二章

(頼むから大人しくしていてくれ)

 真っ白な壁も床も大きく抉られ、申し訳程度に備わっていた机はただの木くずと化している。

 その中で、レオンは唯一傷のついていない寝台に腰かけうなだれていた。


(どうしてこうなった)


 いくら考えても答えはでない。王になれと物心つく前からコゼットに言われ、途中で組合に行くことにはなったが、それでも城に戻り次期王に指名された。

 王になるべく生まれ、王になるべく育てられたというのに、いまや罪人として囚われている。

 だがレオンに与えられたのは牢獄ではなく、高い塔の天辺にある一室だった。それが温情でないことは、この場がどういうところなのか知る者であればすぐわかったことだろう。


 しかし、レオンはここがどこなのかは知ってはいても、ここでなにがあったのかまでは覚えていない。


 レオンの魔力をもってすれば、ここから出ることなど容易い。転移魔法を使ってもいいし、外に繋がる扉を破壊してもよい。そして、鍵のかかっていない窓からバルコニーに出て、そこから脱出することもできる。


 だがそのどれも選ぶことができないまま、レオンはここで生活している。


「レオン」


 ノックもなく扉が開かれ、穏やかな声が室内に響く。ここに幽閉されてからというもの、食事や湯を運んでくる以外で人の訪れはなかった。

 レオンが視線を巡らせると、そこには茶色い髪にはしばみ色の瞳を持つ男が立っていた。

 ハロルド・ハルベルト。すれ違っても一瞬後には忘れそうなほどの凡庸な容姿をした彼こそ、この国の王でありレオンとミハイルの父親である男だ。

 レオンは思わぬ人物の登場に目を丸くし、漏れ出たように小さく「父上」と呟いた。


「いい子にしているようだね」


 ハロルドは室内の様子をぐるりと一望して、護衛を任せているフェイと共に中に入る。

 レオンはフェイのへらへらとした顔に学園での一件を思い出したのだろう、顔をしかめ射抜くように睨みつけた。


「僕は悲しいよ。君には目をかけていたのに、あんな事件を起こすなんて」

「父上、俺はなにもしていません」


 レオンの訴えにハロルドは眉を下げ、困ったなというような苦笑を浮かべる。


「いいかい、レオン。君はミハイルの命を脅かしたとして、ここで幽閉されているんだ。自分の罪から目を背けてはいけないよ」


 聞き分けのない子供に言い聞かせるような、ゆっくりとした落ち着いた声色にレオンは歯噛みする。

 レオンの身近にいた人物は、ことあるごとに今のハロルドのような話し方をしていた。たとえばそれは自分の意見を通そうとするときだったり、あるいはそれがあたかも真実かのように語るときだった。


 いくつかのやり取りは失われているが、それでも覚えていることもある。そのほとんどがしてやられたりなどの屈辱に満ちた思い出ではあるが、レオンにこの語り口調が人心操作の一環であると気づかせるには十分だった。


 心の中で自嘲し俯くレオンの頭上に、ハロルドは穏やかな眼差しを向けながら言葉を続けた。


「だけどね、僕は君のことを大切な息子だと思っているんだ」


 ゆっくりと顔を上げるレオンの赤い瞳を見つめながら、ハロルドは人のよい笑みを浮かべる。


「ここで一人はさみしいだろう? ちゃんといい子にしているなら、そのうち世話役を付けてあげるよ」


 穏やかに笑むハロルドとは対照的にレオンの顔から表情が抜け落ちる。その言葉の意味を理解し、これまで慕ってきた父親の姿が虚像にすぎないことを察した。

 そしてレオンの脳裏に、作り笑いばかりする少女と、心の底からの笑顔を向けてくれた少女。対照的な二人のことが浮かぶ。


(アルミラ)


 その二人のどちらが問題を起こしそうかと言えば、間違いなく前者のほうだろう。なにしろ人の言葉を素直に受け取らないほど捻くれている。

 関わるなとは言ったが、それで大人しく頷くような相手であればこれまで煮え湯を飲まされることはなかったはずだ。


(頼むから大人しくしていてくれ)


 なにをしでかすかわからない元婚約者がしてきたあれこれを思い出しながら、心の底から願う。

 もしもなにか起きれば、ハロルドは容赦しないだろう。そしてその矛先は、レオンが守りたいと思った相手にすら及ぶかもしれない。



 そうしてレオンが天に届くことのない祈りを捧げているとき、アルミラは帰ってきた我が家でのんびりと過ごしていた。

 レオンとの婚約が破棄されたことにより両親から叱責を受けはしたが、なにを言われようとアルミラの心には響かない。

 年の離れた兄が厄介者を見るような眼差しを向けてきたが、そんなものはもういまさらだ。髪を切ったあたりから兄はアルミラを腫物かなにかのように扱っている。


 そのため、自室に備えつけられているソファの肘置きに頭を預けだらしなく寝そべっていようと、誰も咎めない。


「あの馬鹿は世話の焼ける」


 漏れた悪態の対象はむざむざ捕まったレオンに対してのものだが、当の本人どころかこの部屋にはアルミラしかいない。誰に聞かせるでもない悪態をぶつぶつと呟きながら、アルミラは静かに目を瞑った。


 ハロルドと真正面からぶつかる気などアルミラにはなかった。こっそりとレオンを他国に追いやろう考えて、そのために回りくどいことまでしてきたくらいだ。

 レオンとの婚約をなくすこともその一環だったのだが、レイシア嬢の登場により時期が早まった。だがそれでも、長期休暇の間にどうにかすれば間に合うだろうと思っていたのに、ハロルドに先を越された。


「振られてから半月で動くとはなぁ」


 公衆の面前で振らせたからハロルドの元に情報がいくのが早かったのかもしれない。そう反省したところで、やってしまったものはしかたない。

 レオンを他国に追いやるのは国のためでもあるのだが、レオンを泣かせるのは正真正銘アルミラ自身のためだ。微妙に噛み合わない願いのせいで隙が生まれてしまい、そこをハロルドに突かれた。


「目を付けられた、と考えるべきだろう」


 騎士を何人か締め上げてミハイルについて吐かせたのだから、アルミラがなにかしているとハロルドに感づかせるには十分だろう。これでなにも気づいていないと楽観視できるわけがない。


 ハロルドの手駒は多い。人外のような騎士だけでなく、様々な駒を揃えている。その内の何人かは数年かけて切り崩したが、それでもアルミラの持つ駒に比べれば十分すぎるほどだ。


「フェイ様は手心を加えてはくれないだろうし……ああまったく、嫌になる」


 フェイは弟子だからと手を緩めるような相手ではない。アルミラにはアルミラの矜持があるように、フェイにはフェイの矜持がある。

 互いに譲れない場合、フェイは容赦なくアルミラを叩き潰すだろう。


「……泣かせるだけじゃ割に合わないぞ」


 これは謝罪の一つや二つ貰わなければ、とぶつくさ呟くアルミラの耳にノックの音が飛びこんできた。

 素早く起き上がり、乱れた髪と服を整えると「入れ」と短く命じる。


「アルミラ様。お客様がおいでです」


 扉を開け、楚々とした侍女が短く告げる。一瞬首を傾げかけたアルミラだったが、続いた名前に「ああ」と合点がいったように呟いた。


「通してくれ」

「かしこまりました」


 侍女が頭を下げ退出すると、アルミラの口元に笑みが浮かぶ。


 アルミラに友人は多いが、どれも浅く広い関係だった。それもそのはず、情報収集の一環として培ってきた交友関係なのだから、密な関係になれるはずもない。

 しかもアルミラはおよそ令嬢らしくない趣味の持ち主だ。茶会などに参加しても聞き役に徹し、時折会話に混ざることはあっても積極的に話題を提供したりはしなかった。


 そういった間柄の友人しか持たないアルミラにとって、誰かの家にお邪魔したりフェティスマ家で開かれる茶会に招待したりはしても、親しい友人として自室に招く機会には恵まれなかった。


(あいつの気も少しはわかるような気がしてくるな)


 悪意も打算もない相手というものは中々に貴重なものだ。悪意の中で育ったレオンが心惹かれるのも、無理はない話だったのだろう。


 そしてアルミラも、打算に塗れた付き合いしかこれまでしてこなかった。誰かを自室に招き、しかも趣味を発揮できる千載一遇の機会に頬が緩みかける。


(……だが、私とあいつは違う)


 ぺちっと緩みかけた頬を叩き、気を引き締める。

 レオンは純粋な好意を寄せたが、アルミラは罪悪感を利用しているだけだ。


 しかも愛されて育ったであろう少女を、悪意の渦巻く場所に引き込もうとしている。

 わずかな良心の痛みを覚えながらも、アルミラはいつものように頭を切り替えた。

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