「馬鹿ですかあなたは」

 アルミラは昔から貴族令嬢のありかたが合わなかった。

 貴族にとって子は道具であり、娘は他家との縁を繋ぐための存在だ。そのため、夫となる相手に気に入られるように、しとやかであれと教えられてきた。

 女の子らしくと言われるたびにむくれ、病弱ではあるもののある程度の自由が認められている兄や、三男坊ゆえに対して期待されていない代わりに好きに動ける従兄エルマーを羨んだりもした。

 そうして募った不満から、アルミラは四歳になったある日家を抜け出し――コゼットと出会った。


 アルミラの従兄であるエルマーは、この当時から女性を喜ばせる楽しみに目覚めていた。そんな彼が「やさしくしたらないちゃった、なんでだろ?」と不思議がったことがある。

 そのことを思い出したアルミラは、今にも泣きだしそうなコゼットに花を差し出した。


 そこに親切心なんてものはない。ただ、綺麗な女性を泣かせてみたいという好奇心だけがあった。


 アルミラはこの当時からだいぶ捻くれていた。



そうしてコゼットと密なやり取りをするようなったアルミラは、やはり貴族令嬢は自分には合っていないと確信するに至った。

 コゼットは貴族だからこそ、ろくでもない男との縁を切ることができず、令嬢だったからその男と結婚しなければいけなかった。


 そしてアルミラもまた、貴族令嬢ゆえに気に入らない婚約を結ぶことになった。

 一般的な令嬢であれば、レオンが茶菓子を強奪しようとも微笑み淑やかに振る舞っただろう。

 アルミラも令嬢として育てられている身として、表面上は気にしていない風を装った。だが実際には、泣かせてやると怒りをたぎらせていた。


 国も、ここで暮らす民も好ましく思っているアルミラだが、どうしても貴族令嬢であることだけは好めないまま月日が経ちーーレオンの置かれている状況を知った。


 それ以前からアルミラは、ハロルドがレオンに好感を抱いていないことは推測できていた。

 もしもレオンが魔力を暴走させなければコゼットは壊れなかったかもしれない。自分のしたことは棚に上げ、そう考えたとしても不思議ではない。


 都合のよい駒として使い、最終的には鬱憤を晴らすように踏みつけて捨てるだろう。

 その結論に至るだけの証拠があるわけではないが、アルミラにはそうするだろうという確信があった、


(もしも私なら、そうする)


 アルミラとハロルドは似ている。

 互いに人の嫌がることを好むという悪癖を持ち、目的のためには手段を選ばない。似ていない部分を上げるとすれば、性別と、人は喜びによっても涙を流すと知っているかどうかだろう。


(王は自分のものを壊した相手を許しはしないだろう)


 だからこそ、アルミラはハロルドの計画を見過ごすわけにはいかなかった。

 好ましく思っている国が戦火に覆われることを嫌ったというのもあるが、このまま放っておけばレオンは適当なところで処分され、寡婦となってしまう。


 そしてなによりもーー


(泣かせる前に壊されてたまるか)


 ハロルドが自分のものが壊されたことが許せなかったように、アルミラも自分が泣かせる相手を壊されるのは見過ごせなかった。


(計画を潰した私を王は許さないだろうな)


 レオンを他国に追いやれば、ハロルドはアルミラになんらかの罪を着せるだろう。罪状がなにになるのかは定かではないが、罪人として追われるのは避けられない。


 貴族の生活をしている間は貴族として振る舞わなければいけないが、罪人になればそうする必要はなくなる。

 そしてアルミラには、捕まらず逃げのびるだけの自信があった。

 ハロルドに一泡吹かせ、ついでにこれまで合わないと思い続けていた貴族令嬢をやめることができる。躊躇する理由はどこにもなかった。


 だが結果として、コゼットの介入によりレオンを他国に追いやることはできなくなった。

 王城に侵入し騎士を倒したという罪だけでは、逃げるだけの理由にはならない。しかも一歩間違えば、悪辣な王の策略によって囚われた王子を助け出した英雄になってしまうかもしれない。

 ただ逃げ出しただけでは、貴族令嬢をやめたことにはならない。身分を剥奪されてようやく、貴族令嬢ではないただのアルミラが仕上がる。


 だからアルミラはハロルドに自身の剣を託した。

 予定よりも罪は重くなるが、罪人として追われることには変わらないと考えたからだ。


(――そのはず、だったんだがなぁ)


 両手を寝台につき、その間に閉じ込めているミハイルを見下ろす。そして心の中で苦笑いを浮かべる。

 手間をかけてレオンと国を壊されない状況を作り、罪人になったというのに、新たな王であるミハイルがそれを不問にすると言い出したのだ。苦笑するしかない。


(どうするかな)


 容姿が好みならば一度抱けば満足するだろうと押し倒してみたはいいものの、ミハイルに欲情するようなそぶりはない。

 しかもアルミラは貴族令嬢として育った身だ。伽の作法は、男性に任せろとしか教わっていない。

 男側のことならばエルマー経由で多少知っていたのでこうして押し倒したのだが、この先をどうすればいいのかは知らなかった。


 さすがのエルマーも、ことに至るまでの経緯は語っても、内容までは語らなかった。


「貴族ではない者をどうやってそばに置くおつもりですか?」


 押し倒した後を考えていなかったことはおくびにも出さず、問いかける。


(香でも焚けばその気になるか? しかし、この様子だと一度抱いただけでは満足しそうにないような……一体私のどこをそんなに気に入ったんだ?)


 容姿が好みな相手をそばに置きたいと思うのは理解できる。

 貴族に戻し、愛妾としてそばに置こうとするのもわからないでもない。


 だがミハイルは、貴族でなくてもいいからと言ってのけた。

 一貴族であれば平民を愛妾として迎えることもあるが、王にそれは許されていない。

 たとえ愛妾だろうと、王の子を産むためには貴族としての身分が必要とされる。貴族でない者は王の側妃にも愛妾にもなれない定めだ。


「……父上は、ひどい王だったのかもしれない。だけど、一つだけ……今までになかった事例を作ってくれたことには感謝してる」


 ハロルドが成してきた政策は凡庸なものばかりだ。

 前例のないことなどあっただろうかとアルミラは首を傾げかけ、ある事例に行き着いた。


「馬鹿ですか」


 思わずそう言ってしまったのは、あまりにもありえない方法だったからだ。


「そこまでして私をそばに置いて、どんな得があるというのです」


 ミハイルはただでさえ日和見だと言われて侮られている。そこでさらに無理を通せば、離反とまではいかなくとも、王としての素質はないと見限る者も出てくるだろう。


 ハロルドのように、離れてしまった者はいらないと切り捨てる性格であれば気にしないだろうが、ミハイルはそうではない。

 一度離れてしまった心を取り戻すために、並々ならぬ努力をすることになる。


「君がそばにいてくれる……それだけで、いいんだ」

「私にそこまでする価値はありません」


 女性らしさとは無縁で、令嬢らしい趣味すらない。

 それ以外の特技ならばいくらでもあるが、焦がれるような理由にはならない。


「君は私を助けるために来てくれた……それだけでは駄目かな?」

「そんなもの……知っていれば誰でも助けにいくに決まっています」


 ただアルミラには情報があり、単身で助けられるだけの実力があったにすぎない。

 そう告げると、ミハイルの顔が歪んだ。


「いなかったよ」


 今にも泣きだしてしまいそうな切なげな表情に、アルミラは目を瞬かせる。


「私を助けようとしてくれる人は、これまで一人もいなかったんだ」

「……コゼット様は、あなたを気にかけておられました」

「そうだね。母上の子供である私を気にしてくれてはいたらしい……だけど、手を差し伸べてはくれなかった」

「それは、王のことがあったからで……コゼット様の真意ではありません」

「でも君は、父上の計画だと知っていても私を助けてくれたよ」


 ミハイルの手がアルミラの頬に触れる。撫でるでもなくただ添えられた手に、アルミラはその場から飛びのいた。


「私には私の計画があったからあなたを助けただけです」

「それでも、来てくれたたことが嬉しかった」


 ようやく解放されたミハイルは上体を起こし、微笑んだ。


「だから私は君にそばにいてほしいんだ」

「……あの程度のことで」

「それでも君を好きになるには十分だった」


 アルミラの恋愛経験値はほぼないに等しい。ミハイルが自分のことを好きなのかもしれないと思っただけで、頬を染めるほどだ。

 それを自覚しているからこそ、ミハイルの質問を斜め上に捉え、しまいには言葉を遮った。


「馬鹿ですか、あなたは」


 悪態を吐きながらも、思慕されることに慣れていないアルミラの顔は赤く染まっている。

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