第二十九幕 闇に走る

第二十九幕 

 息を切らしながら、夜道を走る人影がある。その人影は、城の大手門前の大路をふらふらとなりながら進む。

 大手門前の大路は、里の子ども達の遊び場である河原に掛かる橋から続き、橋より城側が上級の武家町や商家が並ぶ。反対に行くと、下級武士の家や農家が点々とする郊外に続く。

 黒田家、一ノ瀬家、坂田家は郊外。正木家は武家町にある。

 特に正木家は武家町でも城の主殿に直ぐ近くの門の正面に位置している。

 大路が大手門にぶつかると、板塀に沿って同じ幅の路が左右に続く。右が商家が並ぶ商売横丁、左が正木家を筆頭とした武家町に通じている。人影は、大手門を左に曲がる。曲がる際にもふらふらしており、今にも倒れそうで門の護衛の兵一人が思わず。

 「おいっ。」

 と声を掛けた。

 人影は、それには応えず、ふらふらと闇に消えていった。

 護衛の兵は、互いに顔を見合わせ、首をかしげる。


 人影は、長い板塀沿いの路をひたすら駆けるが、ついに足元がもつれ前のめりに倒れる。顔を着く前に、両手を地面に着くが堪えきれずに地面に突っ伏す。

 

 権兵衛は、布団の中で眠れず、悶々としていた。

 「・・・のう。お鈴・・。」

 「はい。ふふっ、まだ眠れないのですか?」

 枕元に控えるお鈴は、両頬を上げる。

 

 「・・・新之助は、もしかしたらこのまま助からんかも知れん。」

 「えっ!?そんなこと・・。」

 「ええから、聞いてくれ。」

 権兵衛は、顔を歪めながら、傷む身体を無理やり起こす。

 「権様・・。」

 お鈴は、権兵衛に手を沿え起きるのを介助する。その手をそのまま権兵衛の背中に置く。

 「・・・先刻も言ったが、儂は、お鈴や彦保兄弟、親父が居て、倖せじゃ。だから、生きたいと思っとる。」

 「はい・・・。」

 「・・・じゃけど、新之助、新には今、誰もおらん。新を繋ぎとめる誰かがおらん・・・。」

 「それは・・。」

 「・・・そもそも、今回の事は、小春の為、小春の婚礼を邪魔させない為に新と命を張って戦ったんじゃが・・。新は言った。小春の本気の覚悟の邪魔はさせんと・・。あいつは、小春が別の男に嫁ぐ事を邪魔させないために、ああなるまで戦った・・。」

 「はい・・・。」

 「儂は、思う。儂はこんなに倖せじゃのに、新は・・、一番報われにゃ成らん男が、惚れた女の為に戦ったんにその女に知られる事無く、看取られる事無く、逝ってえんんかって。」

 お鈴が触れている権兵衛の背中が震えてる。

 「儂は、ずっと新を妬んでいた。何を考えているか分からんクセに、小春やお師匠様に気に入られているところや、何より剣の腕が抜群で・・・。どんなに追いつこうとしても背中も掴めん・・。」

 お鈴は、権兵衛の背中をゆっくりさする。

 「でもな、共に戦って分かったんじゃ、あいつは、ホントに凄い奴じゃ。あいつのお蔭で儂はこうしてお鈴と・・。あいつは、こんな所で死んではいかん奴じゃし、あいつは儂の一番の・・。」

 「はい。」

 権兵衛の背中は一層震える。お鈴のさすっている手は温かい。

 

 「お鈴。」

 「はい。」

 「・・・儂は、これから、正木家に走り、小春に新の事を伝えようと思うとる。間違っておるのかも知れんが、儂は、儂は・・。」

 背中のさする手が止まる。

 「・・・分かりました。」

 「ええんか?」

 権兵衛は、勢いよくお鈴に眼を向ける。

 お鈴の手は、背中から権兵衛の手に移る。お鈴は、権兵衛の眼をしっかりと見据え。

 「但し、今後、無茶なさりたい時には、必ず私に伝えてください。良いですか?」

 「お、おお。」

 お鈴の大きく真っ直ぐな眼に気圧される権兵衛。

 「しっかりと。やり遂げてください。」

 「ああ。」

 権兵衛は、お鈴の手を借りて、ゆっくと立ち上がる。


 顔を上げた権兵衛は、突っ伏した際に、砂利が口に入った為、吐き出す。すると、血の味がする。どうやら口の中を切ったらしい。

立ち上がろうと力を入れるが、全身に痛みが走り、再び顔を地面に突っ伏す。どうやら、治療された傷が開き出血しているようである。

 それでも権兵衛は、全身を震わせ、地面を掴む。身体中に電撃が走り、熱を帯びる。

 「ああっ!」

 権兵衛は、腹の底から声を絞り出し、ようやく顔を上げる。その口からは、血が混じった唾液が地面に落ちる。

 全身を震わせ、片膝を付き、電撃と熱に耐え権兵衛は再び立ち上がる。

 もう一度、口から血を吐き出し、よろよろと走り出す。

 城の塀に沿い、暗い路を正木家に向かい息も絶え絶え走る。正木までおよそ一町のところで、正面より人が歩いてくる影が迫る。

 今宵は、月明りも暗く何者かは分からぬが、そんなことに構っている余裕はない。


 「権兵衛殿」

 影とすれ違う間際、自分の名を呼ばれ思わず立ち止まる。

 自分を呼んだ声はどこか聞き覚えがあるが、思い出せない。

 息を乱しながら、その者をみているとゆっくりと近づいてくるのが音と影で分かる。

 権兵衛は、何となく刀に手を掛ける。

 「こんなところで如何した?今、そちらに向かおうとしておったところでしたぞ」

 影がより近くなり、ようやくその者が、宇藤徳兵衛であると気が付く。権兵衛は、刀に掛けた手を放す。

 「おおっ、宇藤殿でしたか。こ、小春・・。式はどうなりました?」

 「式?ああ・・。宴もたけなわでお開き、酔い覚ましにお二人の様子を見に行こうと・・・。それより、どうなさった?泥だらけでは無いですか?」

 宇藤は、相当に夜目が効くと見え、先程、暗がりで迫る権兵衛を見極めたことといい、今は権兵衛の姿が見えている様である。

 「式が・・・したら今頃・・・」

権兵衛は、首を大きく横に振り、宇藤に詰め寄る。

 「わ、儂は、小春にどうしても伝えにゃならんことがあるんです」

 宇藤の眉が僅かに上がる。

 「ほう、何をですかな?分かっておいでかと思うが、今頃新婦殿は・・・」

 「わ、分かっちょります!・・・じゃが、儂が・・・儂が、新の事を、あいつの事を小春に伝えんと・・・」

 「新とは、朔兵衛を討った、あの大怪我した男ですかな?」

 「そうです!その新が、命を張って、小春を守ったことをこのまま小春が知らんで、正木団十郎と結ばれるんわ・・・。それに新は、今もういつ命が尽きてもおかしゅうないんです。このままやったらあいつ・・・。もうあいつを引き止めんのは小春だけなんです。だから、儂は・・・」

 権兵衛は、涙で声を震わせながら、捲し立てる。

 「成程、だから、正木家に乗り込み、今正に結ばれようとしている若と小春殿の初夜を台無しにすると・・・」

 「それは・・・それは、分かっちょります!間違っていると!じゃが、だからと言って、このまま何もせんだったら、儂は、儂は、もう日向を歩けん!咎は受ける覚悟です!」

 「その覚悟は、分かりました。しかし、某は正木家の者。次期当主となられる若の婚礼を邪魔されてそのまま通す訳には・・・」

 宇藤は、刀に手を掛ける。宇藤の纏うものが一気に渦巻く。

権兵衛は、肌が粟立ち、下がりながら刀に手を掛ける。

 「ほう、やる気ですか?そもそも、その身体で某に勝てますかな?」

 「宇藤殿、どうか、どうか通してください!斬るというなら、後で幾らでも斬られます故!」

 「そもそも、小春殿も婚礼の事は覚悟して臨んでいるはず、それを新という小僧は分かっているから、黙ってやった事では薙いでかな?これも戦国の定め、良くあることですぞ?それが、分からずば、侍大将の黒田家は継げませんぞ?」

 「分かっちょります!全部分かっちょります!」

 「なら、そのまま引き返してお帰りなさい・・」

 「じゃが、じゃからと言って・・・、このままで良い訳が無いんじゃ!いっちゃん分かって欲しい人に知られんで、命張って死んでいく・・・。そんなん戦国の定めでも儂ゃ許せんのです!どうか、通してください!」

 

 カチャ

 宇藤が鯉口を斬る音が聞こえる。

 権兵衛は、体勢を低くし、刀に手を掛けたまま身構える。

 宇藤の眼が闇に鈍く光りこちらを貫いているのが分かる。

 

 宇藤の氣に圧されどのくらい時間が経ったことであろう?権兵衛には無限に感じられた。しかしここで引くわけにはいかない権兵衛は、身じろぎせずに宇藤の光を捉えている。


 「ふっ・・」

 不意に宇藤が、口角を緩め、鯉口を納める。同時に宇藤の氣が緩む。

 「行かれるがよい」

 「えっ!?よろしいのですか!?」

 「さあ、早う行きなされ!急がねば、取り返しのつかなくなりますぞ!?」

 「は、はいっ!」

 権兵衛は、刀から手を放し息を大きく吐き出し、宇藤に頭を下げる。

 「権兵衛殿」

 宇藤は、駈け出そうとする権兵衛にもう一度声を掛ける。

 権兵衛は、首を捻り宇藤を見る。

 「今宵、権兵衛殿と某はここでお会いしていないという事でよろしいな?」

 「は、はいっ!」

 権兵衛は、身体も宇藤に向けてもう一度頭を下げ、正木家の方へ駈け出す。

 それを、眩しいものでも見るように眼を細めて宇藤は見ている。

 「さて・・・」

 権兵衛を見送った後、宇藤は、独り言ち何処かに闇に消える。

                             第二十九幕 【了】

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