(……結局自分ではなにも選べていない)
塔の中は薄暗い。明かりを取り入れるための窓はあるが、普段から使われていないからかそれ以外にはなにもなく、螺旋状に続く階段を足元に注意しながら上る。
「先ほどの話だけど」
そしてミハイルは横を歩くアルミラに少しだけ視線を向けて口を開いた。
「国力についてですよね。……そうですね、ミハイル殿下は城でなにが起きているとお考えですか?」
問われ、ミハイルの首が小さく傾ぐ。
「コゼット様がなにかしたのでは?」
ミハイルが城に向かうのではなく塔に上ることを決断したのも、それが理由の一つだった。
アルミラとフェイ、二人の様子はコゼットの身を案じている、にしてはいささかおかしかった。そのため、コゼットの無事を心配したのではなく、コゼットがなにかしたことを案じたのだろうとミハイルは判断した。
コゼットはレオンの母親らしく傲慢で我儘な性格だと言われているが、それでも正妃の仕事はまっとうしていた。
それならばたとえコゼットがなにをしでかしたのだとしても、それほどひどい事態にはならないだろうと、そう考えたわけだ。
実際には爆薬を使い、火を放ち、ハロルドと対峙するつもりなのだが。
「ええ、おそらくそのとおりかと。ですので、この国は本日で王とフェイ様の御二人を失うかもしれないと考え、これ以上国力を損なうわけにはいかないと判断しました」
「……どうして父上とフェイが?」
「コゼット様は王がお嫌いで、フェイ様はコゼット様を慕っております。コゼット様が決断されたのでしたら、フェイ様が王に従う理由はなくなります」
アルミラの瞳は真正面を捉えており、表情からもなにを考えているのか窺えない。
その二つによる関連性がいまいち掴めないミハイルだったが、ある一点が気にかかりわずかに眉根を寄せた。
(コゼット様は父上を慕っていたのでは……?)
マリエンヌが生きていた当時、コゼットはマリエンヌに散々嫌味を言っていた。その内のいくつかはミハイルもいまだに覚えている。
そしてコゼットとハロルドが不仲だという話は今まで一度も聞いたことがない。マリエンヌの元に通わなくなって以降も、ハロルドはコゼットと月の半分を過ごしていた。
「どうかされましたか?」
ぴたりと足を止めたミハイルを訝しがったのか、数段ほど先に進んでからアルミラは振り向き、首を傾げた。
ミハイルは数ヶ月前ではハロルドを国営にしか興味がなく、凡庸ではあるが安定した策を講じる人物だと思っていた。だが実際には自分の息子を謂れのない罪で咎め、幽閉するような性格だった。
そしてコゼットについても、マリエンヌとミハイルを嫌い、自分の息子であるレオンを優遇している――良くも悪くも正妃らしい人物だと思っていた。
ハロルドがそうではなかったように、コゼットももしかしたらミハイルが思うような人物ではないのかもしれない。
「いや、なんでもない」
そう思いながらも、問いかけることはせず首を振ってからまた歩きはじめた。
たとえコゼットの真意がどこにあろうと自分には関係なく、今聞くべきはそこではないと判断したからだ。
「王は他国からしてみれば得体の知れない人物です。王になった経緯に反して、政策は凡庸。荒事などもあまり行っていない。下手につついてなにが出るかわからない、そう思われているわけです。フェイ様に関しては言うまでもないでしょうが、国内外問わず名を轟かせています。その二人を失った国を周辺国がどうするかは……考えるまでもないでしょう」
今は争っている国はないが、好機とみれば国土を伸ばしたいと欲を出す国も出てくるだろう。
騎士の質が昔ほど落ちているわけではないが、フェイがいたことで減った小競り合いがあるのも確かだ。
現在国力の要を担っている人物を失えば、それがある前とたいして変わっていないとしても国力が落ちたと判断されても不思議ではない。
「それにミハイル殿下は日和見で有名です。若く争いに慣れていない王が立つのなら、その横には組合に属していないあいつがいるほうが牽制になることでしょう」
「……しかし、コゼット様もそれは承知しているのでは? わざわざ国力を損なう真似をするとは思えないよ」
「現状を憂い世を儚んだら火を放つと、そう言ったはずですが」
その言葉はミハイルの記憶に残っている。
たしかにレオンが幽閉されているというのは、憂うとしてもおかしくない状況だ。
(しかし、火を放つほどのことだろうか。父上と話し合ってレオンの処遇を決めることもできるのでは……?)
コゼットがハロルドをどう思っているのかはさておき、ハロルドはコゼットを丁重に扱っていた。
いつでも暖かな眼差しをコゼットに向け、マリエンヌがそれに悲しそうに顔を伏せていたことをミハイルは覚えている。
そしてマリエンヌの死後もその態度は変わらず、苛烈な性格のコゼットによくあれほど丁寧に接することができるものだと、城で噂されていた。
ミハイルは長い間を一人で過ごし、時折届く噂話でしか城の様子を探るしかできない立場にいた。
顔を合わせるのは本ばかりで、教育係もろくにつくことなく、友人すらもいなかった。
ミハイルにとって大切なものは自分しかなかった。そのためハロルドがちょっかいをかけなかったのだが、その反面他者との軋轢を避ける日和見根性が染みついた。
「ミハイル殿下、あなたは王になる方です。甘い考えはお捨てください」
そんなミハイルの思考を読み取ったのか、厳しい声が飛んでくる。
「王とは厳しい決断が必要になるときがあります。今はまだ難しいかもしれませんが、それをお忘れなきようお願いいたします」
「あ、ああ」
こちらを射抜くような瞳と視線を合わせることができず、ミハイルの目がわずかに逸れる。
降ってくる溜息にミハイルは自然と顔をしかめた。
(私は本当に、アルミラが願うような王になれるのだろうか)
ミハイルはこれまで一度として王になりたいなどと思ったことはない。レオンが幽閉され、王太子になると祭り上げられ、アルミラに望まれたから善き王になると決断しただけだ。
そこには一欠けらも、ミハイル自身のこうありたいという気持ちは含まれていない。
(……私は結局、自分でなにも選べていない)
塔に上りレオンを救出することを選んだわけだが、それだって消極的選択だ。
レオンを助けるほうが城でなにが起きていても対応できる。コゼットが問題を起こしたのなら、そこまでひどいことにはなっていないはず。
前者に関してはアルミラに任せればいい話で、後者はただの希望的観測だ。
ミハイルは日和見で、自己保身だけを優先して生きてきた。
身に染みついた癖というものは抜けにくいものだ。衝動的にアルミラを庇うためにフェイの前には出ることはできたが、衝動がなくては動けなかった。
(私はただ、責任を問われたくなかっただけか)
城に行き、指揮を取って問題が起きればその責任はミハイルに向く。
それを怖がり、塔に上ることを選んだのでは――そんな疑念がミハイルの胸に広がる。
そのことにミハイルは思わず自嘲する。アルミラの望む善き王の姿はあまりにも遠く、今のミハイルではなせない存在だとわかってしまったからだ。
「……あいつがいれば多少はミハイル殿下の力になるだろうと思ったのですが、これは無理そうですね」
先に上まで上り切っていたアルミラの声に、俯いていた顔が上がる。
階段は終わりを迎え、階段をぐるりと囲うように続く通路に繋がる扉を開けた状態でアルミラは立ち止まっていた。
ミハイルも遅れて到着し、扉の向こうに広がる光景に顔をしかめた。
ひびの入った壁がまず目に入る。そして扉から顔を出して通路の様子を窺えば、どこかの部屋の扉が壁にでもぶつかったのかひしゃげた状態で転がっていた。
「どうやら魔力が暴走しているようです。危ないのでミハイル殿下は戻られたほうがよろしいかと」
「……君はどうするつもりなんだ?」
「このままだと塔を破壊しそうなので、ひとまず止めにいくつもりです」
通路の先を見据えるアルミラの姿に、ミハイルは拳を握る。
(アルミラの望む王に私はなれないかもしれない。だけど、それでも)
そして意を決したように、アルミラを見つめた。
「私も行くよ。君一人を危ない目に合わせるわけにはいかない」
これまでアルミラには散々情けない姿を見せている。だからこれ以上、情けないところを見せたくはなかった。
自身の不甲斐なさを痛感したばかりだったからこそ、せめて今だけは――好きな相手の前でくらいは強がっていたかった。
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