忘れ形見―2
今日は一年に一度の哀悼の日。
他の店は閉まっているけれど、私の店の扉には〈OPEN〉と書かれた扉がぶら下がっている。
しゃらん、しゃらんと心地よい音を立てて扉が開かれる。
「いらっしゃいませ」
自分にできる精一杯の笑顔を浮かべた。
「こんにちは、テリシアさん!」
違う、私の名前はテリシアじゃない。
それでも笑顔だけは絶やさない。
「今日もコーヒーですか?」
「はい、いつも通り濃いめので」
「分かりましたした」
込み上がるものを必死に堪えて、微笑む。
抽出機に手を掛け、慣れた手つきでコーヒーを淹れる。今日は会心の出来だ。
目の前の彼はカップを白い指で持ち上げ、口へ流し込んだ。
黒い液体は口をすり抜け、骨を伝い、ボタボタと椅子と床を汚していく。
「今日も、冒険しに行くんですか?」
私は見てみぬふりをした。
彼が異変に気付くことは無い。
「青の庭園に行こうと思って」
青の庭園はこの国の者ならば誰もが知っている。何百年も昔から存在し、二十年前のとある日を除いて、毎日咲き誇る不思議なネモフィラの花畑。
「まあっ、綺麗なお花がたくさん咲く、あの?」
努めて明るい声と顔で、口にする。
「はい、あの青の庭園です」
目の前の骸は嬉しそうな声でカラカラと笑った。
「ウィリアムさんたら、もうっ」だなんて、笑顔で言うけれど、私は彼の顔も知らない。
彼も自分の名前を認識出来ない。
「それじゃあ、今日の夜また来ますね」と席を立つ彼に、何かを感じてしまったのか。去年、一昨年はもっと上手くやれたはずなのに。
作り置きしておいた弁当を渡したら飛び跳ねて喜んでいた。
そして、彼は店の扉を潜り街の外へと向かう。
今日は哀悼の日。
この日から一年後、彼は再び目を覚ます。
夜になるまでの短い間、
母の面影を胸に抱き、
それはただ一つの
窪んだ眼に映るたった一人の愛する人に想いを伝える為に彼は
私の名前はネモ。
父を知らぬ私に母が残した父の忘れ形見。
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