「俺に対する状況説明からにしてくれ」

 いざ休暇日となったのだが、ミハイルはどうしたものかと部屋の中を歩き回っていた。

 アルミラが呼びに来ることはないだろうから、外に出て声をかけてくるのを待つのが妥当だろう。

 だがアルミラは昨日エルマーを誘っていた。休暇日は二日あるので、初日ではなく明日話すということだったのかもしれない。


 だがもしも今日だったらと思うと、自室にこもっていてはアルミラが困ることになる。


「これは……どうすればいいんだ」


 とりあえず外に出てから考えればいいことはミハイルもわかっている。

 しかし、もしも今日じゃなくて肩透かしを食らったらと思うと、部屋を出られなかった。


 悶々としながら部屋の中を歩いていると、ノックの音が部屋に飛びこんできた。



「えーと……私に用って?」


 目の前にいる挙動不審な小動物もといレイシアに、ミハイルはなんとも言えない表情で問いかける。

 アルミラかと思ってノックに応えたのに、ミハイルに用があると呼びに来たのはレイシアだった。そのときの落胆ぶりは、わざわざ語るほどのものではないだろう。


「あの、そのー……少しお話がしたいのですが、構いませんか?」


 構うか構わないかで言えば構う。いつアルミラが呼びに来るかわからない。

 しかし、今この状況でアルミラがミハイルを名指しで呼べば、注目を集めるかもしれない。そうなると、呼びに来ない可能性のほうが高いわけで、外を歩いてアルミラが接触することを待つのが一番合理的だ。


 部屋にいたときと同じようなことを堂々巡りのごとく考えていたミハイルは、少しの間レイシアの存在を忘れた。


「お願いします! 少し、ほんの少しでいいので!」


 明後日の方向を見るミハイルの手を握り、懇願するように潤んだ瞳で見つめるレイシアに、ミハイルはためらいながらも肯首する。

 ミハイルは初心で純情だ。もしもこれが一週間前か、あるいはレオンがレイシアのそばにいるようになる前であればうっかりときめいていたことだろう。

 だがしかし、ミハイルが母親から譲り受けたものは乙女心だけではない。


 思い込んだら一直線な一途さもまた譲り受けていた。



「えーと……たしか、学舎の……とりあえず、行ってみましょう」


 ミハイルが頷いた瞬間喜色を露わにし、行き先が決まっているのか先導しはじめる。

 その後を、ミハイルはなにも聞くことなく追う。


(おそらく、レオンのことかな)


 あんなことがあったのだから、レオンがどうなっているのかとか聞きたいことは山積みだろう。

 だがミハイルもなにがどうなっているのか細かいことは知らない。レオンが現状どうなっているのかもわからない。聞かれたとしても、答えることはできない。


 このときミハイルがもう少し冷静であれば、レイシアが呼びに来た理由にすぐに見当がついただろう。

 だがアルミラが会いに来ると思い込んでいたこともあり、レイシアがアルミラに促されてレオンを振ったことを失念していた。



「ええと、ミハイル殿下と少しお話するので、誰も通さないようにお願いします」


 学舎は自習する生徒のために休暇日でも常時開放している。そのため、上級学生の教室まで行っても、咎める者は誰もいない。

 階段を上ったところで待機していた何人かの男子生徒に声をかけ、レイシアはそのままミハイルと共に廊下の突き当りにある教室に入る。


「ミハイル殿下、ご足労いただき感謝いたします」


 そして、そこには仰々しく紳士の礼をするアルミラがいた。

 さらにその傍らでは息も絶え絶えなエルマーが座りこんでいる。


「……これは?」


 状況が掴めず困惑するミハイルにアルミラは席に座るように勧めながら、自分もまた適当な場所に座った。


「私がミハイル殿下と接触して陛下の耳に入ると問題があるかと思い、レイシア嬢に協力していただきました」


 廊下に陣取り雑談に花を咲かせているであろう男子生徒数人は、レイシアの取り巻きだ。かといって、男女の仲になりたいと画策しているわけではない。

 ただ可愛い女の子に頼られたい、守りたいという純粋な心を持った者たちで、ミハイルと二人で話すというお願いにも快く頷いてくれた。


「こちらはご存じかもしれませんが、私の従兄のエルマー・ルノワールです。役に立つかと思い連れてきました」

「……死ぬかと思った」


 ふらふらしながらも座り、机の上に体を預けるエルマーだったがミハイルに少し鋭くなった目で見られ慌てて姿勢を正した。


「だらしないところを見せてしまい申し訳ございません。このば……アルミラが窓から入ると言い出したため、少々……いえ、だいぶ死にかけたもので」


 取り繕うエルマーの言葉に、ミハイルの眉間の皺がよりいっそう深くなる。


「窓から……?」

「はい。表からですと教師などの目に触れますので」

「……壁を上って?」


 ミハイルの脳裏に浮かぶのは、穴の中を駆け上がったアルミラの姿だ。


「そうなのですが……襟を掴んでぶら下げたのが、どうにも気に食わなかったようで」

「いや、死ぬからな。首がしまって普通に死ぬかと思ったぞ」


 淡々と告げるアルミラにミハイルはほっと胸を撫で下ろす。


(そうか。抱きあげたわけではない、ということか)


 アルミラが誰を抱きしめようとミハイルには関係ない。それはミハイル自身もわかっているのだが、どうしてももやもやしてしまう。

 二人の仲がよさそうなのも、ミハイルがもやもやしてしまう原因の一つだ。


 そんなミハイルを見てエルマーは顔をしかめていた。

 一度は否定したがもしかして、という予想が再度よぎる。


「まあ、それはともかくとして……レイシア嬢。あなたも座ってください」

「は、はい!」


 扉の前でどうしたものかとそわそわしていたレイシアに声をかけ、全員が座ったのを確認するとアルミラは一同を見回した。


「さて……なにから話しはじめましょうか」


 腕を組み、悩ましげに首を傾げる。


「俺に対する状況説明からにしてくれ」


 そして、この件においてこれまでまったく関与していなかったエルマーの提案を聞きながら、アルミラは静かに語りはじめた。


「私の元婚約者が、ミハイル殿下に危害を加えたということで連行されたわけですが」

「冒頭からわけがわからないんだが、それ本当に俺に対する説明なんだろうな」

「……王は戦争がしたいみたいであいつの魔法の才はそれに有用そのために私やレイシア嬢をあいつの枷にしたかったができなかったので今度は罪人として連れていった。以上だ」


 一息で言い切ると、エルマーは「お、おう」と若干引き気味になりながら頷いた。

 これで状況説明は終わりとばかりに、今度はミハイルに向き直る。


「ミハイル殿下、レオン殿下が罪人となった以上、あなたが王になることは避けられないでしょう」

「……ああ」

「ミハイル殿下のご意思のもと、王となっていただきたかったのですが……こうなってしまってはどうしようもありません。ですが、王の命に従い王太子として生きるのか、あるいは王に背き、あなたが思うままの王になるのかを選ぶことはできます」


 真摯な眼差しに射抜かれ、目を伏せる。その問いに対する答えは、ミハイルの中にはまだない。


「……現王は、まあ有り体に言ってしまえば独裁者です。否と言える者もなく、気ままに公務を行っていたわけですが……そんな状況に飽いてしまったのでしょう。せっかく手に入った駒を放置するのももったいないから、戦争をしてみようかと考えてもおかしくない状況なわけです」


 王はこれまで悪政を敷いたことはない。凡庸な政策ではあるものの、民の生活は少しずつ向上され、じわじわと善き王なのではという評判が民の間に広まりはじめている。


「それは、確かな情報なのかな?」


 築き上げてきた評判を覆してまで戦争をする理由はどこにもないはずだ。飽いた、という理由だけでは納得できず、口を挟む。


「王のことをよく知っている方……コゼット様からの情報です」

「彼女、から……?」

「はい。私とコゼット様は古くからの知り合いでして……かれこれ、そうですね。レオン殿下が組合で学ばれている頃からですので、十二年の付き合いでしょうか」

「ん? そのときお前四歳だよな」

「王都にある庭園で出会い、その場で愚痴を言い合ったりしたら気に入られまして、それ以来なにかと目をかけていただいております」

「嫌な子供だな、おい」

「なんだお前はさっきから。黙って聞いていろ」


 茶々を入れていたエルマーだったが、睨まれ大人しく口を噤んだ。

 ちなみにやけに親しげな二人にミハイルがもやもやしているのだが、それについては一先ず置いておこう。


「コゼット様は王の様子に気を配り、退屈そうにしていることに気がつきました。王は国営にしか興味がない、と言われていることはご存じかと思いますが……どうやらその国営にも飽きてしまわれたようです。そして王の手元には、戦争で使えば強力な武器になる駒がありました。……コゼット様からどうにかしてほしいと頼まれたわけではございません。元々私自身婚約をどうにかするつもりでしたので、ついでにあいつの国に対する未練をなくして他国にでも追いやろうと考えていたところに……」


 そこで言葉を区切り、レイシアのほうを向く。


「レイシア嬢が現れたわけです」

「そ、その節は大変ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」

「それについては気にしなくていいよ。あいつに人の心が芽生えること自体予想外だったからね」


 机に額を押しつけそうなほど平伏するレイシアをなだめていると、トン、と机を叩く音が聞こえた。


「……それで、結局彼女から聞いた話が確かだという証拠はどこにもないわけだけど、それについてはどうなったのかな?」


 顔をしかめ話の先を促すミハイルに、アルミラはわずかに視線を伏せてから口を開く。


「それについては状況証拠しかありませんが――」

「アルミラ」


 促されるまま話をしようとしたのに途中で制され、不思議そうな顔で首を傾げる。


「どうかされましたか?」


 ミハイルはその様子になんとも言い難い微妙な表情をしながら、先ほどからもやもやしていたことを吐き出した。


「……使い分けていたら話しにくいだろうから、今だけ……この四人でいる間くらいは私に対しても普通に話していいんじゃないかな?」


 その言葉に、アルミラは少し考えてから頷き、エルマーは机に突っ伏し、レイシアは机に突っ伏したエルマーを心配そうに見た。

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