判断

どうも紅葉です。今回は私の体験からのお話です。もし良ければ。

さてと人間は集団心理を使い自分を上に見させたいという人がいます。所謂カーストですよね。一番上に威張ってる人で中間にはイエスマン下はそれに入らない人かな。多分そういうことだと思います。違かったらごめんなさい。

私が思うには、実にくだらない。なぜならそこでの階級付けなので。その人がバラバラでひとりだったら。何も知らない土地で、そんなことをやって見てください。はい嫌われます。なので私は意味がないと思います。人それぞれですから考えは色々です。なので参考程度に。

私が何が言いたいか、それはそんな集団になって行動らから感覚が狂うということです。こんなこと聞いたことありますか。

赤信号皆んなで渡れば怖くない。これは例なのでやってはいけません。

その例は現代社会を、表しているかの如く分かりやすいだと思います。間違った事をやっても怖くない。

例えば十人がいました。一人が変わっていました。すると変わっているから潰そうとする人がいます。そして集団を作ります。例えそれは違うと思っても集団であるので言いくるめられてしまいます。そしていつかそれが正義となり。いじめが起こります。

そして違うと思っても言いくるめられた人が集まりまたそれも正義となりいじめが起こります。終わることも知らない負のループと思います。そして最後には妬み合いの友情ごっこなので最後には一人になってしまいます。そうなった狂った価値観の世界観という名の集団心理を作ってしまうと最終的にはこうなると思います。これは悪い例です。勿論良い例もありますので集団心理が悪いとは一概に言えません。

なので間違った事を間違っているという事が大切です。それが出来なければ距離を置くとか色々とあります。物事は多数決ではなく自分の目で見る事が大切だと思います。狂った価値観を、不平不満を言うのでわなく、間違っているという事を発言する事が大切です。間違った事にイエスと言う人間はどこにいるのか。その小さい世界観では異端ですが一歩外に飛び出してください。間違った価値観はどちらですか。私が言える事は目で耳で判断しようと言うことです。異端で何が悪い。


後書き

今回はいつもの倍書いてすみませんでした。言い訳としては、きりが悪かったのでこんな形になりました。誠にすみませんでした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異端の哲学 楓 紅葉 @sperk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ