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考古学の問題点」への応援コメント


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    考古学的な物証となりうるものに、金印1つ、銀印2つがあり得ますね。
    それよりも前の時代の金印が見つかってるんだから、可能性は3倍はあるハズ(笑)

    追記です
    銀印のソースをと言う事でしたが、もちろん魏志倭人伝に書いてあります。
    卑弥呼には金印が贈られていますが、使者として行った難升米、都市牛利はその労を労うため銀印青綬を受けています。

    原文
    今以難升米為率善中郎將 牛利為率善校尉
    假銀印靑綬 引見勞賜遣還

    この銀印以外にも魏志倭人伝には+8個の銀印が贈られてる可能性もあり合計すると
    金印1個、銀印10個が日本のどこかにある(潰されてなければ残ってるかもしれない)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ん? 銀印というのは初耳です。
    ソースをご存知でしたらぜひ教えて下さい。
    ちなみに金印は、持ち運び可能というのが厄介なんですよね。もし見つかったとしても、出土位置イコール、奴国(委奴国?)あるいは邪馬台国とは限らないわけでして。……
    なお福岡志賀島出土の金印も、そもそも贋モノである可能性濃厚です。出土時の状況もアヤシいし、刻字の技法が古代のものではないのだとか。
    ですので考古学情報をどう解釈するべきか、というのは非常に難しいですね。


    追記
    ソースご提示、ありがとうございます。
    ホントですね。ちゃんと明記されてるじゃないですか(驚)。何故か見逃していました。
    ……つかその銀印青綬について言及している人自体、全然見かけないですね。琉球王がもらった銀印に関しては有名ですが。

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