(現状を憂うことができればの話だがな)

――現状を憂い世を儚んだら、城に火を放つ。


 あの日、ミハイルたちに言った言葉に嘘はない。コゼットはそれほどまでに苛烈な性格をしている。


(現状を憂うことができればの話だがな)


 馬車の揺れに身を任せながら、アルミラは小さく溜息を零した。レオンが幽閉されたという話は、間違いなく正妃でありレオンの母親でもあるコゼットの耳には届いているだろう。

 だが、レオンが連れていかれてからこれまでなんの動きもない。


(彼女の世界はまだ歪んだままのようだ)


 表向きは場にあった行動を取れるが、その実コゼットの見ている世界は壊れている。

 必要があれば式典にも出席し、政にも顔を出しているため彼女の現状がどうなっているのかを知る者は少ない。

 元々、我儘な性格から誠心誠意仕えてくれる者が少なかった。正妃となってからもその性格は変わらず、たった一度の失敗すらも許さず側仕えを何度も変えていた。

 しかもコゼットがおかしいのは、マリエンヌに関することだけだ。そしてそれについて話す相手は、昔から知っている者に限定されている。


 壊れた世界にいながらも線引きをし、付け入る隙を作らないようにしているのだから、コゼットの矜持は相当なものだ。


(人は成長し、状況は変わっていく。コゼット様が対応できるのも後わずかだろう)


 だが、それもいつまで保てるかはわからない。コゼットがなんとしても王にしたくなかったミハイルは王太子に指名され、レオンは幽閉された。

 現実と虚構の乖離はこれからもどんどん進んでいくことになる。いつの日か、歪みに耐え切れなくなるだろうとアルミラは予想していた。


「あの、アルミラ様」


 思考に耽っていたアルミラに声がかけられる。不安そうなその声に、アルミラは柔らかな笑みを浮かべた。


「どうした?」

「……ええと、本当に、私なんかで大丈夫なのでしょうか」


 ドレスのスカート部分を握り、心配そうに瞳を揺らしている。

 現在、アルミラはレイシアと共にフェルディナンド家の馬車に乗っている最中だ。


「もちろん。君には期待しているよ」

「でも、私にできることなんてたかが知れています」

「大それたことをするわけじゃないんだから、そんなに気負わなくても大丈夫。君はただ、独身の男性と仲よく話せばいいだけなんだから」


 レイシアは腹芸ができるタイプではない。そのため、男性を誘導したりたぶらかすように指示を出したりはしない。

 ただいつもどおり、仲睦まじく話し親睦を深めればいいとだけ話した。


「学園で相手が見つからなかった男性はいくらでもいるからね。その中には君にとってよい結婚相手になる者もいるかもしれないし、そう悪い話ではないと思うんだけど、不満かな?」

「いえ! 不満なんて……! ただ、それがアルミラ様の助けになるとは、その、思えなくて……」


 レイシアがぶんぶんと勢いよく首を振ると、アルミラはくすりと小さく笑った。


「……そうだね、君には少し……国の現状を話しておこうか」


 ハロルドの政策は無難ではあるが悪政を敷くことはないので、民の生活こそ向上している。

 だが学園を卒業してからこれまでの絶えることのない黒い噂により、貴族からの支持は今一つといったところだ。

 それでも甘い汁を吸いたくてすり寄る者もいれば、いつかすべてを覆すかもしれないと危惧する者もいる。


「いざそうなったときに国を支えるべく今から準備している者もいるわけだが、中には他国との繋がりを作ろうと躍起になっている者もいる」

「他国、との?」

「ああ、そうだよ。他国の貴族に自分の子を婿なり嫁にいかせ、折を見て移住しようと考える者もいるんだよ」


 それがうまくいく保証はどこにもないが、目立つ形で反発した貴族がどこかに消えてしまうことを考えれば、一か八かな策に出るのもしかたないことだろう。


「……まあ、そうでなくとも……」


 言いかけ、口を噤む。これ以上は不要な情報だと判断し、視線を窓から外に向ける。今夜行われる夜会は侯爵家で開かれるもので、今はそこに向かっている道中だ。


「レイシア嬢には、他国との縁を繋ごうと考えている家の息子たちに、ちょっと粉をかけてもらいたいんだ」

「私がですか!? そんな、無理ですよ!」

「別に骨抜きにしろと言っているわけではないよ。多少なりとも時間稼ぎができればそれでいいんだ。……もちろん、君が嫁げそうな家の者もリストに入っているから、そこは安心していいよ」


 レイシアには事前に話していい相手とそうでない相手を書いたリストを渡してある。招待客リストを入手できたわけではないので当てずっぽうな部分はあるが、問題はないはずだ。


「大丈夫。君に危険な真似はさせないよ。君の家族に申し訳ないからね」


 少し茶化すように言うと、レイシアの頬が引きつった。


 アルミラがこうしてレイシアと馬車に乗っているのは、その家族が理由だった。

 夜会に参加して好奇の目にさらされたり、好色爺に声をかけられるのではと危惧した二人の兄が、レイシアをエスコートすると言って聞かなかったのだ。

 だが過保護な兄が同席すれば、レイシアが誰と話そうとさり気なく割り込んでくるだろう。


 アルミラの頼みはもちろんだが、そこそこの家柄のそこそこまともな男性を捕まえたいレイシアとしては、兄のどちらかが付いてくるのは遠慮願いたかった。

 舞踏会や食事会であれば男性にエスコートされるのが普通ではあるが、夜会は出会いの場の側面が強い。同行者一名までは許可されているとはいえ、出会いを邪魔する異性を伴って参加する者はいないだろう。


 ちなみに、レイシアの好きにさせてくれそうな父親は「無理、胃が痛い」と急病を発症した。


 そこでレイシアが頼ったのが、アルミラだった。


 レイシアの家族はレイシアが学園に行ってからというもの、伝え聞く情報によって右往左往しっぱなしだった。

 レオンに気に入られたと聞いて泡を食ったかと思えば、ほんの数か月足らずでレオンが幽閉されたと知らされた。

 しかもそのレオンの婚約者であるアルミラが、レイシアの招きに応じてフェルディナンド邸にまで足を運んだのだ。もはやなにがどうなっているのかと理解が追い付かないうちに、アルミラの口上に乗せられ、レイシアの同行者にアルミラが収まった。


「兄さんたちは、その……少し過保護でして、アルミラ様に失礼を働いていないとよろしいのですけれど」


 アルミラが来た瞬間に「ひぇっ」と叫んだのは十分失礼に当たるのだが、状況が状況だ。アルミラもそこは笑って流したので、レイシア的には問題なしとなっている。


「気を害すようなことはなにもなかったよ。むしろ、いい家族だと思ったくらいだ」


 家族を愛している暖かな家庭を思い出し、アルミラは穏やかに言う。

 王都にも社交期でしか訪れず、普段は領地で細々と生活しているからなのか、アルミラの生活圏内にはないような家族の形だった。


「ありがとうございます」

 

 レイシアがほっと胸を撫で下ろしたところで馬車が止まった。侯爵家にはまだ遠い。どうしたのかと首を傾げるレイシアをよそにアルミラは扉を開ける。


「ほら、乗った乗った」


 そして、エルマーが乗り込んできた。

 予想外の人物の登場にレイシアは目をぱちくりと瞬かせ、エルマーは気まずそうに頬を掻く。


「今日の夜会には私の兄が招待されてるからね。私がレイシア嬢と参加するわけにはいかないんだよ。だから、エルマーに頼んだ」


 もしもアルミラの兄が招待されていなかったとしても、レイシアと共に夜会に参加するつもりはなかった。

 アルミラの元に届いた招待状は少ない。フェティスマ家との繋がりを作りたければアルミラの兄を招待すればいいわけで、王子との婚約を破棄されたアルミラをわざわざ招待する理由はどこにもなかった。


 そんな状況で、レイシアと夜会に参加すれば自然と注目はアルミラに集まる。それではレイシアが貴族男性と近づく邪魔になるだろうと、エルマーに監視とエスコートを頼んだというわけだ。


「お手をわずらわせてしまい、申し訳ございません」


 恐縮するレイシアにエルマーは「アルミラのせいだから気にしないで」と朗らかに返す。


「エルマーには会場に入るまでを頼んであるけど、その後は別々に行動してほしい。もちろん、レイシア嬢の様子には気を配るし、危険がないようにする。私も遠くからではあるが見守るつもりだから安心してくれ」

「遠くから……?」


 レイシアがはてと首を傾げるが、アルミラは微笑むだけで明確な答えを言うことはなかった。

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