(あれは……不運な事故だった)

 夕食を済ませたアルミラが趣味である裁縫に勤しんでいる頃、ミハイルは月明かりの下で散歩していた。


 これまで第一王子でありながら放っておかれたミハイルは、長期休暇に入る前からことあるごとに様々な人に声をかけられるようになった。

 慣れない状況に悪戦苦闘している間に長期休暇に入り、結局あれ以来アルミラと言葉一つ交わせないままここにいる。


(話しかけたところで迷惑なのはわかっているが……)


 アルミラの期待に応えられるよう善き王になろうと決心し、アルミラに自分の思いが通じないことは理解した。

 だがそれでも、話したいとふわっと思ってしまうのは止められない。アルミラらしき人物が視界の端を掠めるたびに視線で追い、どうにか話しかけられないか、なにか口実はないかと考えていたのだが、ついにその機会は訪れなかった。


 学園を卒業すれば王太子になり、これまで以上にアルミラと接することはできなくなる。長期休暇が終わり学園に戻ったとしても、話せるかどうかわからない。

 これまで色恋沙汰とは無縁の生活を送ってきたミハイルだったが、レオンが失脚したことにより声をかけてくる女性が増えた。

 婚約者もお相手もいない女性がほとんどではあるが、中には婚約者未満の恋人を振ってまでミハイルと恋仲になろうと切磋琢磨する女性までいる。


(……親からなにか言われたのだろう)


 そんな――特に恋人と別れてまで声をかけてくる女性に同情する。


 気性の荒いレオン相手では萎縮していても、日和見で有名なミハイル相手ならば御せると考えた者もいるのだろう。

 でなければ、これまで目もくれなかった相手に声をかける説明がつかない。


 そんな彼女たちに申し訳なく思いながらも、かけられる誘いに応じる気にはなれなかった。誘いと言っても、お茶を一緒にとかの可愛らしいものではあるのだが、善き王になるにはどうすればいいか考えたり、アルミラに見られたらどうしようというおかしな方向に拗れまくっている乙女心のせいで、何人もの女性が玉砕した。


 それでもめげずに誘う女性はいるのだが、ミハイルはそのどれも断った。


 ちなみに、ミハイルに声をかけてくる者の大多数は側妃狙いだ。正妃ともなれば国内の情勢や現王からの許しがいるが、側妃にはそこまでの縛りはない。

 その代わり正妃ほどの権限はないが、その分気楽で場合によっては子供が王になるかもしれない。そういった打算からの誘いもあれば、元々ミハイルが気になってはいたが王兄の嫁――レオンの兄嫁になるのは嫌だと遠巻きに眺めていた者がここぞとばかりに声をかけてきていたりもする。


 そして城においてもあれこれと世話を焼かれ、以前よりも増えた使用人の目の中で勉学に勤しむ毎日だ。これまで独学で学び続けてきたことを思えば、ずいぶんな変化だった。


 そのため、一人になる時間すらろくに持てず、こうして夜にこっそりと庭に出て一人の時間を堪能している。


(アルミラは今頃なにをしているだろうか)


 ふと丸い月を見上げ、同じ王都にいながら顔を見ることもできない相手に思いを馳せた。

 なにかあれば、なにもなくともアルミラを思い出してしまうことに、ミハイルは自嘲する。


(……きっと、レオンをどうやって助けるか考えているんだろうなぁ)


 幽閉されたレオンとは会えていない。アルミラのためにも様子を確認したいと思っているのだが、どこに幽閉されているかすら誰も教えてはくれなかった。


(力になりたいのに、なにもできない。そもそも、私は……レオンを助けたいと思っているのだろうか)


 幽閉されたのはかわいそうだとは思っているし、それが冤罪であることも知っている。

 だが、レオンとの間にある確執は深い。アルミラとのことがなかったとしても、積極的に助けようとしたかどうか、ミハイル自身ですらわからなかった。


(いや、善き王になると誓ったのだから、冤罪で捕らえられたレオンは助けるべきだ)


 抱いた考えを振り払おうと、アルミラの手を握ったあの日のことを思い出そうとしたのに、代わりに遠き日に聞いた、レオンの怒鳴り声が頭の中に木霊する。


 自分が殺したと言い放ったレオンと、自ら死を選んだと言うフェイ。そして、不運な事故だったと教えてくれた者たち。


 レオンに教えるかどうかはともかくとしても、ミハイルはどれが正しいのかを調べた。葬儀の準備を手伝った者や、マリエンヌの遺体を確認した者。それぞれに声をかけたが、みな一様いちように口ごもりすべてを語ってはくれなかった。

 だが、それでもミハイルに対する同情心はあったのだろう。ほんの少しではあるが口を滑らせ、そして集まった情報を統合した結果――そのすべてが正しいことが、わかった。


(あれは……不運な事故だった)


 頭ではわかっているのに、向けられた敵意と死に関係しているという事実が、どうしてもミハイルの思考に影を落としてしまう。


(アルミラ……私は、どうすればいい)


 顔を合わすことも、言葉を交わすこともできない相手に問いかける。答えが返ってくるはずないとわかっているのに、問わずにはいられなかった。


(……自分で決めろと、きっとそう言うだろうな)


 上げていた顔を俯かせ、足元に視線を落とす。十年近く答えを出せなかった問題に今さら向き合い、答えを出せるのかどうか。

 だがこうして悩んでいる間にも時は流れていく。手遅れになってからでは遅いとわかっているのに、どうしても一歩踏み出す勇気だけが持てなかった。


「あれ? ミハイル殿下じゃないですか」


 そうして思い悩むミハイルに、陽気な声がかけられる。


「フェイ……どうした?」


 声のしたほうに視線を巡らせ、気の抜けた笑みを浮かべているフェイにミハイルは眉根を寄せた。

 フェイの持ち場は基本的にはハロルドの警護だ。巡回しているにしては、腰に差した剣しか持っていない。フェイの得物が担がないといけないほど大きな剣であると知っているミハイルは、その気楽な格好を不審に思った。


「夜の散歩ですよ。俺、満月って好きなんですよね」


 王子に対するとは思えない砕けた口調だが、フェイは終始この調子なので今さら咎める者はいない。その昔には騎士団でこっぴどく叱られたそうだが、その叱った相手はフェイに叩きのめされた。


「……そういえば、学園に来たときも大剣を持っていなかったね」

「あー、あれ持ち歩くの邪魔なんですよね。だから城に置いてきたんですよ。今も自室に置いてありますよ」


 へらへらと笑うフェイにミハイルは「そうか」と返すと、踵を返しこの場から去ろうとした。


「そういえば、ミハイル殿下」


 だが、再度声をかけられ足を止める。


「俺、罪人を捕まえたからって王から褒美を貰えるそうなんですよ」

「……そうか」


 その罪人というのは、レオンのことだろう。しかめそうになる顔を平素の状態に留め、またも短く返す。


「そろそろ嫁さんでも貰えって言われてるから、アルミラを貰おうかと思ってるんですけど、ミハイル殿下はどう思います?」

「……アルミラは、公爵家の令嬢だよ」


 引きつりそうな顔を動かし、絞り出すように声を出す。フェイはそんなミハイルの様子を見ながら、口角を上げた。


「でもほら、王の不興を買ったってことで、他の貴族には敬遠されはじめているそうじゃないですか。なら、王の命令さえあれば俺が貰っても誰も文句は言わないんじゃないですかね」


 アルミラの立ち位置がレオンとの婚約を破棄されたことによって悪くなっているのは、ミハイルもわかっていた。

 だからといって、騎士爵しかない者が公爵令嬢を娶れるかといえば、話は別だ。


(しかし、父上が言えば……)


 表立って文句を言う者は出ないかもしれない。


「でも、ミハイル殿下が嫌だって思うなら王に言えば――」

「君は……」


 ミハイルの掠れたような低い声が、フェイの言葉を遮った。

 だが続く言葉はない。フェイは「なんですか?」と先を促しながら、ミハイルがなにを言うのかを待つ。


「……君は、アルミラのことが好きなのか?」


 重々しく開かれた口から出た言葉に、今度はフェイの顔が引きつった。

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