(ここから離れたほうがいいな)

 アルミラは会場に着く前に馬車を降りた。

 客人の招待状や名前を確認してから邸内に案内しているため、レイシアとエルマーと共に赴くわけにはいかなかったからだ。


 偽名を使うことは容易いが、発覚したときに大問題になる。一緒に来た二人が追及されることは目に見えているので、アルミラはアルミラで別口から侵入することにした。


 夜会に限らず、なんらかの催しを開く際には他家から使用人を借りて、足りない人手を補うのはよくある話だ。

 今日の夜会を主催した侯爵家も例に漏れず、給仕や支度のために使用人を借りている。

 そのすべての顔を覚えるのは難しく、一人くらい見たことのない顔がまぎれても気づかないだろう。とくに夜会中は使用人の顔よりも、話している相手のほうが重要になる。


 持っていた鞄から侍女服を取り出し手早く着替え、エルマーとレイシアが問題なく邸内に案内されるのを確認してから、門から離れた壁を駆け上がる。

 侍女服は丈が長いので、いささか上りにくいが無理なわけではない。スカートをたくし上げているため、誰かに見られたらはしたないと言われることだろう。

 だが男装している時点で、そんなことを気にするようなアルミラではない。


 そもそも、侵入しているのではしたない以前の問題だ。


(私が将来家を建てるとしたら、ねずみ返しのようにするか上にいくほど傾斜をきつくしよう)


 だがそれでも、人外のような身体能力を持つ相手ならば軽々飛び越えてしまうだろう。

 そんなのんきなことを、上ってきた壁を見ながら考える。


 会場となっているであろう一階部分には爛々とした明かりが灯っているが、二階より上はうす暗い。

 そして庭園もぽつぽつとした明かりが灯っているだけだ。


 周囲を見回し、人気がないことを確認してから壁を下りる。

 ここまで来てしまえば、問題ないだろう。ありふれた髪色のかつらを被り化粧まで施しているアルミラを見て、すぐさま彼女だと気づける者はそういない。


(注意しないといけないのは、兄様だな)


 アルミラの兄は幼いころから病弱で、過保護に育てられてきた。

 学園に通っていたときも休みがちだったそうで、公爵家の跡取りながら情を寄せた女性がいない。

 両親は両親で、繊細な兄に相応しい相手をと精査に精査を重ねているためいまだにこれといった女性が見つからないまま、今年で二十三を迎えた。

 あまり社交場に顔を出さない兄が今回夜会に出ると決意したのは、そのあたりが関係しているのだろう。さすがにそろそろまずいとでも思ったのかもしれない。


 さて、そんな兄とアルミラの関係はあまり良好とは言えない。むしろ悪いとはっきり断言してしまえるほどだ。

 

 線が細く儚げな印象を与える兄と、凛としたアルミラは昔からそりが合わない。そしてアルミラが髪を切って以降はあちらからは話しかけてくることは減った。

 アルミラも風が吹けば倒れそうな兄と接するのは、物理的な意味で怖いため避けている。


 だがそれでも、兄はアルミラの変装を一発で見抜く。

 以前、市井に遊びに行くためにそれ相応の恰好をしたアルミラを見て、その瞳に落胆の色をにじませたことがあった。


(頼りないが、公爵家の跡取りらしく目敏い人だ)


 兄に見つかり両親に報告されれば面倒なことになる。細心の注意を払うべく、明かりが漏れている窓からそっと中の様子を窺った。

 まず目についたのは、男性に囲まれているレイシアだ。この短時間で牽制しあう男性の群れを作りだす手際のよさに思わず感心してしまう。

 少し離れたところでは、エルマーがレイチェルと話していた。レイチェルの横には老獪そうな男性が立っており、暖かい眼差しをエルマーとレイチェルに向けている。


(あれが件の伯爵か。……悪い人ではなさそうだな)


 実際にはあくどいことをしている可能性は捨てきれないが、少なくとも結婚するまではレイチェルに自由を与えるという約束を守っているようだ。

 とても親密な間柄であるエルマーに対して嫌悪の目を向けていないだけでも、それが窺える。


 そしてさらに視線を滑らせると、儚げな笑みを浮かべる兄が中々気の強そうな女性に捕まっていた。


 窓から見える範囲だとこれが限界だろう。どうやって中に侵入するか――そう悩んでいたとき、ふと人が集中している一角があることに気がついた。


(……おや、ミハイル殿下が夜会に参加するとは珍しい)


 ミハイルはこれまで、必要最低限の招待にしか応じていなかった。しかもそれも食事会などが主で、夜会に参加したと聞いたことはない。

 王からなにか命じられたのか、はたまた卒業後に王太子になった後の顔繋ぎを作るためか、どちらにせよ人と交流するようになったのはいいことだ。


 うんうんと感慨深く頷くアルミラだったが、ミハイルの近くに灰色の髪を見つけ慌てて顔を引っ込めた。


(どうしてフェイ様が……ミハイル殿下の見張りか)


 壁に張りつき、深呼吸する。

 王に対して忠誠を誓っているわけではないという意味では同じ穴のむじなだが、志しているものはまったく違う。


 アルミラがここにいると気づかれれば、なにを企んでいるのかと考える余地を与えてしまう。

 再度少しだけ窓から中の様子を窺うと、眉をひそめ険しい顔をしたフェイがこちらに向かって歩いてきているところだった。



 兄もそうだが、フェイも目敏い。今は不審人物を見つけ様子を見にきているだけかもしれないが、顔を合わせれば一瞬でアルミラだと気づかれる。


(ここから離れたほうがいいな)


 フェイのいた位置から窓まではそれなりに距離があった。急いで離れれば、問題ないだろう。

 幸い庭園は薄暗い。身を隠せそうな所があればすぐさま飛びこもうと考えながら、気持ち早足でその場から離れる。

 走れば怪しんでくださいと言っているようなものだ。少し遠くから足音が聞こえるが、焦ってはいけない。



「……アルミラ?」


 そう自分に言い聞かせていたら聞き知った声が聞こえ、隠れられる場所だと瞬時に判断した。そしてとりあえず勢いのまま、その胸に飛びこんだ。


 胸に顔を寄せていれば見えるのは後ろ姿だけ。わざわざ引き剥がしてまで顔を確認しようとはしないだろう。

 王子相手ならばなおさら、そこまでの不作法は働けないはずだ。


 そんなことを考えながら、耳をそばたてて周囲の音に注意を払っているばっかりに、ミハイルがぴしりと硬直したことには気がつかなかった。

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