「それでも、私は……」
ミハイルがアルミラの兄に助言を求めてからこの娼館に辿りつくまで、一年がかかった。
令嬢らしくない場所を探そうにも、候補はいくらでもある。レオンにも助力を頼みしらみつぶしに探してようやく、アルミラを見つけた。
二年ぶりに会えた彼女は、昔よりも女性らしい装いをしていた。肩よりも短かった髪は胸元あたりまで伸び、多少素っ気ないが女物の衣装を纏っている。
ミハイルの中にあるアルミラの記憶は、男装していたときのものばかりだ。幼少期のドレス姿や侍女姿のときのことも覚えてはいるが、男装しているアルミラと接した期間のほうが長すぎた。
そのせいだろう。見慣れないアルミラにときめき、遠回りな質問ばかりしてしまったのは。
アルミラは聡い。ミハイルの質問の意図がわからないわけではないだろうに、微妙にはぐらかした回答ばかり返ってきた。
ならば直球で、と思いを語ろうとしたのだが、言い切る前に遮られた。もっと早く――それこそアルミラが部屋に入ってきた瞬間に先手を取って言っていれば、遮ることはできなかったかもしれない。
だがそれは、今さら考えてもしかたのないことだ。
(……曲解するのが得意だと聞いていたのに……まいったな)
ミハイルはアルミラがどう行動するのかを知るために、アルミラの兄と、そして付き合いの長いレオンに話を何度か聞いていた。
その中には、アルミラがレオンの言ったことを歪曲して受け止め、好き勝手に行動していたものも含まれている。
――あいつは自分の都合のいいように話を歪めるのが得意だ。
そう言って、レオンは忌々しそうに顔をしかめていた。
レオンとアルミラの間に恋情のたぐいがないことはミハイルにもわかっているが、こうして実際にレオンの言うとおりに行動するアルミラを目の当たりにして、胸が締めつけられるような痛みを覚える。
だがここでへこんでいては、アルミラを見つけた甲斐がなくなる。下がりそうになる顔を正面に留め、前に立つアルミラを力強く見つめた。
「気の迷いなどでは」
「あなたは王です。フェイ様を失い、国力が低下したこの国を思うのならば、有力な貴族女性か、あるいは他国の姫君を娶り、縁を繋ぐのがあなたの役目です」
言い募ろうとしたのをなおも遮られる。そうして、アルミラが鋭い視線をミハイルにぶつけながら一歩前に進み出た。
気圧されるようにミハイルの足が後ろに下がる。
「罪人をそばに置きたいなどという世迷言は、今すぐおやめください」
眉間に皺を寄せ、離れた距離を埋めるようにアルミラが一歩一歩足を進め、呼応するように、ミハイルは思わず後ずさる。
「し、しかし、私は君にいてほしいんだ」
「寝言は寝て言うものです」
きっぱりと言い切られ、ミハイルは言葉に詰まる。
アルミラの言い分はミハイルにもわかっている。国のためを思うのならば、愛の有無など気にせず、妻を娶り他家、あるいは他国と縁を作るべきだろう。
ハロルドの影響で貴族の心が国から離れかけているは今ならば、なおのことそうするべきだ。
(だけど、それでも私は……)
元々ミハイルに王になる気はなかった。自分の至らなさはよくわかっていたため、王を支える臣であればいいと思っていた男だ。
善き王になろうと決意したのは、アルミラがいたからにすぎない。
「フェティスマ公――君の兄は、場合によっては君を迎え入れると、そう言ってくれた」
ぴくりとアルミラの眉が跳ねる。それを見て、ミハイルは唾を飲みこんだ。わずかに崩れた表情から、このまま押し切れるのではと期待したからだ。
「フェティスマ家は、有力貴族だ。醜聞塗れになっているとはいえ、領地の豊かさや他の貴族に対する影響力は以前とそう変わっていない。……そこの娘を娶るのであれば、問題ない、と思うのだけど……どうだろうか」
段々と弱弱しくなっていくのは、アルミラの表情が厳しいものに変わっていくせいだろう。
うかがうようにアルミラを見つめ、返答を待つ。
「……私は罪人ですよ」
静かな声に、ミハイルは顔を歪めた。
――私たちの髪色は色彩が薄いせいか、どんな色にもよく染まります。そして幸い、あの子の女装……いえ、本来あるべき姿を知る者は多くありません。髪を染め、女性の衣服を纏わせて、遠縁の娘を迎え入れたことにしても、気づける者は少ないでしょう。
アルミラの兄は儚げな笑みを浮かべながら、とんでもないことを言ってのけた。
だがミハイルにとって重要なのは、その先に続いた言葉だ。
――あの子が望めば、の話ですが。
そして今、ミハイルの前に立つアルミラは、それを望んでいるようには見えない。
(アルミラの幸せを望むのならば、ここで引き下がるほうが彼女のためになるのかもしれない)
そう思いながらも、ミハイルは掴んでいる手を離せずにいた。
「君は私に自分で考えて選べと、そう言ってくれた。だから私は考えて……罪人だろうとなんだろうと、君にいてほしいと……そう思ったんだ」
一度はアルミラの幸せを願い、彼女を思う相手に託そうとすら思った。
そして顔を見られればそれでいいと、そう思ったこともある。
「君も私のことを憎からず思っていてくれていると……そう思って、だから……」
アルミラと最後に会ったとき、塔の上で交わされた口づけにミハイルはもしかしたら、とそう思ってしまった。
そしてアルミラの顔すら見れない状況に、ミハイルの焦燥は留まるところを知らなかった。
会わない期間が愛を育むとはよく言ったもので、毎日のようにアルミラのことを思い出し、引き下がれないところにまできてしまった。
「あんなもの、なんの意味もありません」
顔を赤くさせながら言い募るミハイルとは裏腹に、アルミラは冷めた目をしている。吐き捨てるような言葉に、ミハイルは息を呑んだ。
「ああすれば隙ができるだろうと、そう思っただけのことです。もしもそれで勘違いさせてしまったのでしたら、申し訳ございません」
「しかし、なにもなくあんなことは……」
「できますよ。証明してさしあげましょうか?」
そう言ってアルミラは微笑み、繋がっていた手をほどいた。
そしてミハイルの肩が押され、いつの間にか後ろに迫っていた寝台の上に倒れ込む。
ぎしりと鳴る音と、顔の横に流れる髪にミハイルは目の色を白黒と変えた。
「肉欲が満たされれば、満足していただけますか?」
間近に迫る整った笑みに、ミハイルの胸にもやもやとした感情が湧く。
――あいつは言葉も表情も嘘ばかりだ。……性悪な顔をしているときだけは本心なのが、なおさら気に食わん。
助言なのか愚痴なのかわからない紙一重な言葉が、ミハイルの胸を突いた。
女性に押し倒されているという状況にもかかわらず、ミハイルの顔は赤くなっていない。それどころか、悲しげに顔を歪めている
(私に本心は見せてくれないのか)
性悪な顔が見たいというわけではないが、作り物の笑みを向けられれば悲しくもなる。
「アルミラ……君は、なにがしたいんだ?」
令嬢らしくないことを好むのは、アルミラの兄から聞いている。
だからといって、異性を押し倒すのはあまりにもやりすぎだ。
「……言ったはずですよ。私には欲しいものがあると」
「ここまでしないと、得られないものなのか?」
レオンとの婚約を破棄すれば欲しいものが得られると、そう言っていたことはミハイルも覚えていた。
だが、婚約破棄はだいぶ前に済んでいる。
「私は、貴族令嬢ではない私が欲しいのです」
その言葉に、ミハイルは心の中で自嘲する。
(……フェティスマ公の言葉を伝えたのは失敗だったか)
貴族をやめたいアルミラに、貴族に戻らないかと持ちかけたのだ。意固地になり強硬手段に出たとしても不思議ではない。
ミハイルは自身の失態を理解し、ゆっくりと口を開く。
「君が望むのなら、貴族に戻らなくてもいい」
ただそばにいてほしい。その一心でここまで追ってきたミハイルにとって、貴族であるかどうかは重要ではなかった。
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