「嫁にいく気ないだろ」

 翌日は朝から騒然としていた。それもそうだろう。王子が騎士に連行されたのだから、なにがあったのかと話題にならないはずがない。

 外の騒ぎに気がついた者はレイシア以外にもいた。ただならぬ様子に窓から眺め、そして知らなかった友人にその話をする。そうして、レオンが連れて行かれたことは瞬く間に広がった。

 だが幸いとでも言うべきか、その内容まで聞き取れていたわけではなかったようで、その場に居合わせたアルミラやレイシアに話を聞こうと声をかけてくる。

 好奇の混じった視線に、アルミラははぐらかし、レイシアは困ったように瞳を揺らした。


 だがミハイルに声をかける者はいない。レオンがなにをして連れて行かれたのか定かではない現状で、どう扱えばいいのかわからなかったからだ。


 遠巻きにされながら、ミハイルは一人悩んでいた。


 レオンが連れて行かれた後、寮に戻る間際アルミラから「休暇日に」と短く告げられた。言われたとおり休暇日まで待つべきなのか、それよりも早く動いてアルミラと話すべきなのか、それが悩ましかった。


 聞きたいことは山ほどある。だが下手に声をかけて王の耳に届いたらどうなるかわからない。


(礼を言う、という名目なら話しかけられるか……?)


 アルミラに助けられたのは事実だ。礼を言うことは当然だろう。

 だが休暇日と言われたのにその前に話しかけたら迷惑かもしれないと、悩んで悩んで、悩み続けた結果休暇日前日になっていた。




 休暇日前になると、明日はどうやって過ごそうかと皆浮足立つ。教室にわざわざ居残ってまで自習する者も普段よりも少ない。アルミラはここ数日こちらを射抜くような目で見てきていたエルマーに視線を向ける。


「言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ?」

「お前から話してくれるんじゃないかと期待していたんだけどな」


 わざとらしい溜息をつくと、エルマーは机に手をつきアルミラの顔を覗きこむようにして睨みつけた。


「なにがあった」

「とくになにも」

「お前の元婚約者についてはこの際置いておく。どうせ答えないだろうからな。……そっちじゃなくて、風見鶏のほうだよ」


 風見鶏と言われてアルミラは首を傾げる。


「最近お前の周りによくいるだろ」

「偶然だろう」

「んなわけあるか」


 周りと言っても、レイシアを取り巻く男性陣たちとは違い、気づいたら視界の隅にいたりする。

 そしてアルミラと行動を共にすることが多いエルマーは、やけにアルミラを気にしているミハイルが気になってしかたなかった。


「お前、なにしたんだよ」


 用事があるならさっさと話しかければいいのにそうしない。ただ視界の端にちらつくだけで、こちらに近づこうとはしてこない。


 ミハイルについて弁護しておくと、別段アルミラの後を追っているわけではない。ただ少し、いたらいいなくらいの気持ちで下級生の階に出没しているだけだ。

 そして、見かけたら話しかけようか悩んで足を止めているだけだ。


「一緒に昼食を食べたり、少し雑談したりする程度しかしていないよ。お前も知っているだろう?」

「だけど最近はしてなかったよな」

「なにかと忙しいだろうからね。私にばかり付き合わせては悪いと思っただけだよ。それに、来週からはもっと忙しくなるはずだ」


 エルマーは気づいていた。アルミラとエルマーが一緒にいると、ミハイルの視線がわずかにだが鋭くなることに。

 そんなまさかと否定していたのだが、もう腹を括ってしまおうと気になってしかたなかったことをアルミラに問いかける。


「なあ、お前……惚れられたんじゃないか?」


 恐る恐る、探るように声をひそめる。他の誰かに聞かれたら困るからというのもあるが、エルマー自身信じたくない話だったからだ。


(こんな色気もなんもない奴に惚れるとは思えないが、万が一ということがある。いや、億が一、兆が一……)


 どんどん可能性を下げていくエルマーを笑い飛ばすように、アルミラは快活な声で「ありえない」と返した。


「仮面をつけて男装しているような女に惚れるわけがないだろう」

「あ、ああ、そうだよな。うん、聞いた俺が馬鹿だった」


 普通に考えたらアルミラの言うとおりだ。だが払しょくしきれない思いに、エルマーはさらに言葉を続ける。


「もしも、もしもだが、お前に惚れてたらどうするんだ?」

「ふむ……どうもしないな。私は王によく思われていないから、どうにかなることはない。それに彼も私のような自分よりも強い女を嫁にはしたくないだろう」


 貴族子息の間では弱い女性を守るという共通認識がある。

 男装、仮面、強さ、どれを取っても普通は惚れたりしないだろう。そう、普通なら。


 ミハイルに母親譲りの乙女心があったことは、アルミラにとって誤算だった。


「そんなこと言ったらお前、一生嫁にいけないんじゃないか? 俺は貰わないからな」

「そこは嘘でも貰ってやるって言うもんじゃないのか?」

「俺は色気のある奴が好きなんだよ」

「お前の好みはともかくとして、どうしても結婚したくなったらフェイ様にでも求婚するさ」

「他国とかじゃなくてそこって……お前、どんだけ強くなるつもりなんだ」


 エルマーが呆れたように言うと、アルミラは少し考えるように虚空に視線を送ってから、口角を上げた。


「フェイ様に勝てるほどに、かな」

「嫁にいく気ないだろ」

「ばれたか」


 大仰に肩をすくめるアルミラにエルマーは苦笑を返す。

 嫁だなんだと話してはいるが、エルマーにはアルミラが大人しく家庭に収まっている図が想像できなかった。レオンからの命令があったとはいえ、アルミラはいつも忙しなく動いていた。

 なにか学びはじめたと思えば、また別のものに手を出している。

 そういった落ち着きのないところもエルマーとしては面白いのだが、女性的な魅力には繋がらないだろうと思っていた。


「そういえば、明日は暇か? 少し付き合ってくれるか?」

「ん? あー、夕方までならいいぞ」


 もしもミハイルを助けたことや、ミハイルが初心すぎることを知っていたら、もう少しアルミラを説得するなりしていたことだろう。


 せめて惚れさせた責任くらいは取れと助言したに違いない。


 だがエルマーにとってアルミラは可愛い妹分だが、女性として見ているわけではない。

 だからこそ、ありえないと片付けてしまった。



 そして、この二人のやり取りがものの見事に直撃してしまった人がいた。


 今日こそはと意気込み、アルミラの教室にまで足を運んでいたミハイルだ。

 最初こそ声をひそめていた二人だったが、アルミラがありえないと一刀両断したあたりから普通に話していた。

 そしてアルミラの席が廊下に近かったこともあり、ミハイルの耳にばっちり届いてしまっていた。


 国のこと、父のこと、レオンのこと、これからについてや王太子候補になったこと。様々な思いを抱き、せめて明日までに少しでもいいからなにか情報を聞き出して心の準備をしようと思っていたところにこれだ。


(……強くなるためにはどうすればいいんだ……?)


 苦悩に乙女心が加わった結果、思考が迷子になった。

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