(……いつもと雰囲気が違う)

 ハロルドに呼ばれ、夜会に参加するように言われたのが昨日のことだ。ミハイルはこれまで、そんな指示を出されたことはなく目を瞬かせた。


「王太子になった後に結婚する相手が必要だろう? レオンの相手を僕が選んだのは失敗だったから……君が気に入る相手を探すといいよ」


 人のよい笑顔を浮かべながら、息子の意思を尊重するかのようにハロルドは言った。

 たしかにいつかは結婚しなければいけない。だが今はアルミラのことがあるのですぐに決められるとは思わなかった。


 それでも参加することにしたのは、すでに決められていたことだからというのもあるが、もしかしたらアルミラに会えるかもしれないと期待したからだ。

 話すことはできなくても、一目顔を見られればそれで――そう思っていたはずが、いったいどうしたことか、そのアルミラに縋るように抱きしめられている。


(人に酔って、風に当たりたくなったから外に出て……それでアルミラがいたから、声をかけて)


 頭の中で必死にどうしてこうなったのかを順序立てて整理する。

 だがどうしても、アルミラが抱きついてきた理由だけがわからない。


 以前のようにへし折りそうな勢いで抱きしめられているわけではない。回された腕の力は優しく、服越しに伝わるぬくもりは、これが夢幻のたぐいではなく現実だということを教えてくれている。


 だからこそ、ミハイルは困惑し動けずにいた。


(会えたことを喜んでくれた……?)


 胸に灯る喜びで緩みそうになる頬を堪える。アルミラにそういう対象と見られていないことは重々承知している。

 喜びをそのまま表現し、拒絶されたらたまらない。


(きっとこれは、久しぶりに会ったことに対する、友情の抱擁……なのかもしれない)


 それならば抱きしめ返したところで問題はないはずだ。そう考えてアルミラの背に回しかけた手はためらうように宙で止まる。

 視線は当てもなくさまよい、変な汗まで出てきそうだった。


 フェイがアルミラを好きなら、祝福したいと思っていたのは本当だ。

 だがこうしてアルミラと会っただけで、どうして横に並べるのが自分ではないのだろうと落胆してしまう。


 アルミラの顔がすぐ近くにあると思うだけで下を向くことすらできなくなっているのだ。こんな心境で、友人としての抱擁ができるはずもない。

 そうしてミハイルが躊躇しているとアルミラが動くのを感じた。


「失礼いたしました」


 聞きたいと思っていた声が聞こえる。

 そっと離れる気配に、咄嗟に宙で固まっていた手をアルミラの背中に回し、引き寄せた。


「……ミハイル殿下?」


 怪訝そうに言われるが、ミハイル自身自分の取った行動が信じられず言葉を失っている。


 抱きしめるのはこれで二度目だ。前回は命の危険を感じたからだが、今回は違う。完全に衝動的で、意図があってのものではない。

 駄目だと思いながらも、抱きしめている腕の力を抜くことができなかった。


「ご気分が優れないのでしょうか」


 返事がないことに心配になったのだろう。気遣うような声にミハイルはぐっと顔を引き締め、アルミラを見下ろした。


(……いつもと雰囲気が違う)


 それもそのはず。侍女服とはいえ女性の装いをし、化粧までしているのだ。

 これで普段と同じだと思うほうがどうかしている。


(可愛い)


 ミハイルは乙女心の持ち主ではあるが、男心も持ち合わせている。

 アルミラの意思を尊重し彼女の望むとおりにしてあげたいとも思う反面、触れて愛でて離したくないとも思ってしまう。


「アルミラ」


 高鳴る鼓動に負け、愛おしむように名前を囁く。

 だが結局は、初心で純情な男のこと。それ以上のことはできず、ただ見つめるだけに留まった。


「……どうかされましたか?」


 名前を呼んだはいいが、そこから黙りこんでしまったからだろう。アルミラが小さく首を傾げた。

 その不思議そうな眼差しに、ミハイルは失われかけた理性を総動員させ腕の力を抜く。


 名残惜しさからか若干緩慢な動きではあるがアルミラを解放すると、今の行動をごまかすように「どうしてここに?」と質問を投げかけた。


「色々事情がありまして……フェイ様に見つかりかけ、慌てていたため失礼を働いてしまい申し訳ございません」

「いや、それは構わないけど」

「いえ、ミハイル殿下が他家の侍女に手を出す不届き者と思われる可能性がございました。配慮するべきでしたのに、思慮が及ばず――」


 淡々と謝罪の言葉を紡ぎだすアルミラに、ミハイルは胸に宿った熱い思いが消沈していくのを感じた。

 そういう対象には微塵も思われていないのだということに、心が痛む。


(いや、わかっていたことだ)


 アルミラが好きなのはレオン――だとミハイルは勘違いしている――であって、自分はレオンの兄でしかなく、善き王になることを期待されているだけの間柄でしかない。

 そこに男女としての関係は微塵も含まれていない。それなのにわずかでも期待を抱いてしまった自分に、ミハイルは自嘲するように口角を上げた。


「それなら、私も君に気安く触れてしまったわけだから……お互い様ということでは駄目かな?」

「ミハイル殿下は演技に付き合ってくれただけですから、お互い様ではないかと」

「お互い様ということにしてほしい」


 衝動的とはいえ、募る思いからしてしまったことを演技だと思われるのは心苦しかった。

 ミハイルがきっぱりと言い切ると、アルミラは渋々ながらも「かしこまりました」と頷いた。

 

「ミハイル殿下はどうしてこちらに?」

「父上に……言われて参加したけど、どうも慣れなくてね。少し風に当たろうかと思ったんだよ」


 正確には、将来妻とする相手を見つけてくるように言われたわけだが、それを口にすることはできなかった。

 もしも言って、どこかの令嬢をお勧めされたら立ち直れない。


「なるほど。それでしたら、私がいては邪魔になりますね。どうぞごゆっくり休まれてください」


 一礼し去ろうとするアルミラの手を思わず掴む。これまた咄嗟の行動で、ミハイルは自制しきれない我が身を恨んだ。

 手が触れただけでときめいてしまう自分の情けなさすら恨めしかった。


「……どうかされましたか?」

「いや、ああ、そうだ……そう、君に教えたほうがいいかと思って」


 訝しがる声に、不審に思われたくなくて必死に口実を捻りだす。


「父上が、君とフェイとの婚姻を企てているかもしれない」

「私とフェイ様の……? また、どうしてそのようなことになったのでしょうか」

「実際にどうなのかはわからない。だけどフェイが言ってきたことだから……多分、そう間違えてはいないと思う」

「フェイ様が、ミハイル殿下に、ですか?」


 眉間に皺を寄せながら一語ずつ区切って確認され、ミハイルは頷いた。


「君がフェイとの婚姻を望んでいるなら、よい話なのかもしれないけど、そうじゃないなら気をつけてほしい」

「かしこまりました。ご忠告感謝いたします」


 普段の男装の名残りだろう。淑女の礼ではなく紳士の礼をアルミラが取ったことに笑みが零れる。


(女性らしい恰好をしているのも可愛いけど、やはりアルミラはアルミラらしくしているのが一番だ)


 思わず理性を失いかけたのを棚に上げ、そんなことを考えている。


「それでは、失礼いたします」

「ああ。また……機会があれば」


 次の機会がいつやって来るかはわからない。どこかの社交場で顔を合わせたとしても、言葉を交わせるかすら定かではない。

 だからこれは、機会があればいいと願っているだけだ。


 くるりと踵を返し去っていくアルミラの背中を、名残惜しむように見つめる。

 そして角を曲がり完全に姿が見えなくなると、ミハイルもまたその場から去り会場に戻った。

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