「熱でもありますか?」
城に戻り真っ先に向かうのは、ミハイルの執務室だ。
執務室の中まで立ち入る許可を得ているのはアルミラだけなので、アルミラの代わりに護衛についた騎士は扉の前で痛んだ胃でもさすっていることだろう。
(……交代してやるか)
休暇日ではあるが、一応半日は潰した。少しくらい騎士に休憩時間を与えても、咎められはしないだろう。
そう思って辿りついた執務室の前には誰もいなかった。
(席を外しているのか?)
ミハイルが執務室にいる限り騎士が離れることはない。となれば、今はどこかに出ているのだろう。
(中で待たせてもらうか)
その辺りをうろついて厄介な相手――主にレオンのことだが――と出くわしても困る。そう思い、扉を開けた。
だが、無人かと思われた執務室には厄介な相手であるレオンが一人、長椅子に座り机の上に書類を広げていた。
「……どうしてこちらに?」
「書類の整理を頼まれた」
一瞥すらせず答えるレオンに、アルミラはノックくらいはするべきだったかと後悔する。
いつもならばノックして入っていたことを考えると、兄の話で少なからず動揺していたのだろう。
「なるほど。お邪魔しました」
一礼し、開けたままの扉を閉めようとする。
レオンとアルミラの間には今はなんの関係もない。二人きりで語らうようなこともなく、長居は無用だと判断したからだ。
「待て」
だが制止の声がかけられる。緩慢な動きで振り返ると、手に持っていた書類を机に置き、眉間に皺を寄せたレオンがアルミラをじっと見据えていた。
「話がある」
「私にはありません」
躊躇なく答えると、レオンは苛立った様子で立ち上がりアルミラのもとに向かってきた。
そして扉を閉められないようにと、扉の縁に手をかける。
「聞け。いや、言え。どうしてお前は……俺ではないと言った」
なんのことだろうか、と考える必要はない。レオンがわざわざ聞きたがるような話の心当たりは一つしかなかった。
アルミラはしかたないとばかりに溜息を落とし、前に立つレオンを押しのけて室内に入ると、改めて扉を閉めてレオンと向き合った。
「話を聞きました。マリエンヌ様が落下して少ししてから騒音がした、と」
レオンと二人きりで室内に留まるのは不本意だが、外に聞こえていい話ではない。
マリンエンヌの死がどういうものであったかを知る者は少なく、あの当時城に勤めていた者でも、レオンの魔力暴走に巻き込まれた末の不運な事故だと思っているほどだ。
今さらそれを訂正すれば、マリエンヌは求められて側妃になったのに冷遇された悲劇の令嬢になってしまう。
どこも間違えてはいないのだが、民に愛されていた側妃がどうして死んだのかが広まれば、王家に対して不信を抱く者が増える。
だからあれは、事故でなくてはならない。
「それが確かであれば、あなたが魔力を暴走させるよりも早く、地面に激突していたはずです」
気が抜けた拍子に、涙の一つでも流さないかと口にした憶測でしかない。
だが、ありえる話ではある。
(信じるかどうかは、こいつ次第だな)
どちらに転ぼうとアルミラには関係ない。自分が殺めたと思おうと、そうではなかったと安堵しようと、泣かないのでは無意味だからだ。
「……そうか」
眉間に刻まれた皺も、不機嫌そうに歪んだ唇もいつもどおりだ。その奥でなにを考えているかまではアルミラにも読み解けない。
(罵ってもこいつは泣かないだろうな)
マリエンヌの死はレオンの深いところで眠っていた。それを暴かれた結果が、魔力の暴走だ。
泣くのを通り越して平静を失ってしまうのでは意味がない。
(それに、こいつは自分自身のことが好きすぎる)
塔での暴走により失われたのは、ハロルドとコゼットとの記憶だった。王族として交わした事務的なやり取りは覚えていたが、親子としての対話は忘れていた。
つまり、レオンは自身のことをどうでもいいと思うのではなく、家族のほうを切り捨てた。
「……私はあなたは罪人ではないと思っております」
赤い瞳を見つめ、柔らかな声を意識する。表情は仮面をつけているので作る必要はない。逆に言えば表情以外で感情を表さなければいけない。
「王があなたになにをしたのかは存じ上げません。ですが、あの方が人の嫌がることをするのが得意だということは知っています」
「お前のようにか」
「そうですね、私のように。ですので、なにを考えていたのかは、ある程度推測できます」
もしも本当にマリエンヌを殺めたのがレオンならば、誰からも愛される側妃を害したとして、ハロルドはもっと大々的にレオンを糾弾していたことだろう。
だが実際には大人しく組合に預け渡し、戻ってきてからは次代の王に指名した。
マリエンヌが生きていると思っているコゼットを気遣った、ということはないだろう。
「王はあなたを咎めることはしませんでした。つまりそれは、下手に突かれると困ることが、王にもあった……ということではないでしょうか。……だから私は、あなたがしたのではないと思っております」
「……お前にどう思われたところで、俺にはどうでもいい」
「それならそれで構いません。ただ自身のせいだと責める必要はないと、そう言いたかっただけですから」
アルミラはレオンが毎朝見る悪夢について知っている。
なにしろ、寮で毎朝起こしていたのだ。うなされて漏れた寝言は一つや二つではない。
(贖罪ではなく後悔だったことを踏まえても、こいつが殺したとは思えないな)
悪夢についてレオンが覚えているかどうかはわからない。そのため、それについては言及せず言葉を続ける。
「そもそも、マリエンヌ様が飛び降りたのは王のせいです。悪いのは王であって、他の誰でもありません」
「……父上が?」
「ええ。レオン殿下は王である彼しか知らないと思いますが、本当は性格の悪い人だったのですよ」
「お前のようにか」
「私のように」
「……そうか」
同意はしたが、こうもあっさりと納得されると腹に据えかねるものがある。
アルミラは拳を握り、どこにぶつけようかとレオンを眺めた。
「……悪かった」
だが、その拳がふるわれることはなかった。
気を抜けば聞き逃しそうなほどか細い声に、握っていた拳がほどかれる。
「熱でもありますか?」
「どうしてそうなる」
「いえ、あなたが謝罪などらしくもないことをされているので……そもそも、なにを悪いと思っているのですか?」
「そうではない……レイシアがお前に謝れと言うから、謝っただけだ」
なるほどと納得し、仮面で見えないと知りながら笑みを浮かべる。
「そのような謝罪は受け取れません。それに、一度謝ったくらいで許せるわけがありません」
「……お前も俺の言葉を曲解し、好き勝手していただろう。俺のほうから折れてやったんだ。お前も謝罪の一つくらいはよこせ」
「あなたに謝るようなことはしておりませんので。それに、最初に茶菓子を奪っていったのはそちらでしょう。しかも何年間も。奪われた茶菓子の分だけ謝っていただくか、あるいは泣いて詫びない限りは許すつもりはありません」
「――は? 茶菓子、だと?」
婚約者の親睦として開かれた茶会で、レオンは毎度のごとくアルミラの茶菓子を強奪していた。
そのすべてを覚えているわけではないが、前後で印象に残ることが起きたときのものは覚えている。
それはアルミラもすでに確認済みだ。
「まさかお前……そんなことでか」
「そんなこと、ですか。礼も謝罪もなく茶菓子を奪われ、美味しそうな菓子が目の前で消えていく絶望がどれほどのものか、あなたにわかりますか? あのときほど、淑やかでいなければいけない我が身を恨んだことはありません」
ちなみに男装をしはじめてからは、茶菓子を死守するようになった。
「……その程度のことで、女であることをやめたのか」
「やめてはいません。それに、それだけが理由ではありませんのでご安心ください」
貴族令嬢が合わないと思っていたのは、レオンと婚約する前からだ。
それにとどめを刺したとは言えるかもしれないが、すべてがすべて茶菓子が理由だというわけではない。
「……俺が謝れば、お前は女に戻るのか?」
「だから、やめてはおりません。……レオン殿下が謝ったとしても、それとこれとは別の問題です。私は令嬢であることに疲れてしまったのですよ」
趣味も好みも制限され、好き勝手振る舞うことはできない。レオンという免罪符を手に入れてからはだいぶ好きに行動していたが、それでもちくちくと小言を言われてはいた。
「それに私が女だろうとなんだろうと、あなたには関係のないことでしょう」
「…………俺は、レイシアを娶るつもりだ」
長い沈黙の後、苦々しく呟かれた言葉に、アルミラはレイシアが危惧していたことを思い出す。
(レオンに誰かいい人がいないか探す方向にしたのかもしれないな)
だから女に戻り、ミハイルに嫁げとそう言いたいのだろう。
「俺は……お前の言うとおり、罪人ではないのかもしれない。だが……葬儀を、俺が……まともなものにしてやれなくした……」
いつも以上に顔が険しいのは、そのときのことを思い出しているのだろう。
赤い瞳が揺れ、虚空を見つめている。
「だから俺は……兄上が……結婚するまではと……」
血の気が失せ、青白くなっている顔に、アルミラは溜息を零した。
「まったく、しようのない人ですね。……胸は貸しませんが、肩くらいなら貸してあげましょう」
「どうせ胸も肩も変わらんだろう」
有無を言わせず頭を押さえ、肩に押し当てる。これといった抵抗もなく、レオンは力なくうなだれた。
「悪態を吐く元気があるのなら、まだ大丈夫ですね。思い出すのは別に構いませんが、魔力は暴走させないでくださいよ」
「……俺の魔力操作は完璧だ」
今はまだ暴走していないが、あれ以上気力が失われれば、暴走していたかもしれない。
そうなればこの部屋にある書類はすべて、ただのごみと化す。
「ええ、そうでしょうね。そういうことにしてさしあげましょう。……レオン殿下、泣きたいのならば泣いてもいいんですよ」
「お前の前で泣くわけがないだろう」
「そうおっしゃらず。人は泣くことによって、過去の過ちを悔いるものですよ」
口からでまかせだ。
弱っているところにつけこみ、どうにか泣かせようとするアルミラだったが、扉の開かれる音に意識がそちらに向く。
「アルミラ……?」
呆然とした声に、この部屋の主が帰ってきたことがわかった。
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