「正気ですか」
赤くなっていたのが嘘のようにミハイルの頬から色が失せ、とまどうように視線がさまよっている。
ころころと変わる顔色にアルミラが感心していると、さまよっていた視線がアルミラで止まる。
そしてミハイルはためらうように何度か口を開閉させ、一度固く目を瞑った後、悲しげな眼差しをアルミラに向けた。
「それは、どうしてかな?」
「陛下がどのような人間であるかは、陛下自身がよくご存じでしょう。私があえてそれを言う必要はないかと」
アルミラがミハイルに抱いている印象は、日和見のことなかれ主義、そしてこんなところまで追ってくる考えなしだ。
その程度のことは、ミハイルもわかっているだろう。そう暗に言うと、ミハイルは考えるように黙りこみ、それからわずかに目を伏せた。
「私が聞きたいのはそういうことではなく、その……なんと言えばいいのかな、異性として、どう思っているかということで……」
色を失っていたはずの頬に赤みが戻っている。もじもじと問う姿は、まるで恋する乙女のようだ。
アルミラは頭が痛くなりそうなのを感じながらも、顔に出ないように注意しながら真っ直ぐにミハイルを見据えた。
「答えられません」
アルミラは先ほどと同じように答えた、ミハイルもまた「……それはどうしてかな?」と同じように問いかける。
「陛下が女性の目にどのような男性として映るかは……私の口から言うまでもないでしょう」
ミハイルは「男性としては頼りない」とまで言われて、火遊びを好む女性にすら敬遠されていた。
レオンという性質の悪い弟がいることを抜きにしても、女性の目からどう見えるのかは、これまでミハイルに言い寄る女性がいなかったことを考えると明らかだろう。
「……いや、そうではなく、女性全般の意見を聞きたいわけではなく……アルミラが私をどう思っているのかを……」
「善き王になっていただきたいと思っております」
躊躇なく答えると、ミハイルの唇が固く結ばれた。悩ましげに歪む顔に、アルミラは首を傾げそうになる。
(おかしなことは言っていないはずだが)
異性として、という点を抜きにしたという意味ではおかしいところだらけだが、善き王になってほしいとは何度か口にした。今さら気にするような言葉ではないはずだ。
なのでここで躊躇する意味がわからず、アルミラは頭の中で疑問符を浮かべながら眉を下げているミハイルの出方をうかがう。
「……君がこの国を好きだということは、フェティスマ公から聞いている」
アルミラの脳裏に儚く微笑む兄の姿が浮かぶ。
兄妹らしい会話をした覚えはあまりないのだが、どうやら兄はアルミラが思っていたよりはアルミラのことを理解していたようだ。
「だから、君が私に善き王になってほしいと望むのもわかるつもりだ。だけど、私は私が善き王になれるとは思えない」
弱気な発言に、自然とアルミラの眉根が寄る。
咎めるような視線を受けたミハイルの表情が歪んだ。
「陛下、そのような弱気では困ります。あなたはもう王となったのですから、善き王になれるよう精進していただかなくては」
「……わかってるよ。だけど、私は……人の命を左右するような決定を下せないんだ」
王というものは、非情な命令を下さなければいけないときもある。
昔の話ではあるが、疫病に侵された村を焼き払った――そんな事例が存在するほどだ。
もしもそのときの王がミハイルであれば、どうすればいいのかを悩んでいる間に病が広がってしまっていたことだろう。
昔と今では状況が違うとはいえ、似たようなことが起きないとも限らない。
ミハイル相手ならば御しやすいと考えた他国が戦を仕掛けてくる可能性もある。
人の命を左右する命令を下さなければいけないときは、そのうち来るだろう。
「しばらくはなにもないかもしれない。だけど、私が王であるうちになにかあって……躊躇している間に取り返しのつかないことになるかもしれない」
「それは……」
アルミラは言いよどみながらも、どう答えるべきかを模索する。
(苦肉の策としては、あいつにやらせればいいと思うが……)
他者に対していくらでも冷酷になれるレオンであれば、疫病だろうと戦だろうと、即座に燃やせと命令できる。
そして、それによって批判が集まろうとも、些末なことだと言って切り捨てるだろう。
(……陛下はそれを望まないだろうな)
非常時の判断を任せるといった権利を与えておけば、なにかあった際に判断を委ねることができる。
いささか権力を与えすぎではあるが、ミハイルの代役として非情な命令を下す役を担うのであれば、それも致し方ない。
だが提案したところで、ミハイルが頷かないだろう。
レオンに権力を与えるのを恐れている――というわけではない。レオンを盾のように扱うことをためらうのは、目に見えている。
アルミラとしては、その程度の使い道しかないのだからと思うのだが、ミハイルはそれを許容できるほど情の薄い人間ではない。
「だけど……」
どうしたものかと頭を悩ませていたアルミラだったが、両手で包み込まれるように手を掴まれ、ぱちくりと目を瞬かせた。
「君がそばにいてくれたら……頑張れる、気がするんだ」
どこまでも弱気な発言だが、眼差しは真剣そのもの。
熱を帯びた青い瞳に、アルミラは本日何度目かの溜息を零しそうになった。
「……私は王殺しの罪で追われている身です」
「私は君がやったとは思っていない」
「それでは、私がやっていないという証拠はお持ちですか?」
ハロルドは、火で焼かれるよりも自死するほうがマシだと考えるような消極的な人間ではない。たとえすぐ死ぬ身だとしても嫌がらせを考えるような、性悪な人間であるとアルミラは確信している。
自身の胸に剣を刺して死んだのは、嫌っているアルミラが罪人として追われればいい――そう考えたからだろう。
(ならば間違いなく、私が殺したような工夫をしているはずだ)
アルミラがやっていない証拠などどこにもないとわかっていながら、アルミラはさらに言葉を重ねた。
「私は玉座の間に火を放ちました。それでも罪人ではないとおっしゃるおつもりですか?」
「……それは、本当に?」
ミハイルの手に力がこもる。とまどうような、縋るような視線を受け、アルミラは口元に笑みを浮かべた。
「はい。やっていないと思っていただけるのは光栄ですが、私は自分の意思で王を害そうとしました」
――ですので、この身はまぎれもなく罪人です。
そう続けようとした言葉は、ミハイルが一歩詰め寄ってきたことによって発することができなかった。
手が体に触れそうなほど近づいてきたミハイルに、アルミラは思わず言葉に詰まる。
「それでも、私は……君にそばにいてほしい」
「正気ですか」
考えることなくアルミラが本音を漏らすと、ミハイルの眉が下がった。
それでも目を逸らすことなく、真っ直ぐにアルミラを見つめている。
「正気、ではないのかもしれない。私はこの二年――君がいなくなってからずっと、君のことばかり考えていた。暇さえあれば……いや、暇でなくても、元気にしているのだろうかとか、どこでなにをしているのかとか、考えずにはいられなかったんだ。私は……私は君を――」
「陛下、それは気の迷いです」
顔をこれでもかと赤くさせながら言い募られ、アルミラは不敬であると知りながら、それ以上言えないようにと遮った。
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