そのまましゃがみ権兵衛に心配の眼を向ける。

 その姿勢で、また白く艶やかな下肢が露わになる。男達はその姿に唾を呑み込むが、当の小春はそれどこでは無かった。

 「権兵衛、権なの?」

 「こ、はる」

 小春の問いに、苦しそうに権兵衛は応える。

 「皆さん。放してくださいまし。その者は、黒田権兵衛。侍大将黒田紋次郎殿の長子、権兵衛殿です。私の幼馴染です」

 「な、何と!黒田家の!?」

 小春の弁に驚いた男たちは慌てて、権兵衛から退き、両脇から抱え起き上がらせる。

 権兵衛は、何とか、庭にしゃがむ格好となる。

 「それなら、そうと早よ言ってくれりゃ・・・」

 「権兵衛殿。このことはお父上には内密に・・」

 権兵衛を起こし終えた男達は分かり安く掌を返し、おびえなら囁く。そして権兵衛の着物についた砂利を優しく払っている。口元の血を拭ってやる者も居る。

 それほど黒田家、いや黒田紋次郎は里の中でも一目置かれている。尤もそのことを権兵衛自体が良しとしていない所が、権兵衛の自意識に現れている。


 「一体どうしたの権?それにその怪我は?」

 権兵衛の着物中の血の滲みを見るにつけ小春が心配そうに尋ねる。昼間の嫌な予感が現実になっている事に気がついて居た。

 「小春、新が・・。」

 「新が?」

 その言葉に小春の胸の鼓動が激しくなる。嫌な予感程何故当たるのだろうと小春は、心の中で呟く。

 「権兵衛殿と話が有ります。彼を奥の間へ」

 小春が、男達に指示を出す。

 「それには及ばぬ」

 間髪入れずに男の声が響く。皆、声の方へ向くとまた肌襦袢姿の正木団十郎が立って居る。

 それを見て、権兵衛はうなだれる。

 「もはや、小春殿とは夫婦。妻のことを知るは夫たる者の勤め、まして婚礼の宴の当家へ無断で侵入したこと如何に黒田家のご子息であろうと本来ならば即斬って捨てるところ・・。それを許すのじゃ、この場で話してもらおう」

 正木は、ドスドスと足音を大仰に立てながら縁側でしゃがんでいる小春に近づきながら発する。その声からは明らかに怒気を帯びている。

 「あらら。若は、初夜の契りを邪魔されて腸が煮えくり帰っている様子じゃ」

 「ほうじゃのう。若もまだまだ若いのぅ」

 家の者は、正木の様子に面白がっている。

 「あら。そうでしょうか?いくら夫婦といっても、男と女。互いに秘密は付きもの。何でも互いの事を知ってしまえば、面白味もなくなるという物。それに、私は、団十郎様の物では有りません。私にも人としての意思が御座います。そこをご理解くださいませ」

 負けじと小春がぴしゃっと言い放つ。小春は、言いながら正木の眼を見上げる。その眼光の鋭さに、正木は気圧される。

 「小春殿。良く言った!」

 「こりゃ。小春殿に軍配じゃ」

 「ほうじゃ。若。尻に敷かれておきなされ」

 屋敷の男たちが喚声を上げる。これには、下女たちも頷いている。

 「契りはこれからいつでも出来まする。今宵は我慢し我らと呑みましょう!」

 「ぐっ・・!好きになされい」

 いたたまれなくなった正木は、奥の部屋に引っ込む。

 

 「さ、さ、権兵衛殿。こちらへ」

 正木が下がった後に、先程権兵衛を組敷いた男がうやうやしく声を掛け権兵衛を立たせ促す。

 

 奥の間へ通された権兵衛は、小春と向かい合って座る。権兵衛の息は依然として上がっており今にも倒れそうである。それもそのはず、この時の権兵衛は全身の怪我をしたところはすっかり開いており再び出血しているほか、折れていたあばらは先程の格闘で更に胸を圧迫していた。

 ここに来る途中、小春は権兵衛の手当を申し出たが、その時間すら惜しいと断固として権兵衛はそれを拒否した。そのただならぬ気配に流石の小春も従う事にした。


 「・・・新が、どうかしたの?」

 権兵衛に白湯を差し出しながら、恐る恐る訊ねる。小春の胸は嫌に早まる。

 部屋の隅に一つ燭台の灯す明かりのみ、薄暗い部屋である。

 権兵衛は、差し出された白湯を一気に流し込む。その口角から白湯がしこたまこぼれる。人心地ついた権兵衛は、息を大きく吐き、決意を込めた眼を小春に向ける。その眼に小春の胸は更に早まる。

 

 「ええか、小春・・・。」

 権兵衛は、赤鯱の残党が花嫁行列中に小春を攫おうとしていた事、それを知った新之助が照山に分け入り残党の棲家に乗り込もうとした事、残党との戦い、赤鯱副将、高木朔兵衛との死闘・・・。一部始終を一気に捲し立てた。

 それを聴いている小春の顔は、見る見る蒼白くなり雪より白くなっていくのが、薄暗い部屋でも見て取れる。正座している太腿の着物をギュッと握りしめ、あまりの強さにめくりあがり肌が露わになる事も気付かない。


 「・・・新は、今、橘様のとこで診て貰っとるが、こっちゃの声掛けにも反応せん。・・・もしかしたら・・・」

 権兵衛は、言葉を止め、奥歯を噛みしめる。

 小春の眼には、大粒の涙が溢れ、手で口を押さえる。


 「・・・助からんかもしれん・・・」

 ようやく絞り出した権兵衛。

 小春の両頬を涙が流れ、口を押さえた手を越え太腿に落ちる。

 

 「新は・・・、あいつは、最期までお前に、小春に言うなって言っとったが、儂は、今にも死にそうなあいつを見て、どうしても放っておけんかった・・・。新が居んかったら、とっくに儂は死んでっおった・・・。お鈴に会えんかった・・・。でも、でもよう、あいつは、小春ン為に誰にも知られんと戦って、このまま死ぬんかと思うと、儂は・・・、儂は・・・悔しゅうて悔しゅうて・・・。」

 今度は権兵衛が大粒の涙を流す。その様子を小春は、止まらない涙と共に見つめる。その瞳には、光が宿る。


 「小春・・・、どうか・・・、どうか、新のとこに行ったってくれんか?そいで、新に声を掛けてくれんか。儂らじゃ駄目なんじゃ。小春じゃねえと・・・。」

 嗚咽を交えながら、権兵衛は、小春に詰め寄る。その手は、小春の両腕を掴み、俯きながら嗚咽を漏らしている。

 小春は、権兵衛の肩に優しく手を添える。

 その感触に権兵衛は、顔を上げる。そこには、真っ直ぐとこちらを見つめる力強い瞳がある。

 小春は、そのままゆっくりと頷く。それにまた堪えられなくなった権兵衛は、嗚咽を漏らす。


 「すまねえ小春・・・。すまねえ・・・。」

 「ううん。言ってくれてありがとう・・・。私、何も知らないままだったら・・・。」

 二人は掴み合い、泣く。


 「でも、ここから抜けだすにはどうすれば・・・。」

 「ほうじゃのう・・・。」

 一通り泣き終えた二人は一転、頭を抱えている。それもそのはず、今の正木家は、婚礼の宴で人の出入りが激しく、屋敷の方々で酒を酌み交わすものが居る。又、それを給仕する者も屋敷の下女だけでなく、他の家の者も駆り出される程多く居る。

 とにかく、人の眼を避け、主役の新婦が屋敷を抜け出すことは至難中の至難の事である。


 「・・・儂が、ひと暴れしようか?」

 「馬鹿!そんなことしたら、次こそ正木様に斬られるよ。」

 「でもよう、他に手はあんのか?」

 「ちょっと待って、考えるから・・・。」

二人は、腕を組み考え込む。


 「御免。」

 部屋の外から、急に男の声がする。

 飛び上がる程驚いた二人は、顔を見合わせる。

                              第三十幕 【了】

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