(笑顔なんてろくでもないな)
「……アルミラ様はミハイル陛下のことをどう思っていらっしゃるのですか?」
ある日のことだ。レイシアが意を決したように、アルミラに問いかけた。
レイシアは学園を卒業した後、正式にレオンの相談役――という名のなだめ役――として雇用され、城で働いている。
ミハイルの執務室に出入りしていても咎められない程度には、レオンをなだめられる人材として重宝されているようだ。
「善き王になっていただきたいと思っているよ」
普段ならばレオンかミハイル、どちらかがそばにいるのだが、今はレイシアとアルミラしかこの場にいない。
それというのも、騎士団の訓練に駆り出されたアルミラをレイシアが待ち構えていたからだ。
(……どういう口実で抜け出してきたのかな)
アルミラが訓練に出ている間は、実質的なミハイルの護衛はレオンがすることになっている。
そのためアルミラがいないときは、レイシアも執務室で過ごしていた。
だが、レオンと一緒にいるはずのレイシアは今、アルミラの目の前にいる。
執務室に戻ったら間違いなく、不機嫌なレオンが出迎えることだろう。
「そうではなく、ミハイル陛下のことをお好きですか?」
直球すぎる質問に、アルミラは眉をひそめた。
わざわざ執務室を抜け出してまでする質問とは思えない。
「尊敬しているよ」
努力しようとする姿勢は尊敬に値する。独学で学んできたせいか穴もあるが、その穴を埋めようともしている。
そう素直に告げると、レイシアの顔が難しいことを考えるようにしかめられた。
「……えーと、それじゃあ、ミハイル陛下が誰か――アルミラ様以外を娶ってもいいと、そう思っていらっしゃいますか?」
「そうだね。それなりの女性を娶ってもらおうとは思っているよ」
ミハイルの色恋に対する耐性を上げなければならないが、いつかは国のために誰かを娶ってもらう。それは王である限り、必要なことだ。
ミハイルがアルミラにどのような思いを抱いていようと、そこは変わらない。
貴族とはそういうものだ。
「これは、手強い……!」
お手上げだとでも言うように天を仰ぐレイシアに、アルミラは首を傾げた。
「なにか勘違いしているようだけど、私とミハイル陛下はそういう関係ではないよ」
「私はそういう関係になればいいのにと思っています」
レイシアがどこかどんよりとした雰囲気を出す。曇った目に、アルミラはなにかあったのだろうかと瞬いた。
その気配を察したのか、レイシアの手が胸元で握られる。
「ミハイル陛下が……レオン様の子を世継ぎにしようかと、つい最近おっしゃってまして……それって、レオン様が私以外の誰かに目を向けるか、私がレオン様と結ばれることが必要になるってことですよね。だけどレオン様が他の誰かに目を向けるところなんて想像できなくて、でも今はレオン様とどうこうなるとか、まだ想像できないんです。だけどこのままだとなし崩し的に無理強いされるのではと不安で不安で」
よほどたまりかねていたのだろう。堰を切ったように語っている。
悲痛な訴えを受けたアルミラは、少し前にミハイルと交わした会話を思い出した。
「レイシア嬢が相談役というのはいかがなものでしょうか」
レイシアの業務内容は相談役を越えている。なにしろ、早朝から登城し、レオンを起こしにいく役目まで担っていた。
しかも城にいる間は終始レオンに連れ回され、気の休まる暇もないだろう。
「……彼女が近くにいるだけで、魔力が暴走しなくなるんだ」
そこを咎めると、ミハイルの目がどこか遠くを見た。
レオンは魔力を暴走させるたびに、記憶を失う。平静であれば魔力を暴走させることはないが、毎朝悪夢を見るせいか起床時間が近づくにつれ、これでもかと魔力を暴走させていた。
だが、レイシアが部屋に入ろうとする瞬間、暴走が止まる。起きていないはずなのにだ。
「……本能的ななにかですか」
「そこは愛の力と言ってほしかったな」
その話を聞いたアルミラがぽつりと漏らすと、ミハイルは苦笑を浮かべた。
「レオン殿下の手足を縛った状態で横にレイシア嬢を眠らせたら、完全に暴走しなくなるかもしれませんね」
「それは別の意味で悪夢を見かねないからやめてあげてほしい」
アルミラの提案を即座に却下した。
そんなやり取りがあったので、ミハイルが無理強いをするとは思えなかった。
「少し気が迷ったんだろうね。そんなことにはならないから安心していいよ」
「……そう、ですね。アルミラ様にするようなお話ではなかったのに、申し訳ございません」
目を伏せ謝罪するレイシアにアルミラは「気にしてないよ」と朗らかに返す。
(……どうしたものかな)
ミハイルが世迷言を口にしてしまった原因はアルミラにあるのかもしれない。
ミハイルは誠実な男だ。他の女性に心奪われた状態で、他の誰かを娶るのは不誠実だと考えたとしても不思議ではない。
アルミラが貴族令嬢に戻り嫁ぐのが一番安泰だろう。だが、アルミラにそのつもりはない。
そして貴族ではない者が子を宿したとしても、ミハイルの子だとは認められない。
そのため、王家の血を守るためにも、ミハイルには誰かを娶ってもらう必要がある。
騎士となってそばにいることも、相談に乗ることも受け入れたが、ミハイルの思いだけは受け取るわけにはいかなかった。
アルミラはミハイルの護衛騎士だが、休みなく働くわけにもいかず、月に数回休暇日が設定されている。
その間は別の騎士が護衛につくことになっているが、レオンの不機嫌にさらされたりと胃の痛い思いをしているらしい。
「レオン殿下にも困ったものですよ」
お茶の注がれたカップを持ち、苦笑を零す。
今のアルミラの恰好は騎士服でも、男装でもない。編み込みのされたかつらを被り、女性らしいふんわりとしたドレスを身に纏っている。そして目の前には、同じようにカップに口をつける彼女の兄が座っていた。
王都に帰ってきてからというもの、月に何度かこうして顔を合わせている。
場所はアルミラの実家でもある公爵家の兄の部屋だ。
「色々と鬱憤がたまっているんだろうね」
これまで兄妹らしいやり取りはほとんどなかったというのに、フェティスマ家の一員ではなくなったとたん交流が増えたのだから、皮肉なものだ。
「それを人にぶつけるのはいかがなものかと」
「なにかしらの盤上遊戯をしてみるのはどうかな? ああでも、彼は短気だから……盤をひっくり返してしまうかもしれないね」
「そうですね。彼が最後まで遊べるようなものがあるとは思えません」
負けそうになれば不機嫌になり、手加減すれば馬鹿にするなと激昂する。
かといって、レオンがアルミラに勝てそうな遊戯があるとも思えない。
「それはそれとして、本日はどのような用件でしょうか」
「おや、妹と語らいたいだけだとは思ってくれないのかな?」
「語らうようなことがありませんので」
「それもそうだね」
あっさりと引き下がり、穏やかな笑みを浮かべた。
だが穏やかなのは見た目だけだということは、アルミラにもよくわかっている。
「この家の跡取りをどうしようかと思ってね」
「どなたか娶って子を作ればよろしいのでは?」
「それが難しいから悩んでいるんだよ。僕は体が弱いからね」
「産むのも孕むのもあなたではないでしょうに」
「作るのも大変なんだよ。一体どれほどの体力を使うのか……考えただけで倒れそうになる」
ただでさえ白い顔がよりいっそう白くなっている。眩暈を堪えるように頭を抑えている兄に、アルミラは「そうですか」と気のない返事をした。
「本当はね、君と殿下の子を貰おうと思っていたんだ。二人以上産んでもらって」
「虫唾の走るような話はやめていただけますか」
「だけど、今となってはそうもいかないだろう? ああ、もちろん……君たちにその気があるなら、今からでも遅くはないよ。また王家の血を取り入れるのも悪くないし」
フェティスマ家は王族の者が嫁いできたため公爵位を戴いた。それからも何度か嫁いだり、嫁がれたりを繰り返していた過去を持つ。
だがそれも遠い昔の話だ。今は王家の縁筋とは言えないくらい、王家の血は薄まっている。
そのおかげでハロルドの粛清対象にはならなかったのだが。
「私は貴族でもなんでもない身です。それで子を産んだとしても、王家の血とは認められないでしょう」
「王位継承権は授かれないけど、王家の血を引いていることには変わらないから、僕の養子にする分には問題ないよ」
「問題しかないように聞こえますが」
「そこについてはひとまず置いておこう。僕が言いたいのはね、僕は子を作れないから、君に産んでもらいたいということだよ。だから相手は殿下でも陛下でもいいし、なんならどこかの馬の骨でもいい。王家の子であるのが一番だけど、そこは妥協するよ」
「どうしてそこまでして私に産ませたいのですか。それこそ遠縁の子でも養子にもらえばいいでしょう」
「君の子ならとても元気そうだからね」
四歳で家を抜け出したり、剣や馬術を学んだりしてきた。そんな過去を思い出し、アルミラは納得するように「なるほど」と呟く。
「女の子が産まれたらどうするつもりですか」
「それでも構わないよ。僕は、君にも君の子にも望むように生きればいいと思っているからね。もちろん、フェティスマ家の存続が前提だけど」
兄の口元が綻び、柔らかな笑みを浮かべる。
目も笑みの形を作っているが、人の笑顔ほど信用できないものはないと、アルミラは身をもって知っていた。
「それに、このままだと王家の存続も危うそうだからね」
「……それはどういう意味でしょうか」
レオンはレイシアしか娶るつもりはなく、ミハイルも他の誰かを娶るかどうか怪しい状況だ。そのことはアルミラもわかっている。
だがあえて、それについては口にせず兄がどう思っているのかを促した。
「親が親なら子も子だということだよ。一つのものに執着してしまう悪癖を受け継いでしまっているようで、残念だよ」
「レオン殿下のことですか?」
「殿下については言うまでもないだろうけど、陛下も僕に直接言うほど、君に固執しているみたいだからね」
一体なにを言ったのかと、アルミラは一瞬遠くを見る。簡単に推測できそうで、すぐに考えるのをやめた。
「君のことをあれほど慕ってくれる相手もそういないだろうし、生家と王家の両方を救うと思って添い遂げてみてはいかがかな?」
「私は令嬢に戻るつもりはありません」
「君が厭っているのはフェティスマ家の令嬢だろう? 他の家の令嬢はどうだった? 学園に、僕たちの両親が望むような淑女はどのくらいいた?」
アルミラが脳裏に浮かべたのは、エルマーと親しいレイチェルと、レイシア。それから感情の赴くままに涙を流す友人だ。
どれも、
「令嬢が嫌なら、騎士として功績を積んで爵位を戴いてもいいんじゃないかな。そうすれば令嬢ではなく、女当主になるよ」
「性別を偽っているのにですか?」
「君は最初から女性騎士だった……ということにしてしまえばいいよ。性別も見分けられないような愚か者は城にはいないだろうから、皆同意してくれるはずだよ」
「正直者がいるかもしれませんよ」
「そんな人はとっくの昔に城から去ってるんじゃないかな」
ハロルドは苦言を漏らす者をすべて追い出してきた。城に残っているのは、保身を第一に考える者や、なにかしらの弱みを握れる者ばかりだ。
現在、生存を確認できている者を城に呼び戻す手続きを進めているが、難航している。一度芽生えた不信はそう簡単にはぬぐえない。
「……現在いる者の心まで離れてしまいます」
「そこは陛下と君の求心力次第だね。失うのは惜しいと、そう思わせるだけの功績を上げて彼らの心を掴めばいい。……そのくらいのことはできるだろう?」
穏やかな笑みを崩すことなく、声色だけ冷たいものに変わっている。
(やはり、笑顔なんてろくでもないな)
アルミラは溜息を零し、温くなってしまったお茶に口をつけた。
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