考古学の問題点

 邪馬台国論争は非常に盛んで、様々な、

「邪馬台国は○○にあった」

 という論説が存在します。専門家のみならずアマチュアも加わり、長年大いに盛り上がっています。

 ですが、特にアマチュアの説の多くは、考古学的成果による裏打ちがありません。


 この点、非常に重要です。単に前出の魏志倭人伝記述を解読し、

「こういう順路ならこの場所に辿り着く筈。この場所は昔○○という地名だったし、邪馬台国はここに違いない」

 といったレベルの推測ではお話にならないのです。

 地図を眺め、距離や方角をあれこれ検討し、地名等を考慮しながら、

「ここだ!!」

 と言うだけではダメです。机上の空論というヤツです。ちゃんとそこに、何らかの考古学的な物証がなければ、全く説得力がありません。


 ですから邪馬台国謎解きにおいて、考古学的検証は非常に重要です。

 勿論、日本中のあらゆる地面をほじくり返して考古学調査を行うのは不可能です。限られた物証しか得られないのはやむを得ないでしょう。

 ですがせめてその、現在判明している物証くらいは考慮すべきだと思います。弥生時代の遺跡だとか、大きな古墳さえも無いのに、

「ここに邪馬台国があった」

 などと主張しても、説得力ゼロです(笑)


 というわけで考古学が極めて重要なんですが、これもまた幾つかの問題があるのです。

 最大の問題は、邪馬台国時代(3世紀中盤)の遺物の年代特定が、非常に困難な事でしょうか。


 例えばアナタの住まいの近所にも、古墳があると思います。

 傍らに教育委員会の立て看板があり、「○世紀中盤の築造」などと書かれています。

 ですがそれって、実はかなり曖昧なのです。信頼性に欠けるのです。


 実際に発掘調査を行い、出土品を放射性炭素(C14)年代測定にかけていれば、まだ多少は信頼出来るかもしれません。

 しかしそれも±数十~数百年……とかなりアバウトな数値しか判明しないのです。測定機関も様々な条件付きでの「参考値」として提示しているに過ぎず、C14法は、弥生時代辺りの考証には特に不向きなのです。


 そのアバウトさを補うのが、例えば年輪年代法といった比較的新しいメソッドです。

 ですがこれにもまた様々な問題があり、信頼度の検証が不十分です。幸田の調べた限りでは、どういう訳だか基礎データさえ公開されていないのだとか。

 ある出土品が3世紀中盤の物なのか後半の物なのかの判別は、卑弥呼邪馬台国論争において重要な意味を持ちますが、結論としてそのわずか数十年の判別さえも、困難なのです。


 さらに厄介な問題は、

「そこに古墳があるからといって、好きに発掘調査出来るわけではない」

 という点です。

 例えば奈良県桜井市纒向まきむく遺跡の箸墓はしはか古墳。卑弥呼の墓ではないか言われており、有名です。

 あの箸墓古墳は、発掘調査は不可能です。何故なら国指定の史跡であり、かつ宮内庁治定陵墓なので、保存のための最低限の調査しか許可されないのです。


「ん!? それなのになぜ、3世紀の中頃から後半頃築造と推定されてるの?」

 という疑問が湧きませんか?


 これも、調べてみると実にアバウトな話なのです。実は古墳周囲や上部の出土品、土器等から、築造年代を推測しているに過ぎないのです。

 周囲の出土品が、古墳本体の築造時期と一致する……という保証はどこにもありませんよね。築造前から有った可能性も、築造後随分経って埋められた可能性もあるわけです。

 また古墳上部の土器や埴輪だって、築造時期よりずっと前に作られた物を配置した可能性を排除出来ないし、築造からかなり経過し修復した際に配置された可能性もあります。


 それらを全て無視し、

「3世紀の中頃から後半頃築造」

 などと推定しているに過ぎません。

 これは全国各地の古墳も事情は似たりよったりで、要するに現代の年代測定技術や考古学上の研究成果から、

「卑弥呼邪馬台国時代の古墳である。遺物である」

 と科学的に特定することは不可能なのです。


 なお、近年は「古墳編年」という研究ジャンルがあります。出土品や古墳の形状等、ありとあらゆるデータを総合的に検証して各地の古墳の築造時期を明らかにしよう、というものです。

 しかしそのベース自体が、既に述べたように参考値に基づく推測に過ぎなかったり、そもそも発掘調査済みの古墳が少なかったり……と、幸田が調べた限りではまだまだ信頼性に欠けるようです。科学と呼ぶにはまだまだだ、と言わざるを得ないでしょう。


 これは特に、卑弥呼邪馬台国時代ならば尚更のようです。つまり「(西暦)何年製造」と明記されているような、年代を正確に特定出来る出土品が、ゼロに等しいせいです。


 このように、邪馬台国謎解きにおいて考古学が非常に重要なのは当然ですが、しかしその考古学自体がまだまだ未完成だという事実を知る必要があります。

 古墳脇の立て看板だけではありません。例えばアナタが博物館に行くと、展示出土品に「○世紀頃」と書かれていますが、あれは全て監修した学者先生の推測に過ぎないのです。アナタがちょっと突っ込んで質問すると、

「いやぁ、……それは○○先生の、自説に基づく推測が書かれているだけです」

 という回答が返ってくる筈です。科学的根拠不十分なのに、大威張りで「○世紀頃」と、時期を断定しているのです。


 私達は、そういう事情を知っておくべきだと思います。

 考古学という学問は、一見科学的に見えます。私達はてっきり、科学に裏打ちされた学問だと勘違いしています。

 しかし実情は、決してそうではありません。まだまだ科学と呼ぶには程遠いジャンルだという事が判ります。


 さらに言えば、考古学は「考」という文字が付いている癖に、そこが不十分な学問でもあります。

 他国の考古学は、地形学や鉱物学、気象学や言語学等々、ありとあらゆる学問のエキスパートが集まってとことん議論するそうです。

 ですが我が国の考古学は、そうではないようです。実際考古学者の見解を見聞きすると、考慮不足を感じる事が少なくありません。

 その点も今後、順次明らかにしていきたいと思います。


 そういった諸々の事情を念頭に置きつつ、次章以降、幸田の魏志倭人伝謎解きにお付き合い下さい。

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