贈り物
昼下がりの林の中。
翡翠に輝く、湖面。
草花を揺らすそよ風が、
火照った頬を冷ます。
「また、会いましたね」
初春の花の蕾のような彼女と、
視線が絡み合う。
早鐘を打つ己の心臓が今はただ憎い。
「こんにちは。また抜け出してきたんですか?」
「それは、あなたも同じでしょう?」
困ったような、嬉しような。
多くの色を秘めた微笑み。
瑠璃色の瞳が、
青空のように澄んだ水色の髪が、
彼女の全てが美しい。
僕と彼女は現実からの逃亡者、
或いは居場所の無い仔羊か。
「農民は、大変ですよ。くわを担いで、朝から昼まで畑を耕したら今度は草むしり。これを毎日」
ここでの逢瀬も今日で七日目だ。
「あら、私だって堂々と町を歩いてみたいものだわ。でも、私にはそれができないのよ」
「だからいつも隠れてここへ?」
「ええ、そうよ」
不相応な
二人の熱を上げる。
互いの指と指を絡め、
揺らぐ湖面を眺めながら。
彼女は翡翠に輝く、髪を靡かせ言った。
「ねえ。駆け落ち、しましょう?」
鼓動で波立っていた心が、凪いだ。
「無理だ」と心の中で囁く。
僕と彼女の身分は、市民と貴族。
決して相対する事のないはずの関係だ。
「なぜ?」
答えは、知っていた。
それでも問わずには居られなかった。
「なぜって……」
ひと呼吸おいて、
明るい水色の瞳を潤ませて、口を開く。
「恋をしてしまったから。それでは、だめ?」
――嗚呼、やっぱり。
僕もひと呼吸おいて、言葉を紡ぐ。
「恋なら諦められる。僕達は結ばれてはいけない」
僕は懐から一つの
それをそっと彼女の白い首筋に掛けた。
「私を振るくせに、優しいのね」
「ごめんね、人と精霊は結ばれるべきじゃない」
二枚貝のような
それが決して見えぬよう、
呪言の力だけを残して作り上げた。
――彼女が中の言葉を見てしまわないように。
恋をした
そうならずに結ばれた人と精霊の結末は、
歴史が強く物語っている。
「さようなら、湖の乙女」
「さようなら、優しき人」
彼女が糸の切れた木偶人形のように地面に倒れる。そのままではいけないと、そっと支えてやった。
青空のように澄んだ水色の髪が美しい少女。
きっと少女が目を覚ませば、
僕は日常には戻れないだろう。
貴族を拐かしたと言われては、
市民に弁明の余地などあろうはずもない。
だから僕は名残惜しいけれど、
その場を後にした。
後日、町でとある貴族の令嬢が、
町民に片っ端から聞き込みをしていると耳にした。
なんでもラピスラズリの
なんにせよ町外れで農業を営んでいる僕には関係のない話だった。
――コン、コン
朝昼夕の仕事も終え、自宅でくつろいでいたところ、扉が叩かれた。
――こんな時間に客人?
薪割りの斧を片手にゆっくり扉に近づいた。
「どちら様でしょう」
賊が律儀に扉を叩くとも思えないし、
日も沈みかけた時分に町外れまで来る者などそうそういない。
「あの、優しき人と言う方は貴方で間違いないでしょうか?」
ドキリと心臓が跳ねた。
手にした斧がするりと、
手のひらから抜け落ちた。
そっと扉を開く。
外に立っていたのは、
青空のように澄んだ水色の髪が美しい少女。
「どのような御用でしょうか?」
声が震えていた。
「あなたにとある方の言伝と、私個人のお伝えしたいことがございます」
少女はラピスラズリの
「優しき人に幸あれ、湖の精霊のお言葉です。
そして――――」
二つの影が交わった。
この時僕は確かに見た。
淡く輝く瑠璃色の
幻想短篇集 弓場 勢 @sei1008
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