13 桃源に咲く
「……というのが、僕がミシェルから聞いた事の顛末だよ」
涼やかに言った水哉さんは、紅茶の入ったカップを傾けてのどを潤す。
「まあ! では、胡蝶さんはこれからもロレーヌさんにお会いしてくださるんですね」
元町はソーダ・ファウンテンの一席で、わたしは声を上げた。
水哉さんと向かい合って座るテーブルには、シロップソーダやアイスクリームが並んでいる。なにを隠そう、ほぼすべてが彼のおやつだ。わたしはサンドイッチをいただきながら、ロレーヌさんの恋物語を根掘り葉掘り尋ねた。
「ミシェルは一週間も祝杯をあげつづけているよ」
「よっぽど嬉しかったんでしょう。やっと恋が実ったんですもの」
「まだ恋人になったわけではないが。せいぜい報われることを祈るとも。報われない恋は物語の定番だが、当人たちにとってはこれほどおもしろくない話もない」
先日、ロレーヌさんは、胡蝶さんにヒヤシンスの石をはめた指輪を贈った。
輝石の提案したのは水哉さんだ。さらに指輪を選んだのはロレーヌさんだった。文明開化後、もっともはやく日本人に受け入れられた装飾品で、永遠の意味を持つものだから。その台座に枯れない石の花を飾り、一生分の愛を誓うと言って出かけた彼はついに想いを遂げたらしい。
「素敵ですね……」
恋物語にうっとりしながらつぶやく。水哉さんは片眉を上げて皮肉げな笑みで応えた。
「君の言うとおり、実に素敵な話だよ。これで君も晴れてこの件から足を洗える。これは僕からの心ばかりの祝いの品だよ」
「お祝い? わたしにですか?」
水哉さんはすっかり空になった甘味の食器が並ぶテーブルの上に、白い桐の小箱を置いた。
「開けてみたまえ」
言われるがままに受け取った箱を開く。小さな箱のなか、綺羅をまとい、
「あ、ありがとう存じます」
とはいえ無性に申し訳なくなったのは、本当にお祝いされるべきがわたしではなくロレーヌさんだからだろう。
「わたしがいただいてしまっていいのかしら。今日は、クリスマスのような記念日でもなんでもないでしょう」
「では、記念日ということにしておこう。僕が君に帯どめを贈りたくなった記念日だ」
水哉さんは即興で謎の記念日を作り上げてしまった。
「でも、こんなに立派なもの……」
なんでもない日に過分な贈り物をもらうのは、やっぱり恐れ多い。
「立派」
水哉さんはまごつくわたしの言葉を繰り返す。
「すると君は、とうとう宝石の鑑定眼でも得たのかい」
「もう、意地悪をおっしゃらないで。鑑定なんてできません。だけど、これがわたしには身に余るものだということはわかります」
「……ダイヤ、エメラルド、アレキサンドライト、ルビー、エソナイト、サファイア、ターコイズ。僕にとって君にふさわしいと思ってそろえたものだ」
水哉さんはさらっと輝石の名前を並べ立てた。
(ふさわしいなんて、まさか)
わたしは窓辺から差し込む日差しにきらりと輝いた帯どめを見おろして、椅子の上で縮こまる。
「水哉さん……、贈り物もお気持ちも、本当にうれしいんです。でも、こんな大盤振る舞いは……その、勘違いなさる方もきっといらっしゃるわ」
大切なものを贈るほどに大切に想われている。そんな風に思いあがりそうになる。
「だから……」
「問題ないとも。僕が宝石を売るのではなく、贈るのはこの世にただ君ひとりだからね」
そういうところだ。
わたしは反論をぐっと飲み込んで、言葉を選んだ。
「宝石をいただかなくても、わたしはちゃんとおそばにいます」
もう代価は十分すぎるほどにもらっている。この期に及んで、わたしはなにを望んだりもしないのに。
「僕が贈りたいんだ」
そんなわたしに、彼は『そういうところ第二段』を披露したのだった。
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