「私がお力になれるのであれば」

 時は少し遡り、ミハイルがいまだ穴の中にいる間、レイシアは一人部屋の中で悶々としていた。

 アルミラと別れてから夕食を食べて部屋に戻り、本を読んだり自習したりと気をまぎらわせようとしたのだが、どうにもうまくいかない。

 それは、図書館で聞いた話が関係しているのだろう。


(レオン様、どうしてるのかな)


 ペンを走らせていた手を止め、頭に浮かべるのは最後に会ったときのレオンの顔だ。傷ついたような、呆然とした顔。すぐに不機嫌なものに変わったとはいえ、その一瞬の顔がどうしても頭にこびりついて離れなかった。


 その上、二人で過ごした場所を回っていたと聞いたら、罪悪感もひとしおだ。


(本気……だったんだよね)


 レイシアはずっとレオンからの好意を一過性のもの、ただの気まぐれだと思っていた。王子と子爵家の娘では立場もなにもかもが違う。しかも好かれるようなことをした覚えがまったくなかった。


 笑顔を向けられた、ただそれだけの理由に、笑顔を向けることや向けられることに慣れているレイシアが辿りつくことはできない。


(だけど……それでも、私には無理だよ)


 だが辿りついたとしても、結果は同じだろう。たとえ向けられている好意が本気だろうと、受け止めきるだけの気概も度胸もレイシアにはなかった。



 レイシアは、初めてアルミラと言葉を交わした日のことを思い出す。




 人のいない教室で、レイシアはアルミラと対峙した。他言しないでほしいと前置きされた話は、出だしからレイシアの度肝を抜く。

 王が戦争をする気だという話は、即座に納得できるようなものではない。

 なにしろ周辺国と仲が悪いわけでもなければ、他国を攻めなければいけないほど困窮しているわけでもない。レイシアが産まれてからの十六年間、戦争の気配は微塵もなかった。


 勘違いではないか、と動揺を見せるレイシアに、アルミラは肩をすくめる。


「まあ、絶対にそうなるとわかってるわけじゃないから……そこはいいんだ。ただね、戦争となれば間違いなくあいつ……レオン殿下は駆り出される」

「え? でも、レオン殿下は卒業したら王太子になるんですよね?」

「あいつが死んでもミハイル殿下がいるからな。王にとっては失ったとしても痛くも痒くもない相手だ。……それに、王太子が有事の際に王の命令を聞くのは普通のことだろう?」


 王太子は王となるそのときまで、王に仕える臣下だ。有事の際に出向くことも、おかしいことではない。ただこの国は長らく戦争をしてこなかった。

 有事といっても、災害だったり、他国との外交だったりの命が脅かされるほどのものではない。


「だけど、でも、レオン様がそんな……危ない場所に赴くとは思えません」


 我が道を突き進むレオンが王の命令だからと、戦場に身を置く姿がレイシアには想像できなかった。「どうして俺がいかないといけない」とか言って、他の人――それこそ、王太子ではなくても王子であるミハイルに押しつけても不思議ではない。


「あいつは王の命令にだけは従うからな。王直属の者からなにか言われて従うのを何度も見てきた」

「……でも、命ですよ。命がかかってるのに、命令だからと頷くほどレオン様が殊勝だとは思えません!」

「ん、うん、君は中々、思っていたよりも言うね」


 小動物のような見た目から出てくる失礼な言葉に、アルミラは思わずたじろいだ。


「だからね、あいつには首輪がいるんだ。たとえば、国。たとえば、婚約者。そして……君とかね」


 人差し指をレイシアの顎に添え、上を向かせる。藍宝石のような鮮やかな青い瞳に映る白い仮面に、アルミラは小さく苦笑した。


「まあ、そのうちの婚約者はあいつの首輪にはならないだろうけど、国と君は別だ」

「わ、私ごときが首輪だなんて、私なんてレオン様にとってはただの火遊びにすぎないのに」

「あいつがあそこまで強い執着心を見せるのは珍しいんだよ。あいつにとってそこらの人間は有象無象……覚えるに値しない存在ばかりだ」


 そう言われ、レイシアはこれまでレオンとしてきたやり取りを思い返す。

 レオンの口から特定の誰かの話題が出ることは珍しかった。

 アルミラの話題がたまに出たりはしたが、そのほとんどはレイシアが先に話題に出したからだ。


「執着している相手を守るために戦うのはおかしくないだろう? しかもあいつは自分が王になると信じきっている。こんなところで死ぬわけないと、そう思うだろうね」

「そんな、馬鹿じゃないんですから、死ぬ可能性くらい考えるのでは」

「馬鹿なんだよ、あいつは」


 きっぱりと言い切られ、レイシアは言葉に詰まる。レイシアも何度か心の中で馬鹿王子と思ったことがあったため、否定しきれなかった。


「君があいつの愛さえあればどこでも生きていけるなら、国外にでも一緒に逃亡させようかと思ったけど……そういうわけじゃなさそうだ」

「……それは」


 言葉に窮し、視線をさまよわせる。その所作だけで、アルミラには十分だった。


「あいつと一緒に生きていく気がないのなら、それをそのままあいつに言ってほしいんだよ」

「でも、レオン様が聞いてくださるとは、思えません」

「大丈夫。聞かざるを得ない状況を作るし、君が不利にならないようにもしてあげるよ」


 ことさらゆっくりとした落ち着いた声色が、レイシアの中にじわじわと沁み込んでいく。

 ここで頷けば、一気に楽になれるだろう。そう思えば思うほど、二の句もなく頷いてしまいそうだった。

 だがそれでも、レイシアは抱いた疑問をアルミラにぶつけた。


「あの、レオン様はどうなるのでしょうか」

「他国に逃がすよ。あいつにとって、この国は毒だからね」

「……王になることを捨てて逃げるような方ではないと思いますけど」

「だからこそ、必要なんだよ。あいつの心を折り切ることが」


 正直、レイシアにはその関連性はよくわからなかった。

 だがアルミラがこうまで自信満々に言うのなら、それはたしかに必要なことなのかもしれない。卓越した才能を持つわけではない、凡人である自分にはわからないような、高尚な理由があるのかもしれない。


 そう思ってしまった時点で、アルミラからの次の問いかけに対する答えは決まってしまっていた。


「というわけで、助けると思って協力してくれるかな?」


 転移魔法を持つレオンがいれば、王は戦争を起こすかもしれない。そしてレオンは王の命令には従う。だが戦争が起きれば国、ひいてはレイシアの生家もどうなるかわからない。

 それにレイシアにとって、レオンは命の恩人だ。振り回され続けてはいたが、助けられたことは変わらない。


「私がお力になれるのであれば」


 本当に戦争になるのかはわからない。だがそれでも、自分のすることがレオンの助けになるのならと、レイシアは頷いた。



「……あの、アルミラ様」


 そして話は終わったと教室を去ろうとするアルミラの背中に、レイシアは呼びかける。


「アルミラ様は、本当に私に対して怒ってはいらっしゃらないのでしょうか。アルミラ様がレオン様と過ごすはずだった時間を奪ってしまった私を」

「んー、なにか勘違いしてるのかもしれないけど……私はあいつのことを好きでもなんでもないよ。それにいつかは婚約をなくすつもりだったから、それが早まっただけにすぎない」

「ですが――」


 なおも言い募ろうとするレイシアに、アルミラは小さく溜息を零した。


「こちらの言ったことも覚えてなければ、自分が言ったことも覚えてない。そんな相手に対する情なんて――とっくの昔に消えうせたよ」


 今度こそ話は終わりだと言うように、教室の扉が閉められた。




(アルミラ様はなにをなさりたいんだろう)


 あの日のやり取りを思い返し終わると、レイシアは心の中でそう呟いた。

 なにをしているのかはわかっている。だが、それをしたところでなにを得られるのかがわからなかった。


(自分の立場も気にせず、レオン様のために動いているなんて……情があるとしか思えないのに)


 アルミラ本人が聞けば「冗談じゃない」と吐き捨てるようなことを考えはじめる。

 レイシアの思考がよりいっそうおかしくなろうとしていたそのとき、窓が大きく揺れた。


「え? な、なに?」


 考えていたことが一気に吹き飛び、揺れる窓に戦々恐々となる。強風で窓が割れることはたまにあることだ。しかしこの狭い室内で割れれば、大惨事になることは目に見えている。

 せめて少しでも被害を減らせないかと窓に近づきカーテンを引こうとして――レオンと、それを囲む騎士が外に見えた。


「レオン様!?」


 今の今までアルミラとのやり取りを思い出していたのが災いした。

 学園にいる騎士は王に仕えていて、王は戦争をしたくて、レオンを駒にしたがっている。そのことがすぐに脳裏をよぎり、レイシアは衝動に突き動かされるように部屋を飛び出してしまった。


 寮は上階に行くほど高貴な生まれの人たちが住むことになっている。そして子爵家の生まれでしかないレイシアの部屋は二階にあった。

 そのため、外に出るのにそう時間はかからず、思い直す暇はなかった。



「レオン様!」


 寮を飛び出してきたレイシアに真っ先に気がついたのは、レオンから少し離れた場所で様子を見守っていた騎士だった。最初は危ないからと止めるつもりだったのだが、レイシアの呼んだ名前に迷いが生じた。


「ひゃっ!?」


 だがその迷いは一瞬だ。騎士はすぐにレイシアの肩に手をかけ、レオンに駆け寄ろうとしていたのを止める。

 勢いを殺されよろけたレイシアの体が騎士に寄りかかるような形になると、一際強く風が鳴った。


「貴様……!」


 レオンの怒気に、レオンを心配して駆け降りてきたはずのレイシアまで萎縮する。


「フェルディナンド嬢。こちらは危険ですので、お下がりください」

「え、で、でも、レオン様が」

「彼は罪人です」


(なにそれ、どういうこと!?)


 レイシアが事態にまったくついていけないことをよそに、レオンの怒気だけが高まっていく。


「言うにことかいて、俺が罪人だと!? よくもそのような口を利けるな!」


 だが風の渦は大きな音を立てて空気を揺らすだけで、騎士を傷つけようとはしない。それどころか、レオンの怒りとは裏腹に風の勢いが弱まっているようにレイシアには思えた。


「さあ、フェルディナンド嬢。こちらに」


 そう言って、レイシアの肩を掴んだまま動こうとする騎士のもう一方の手は剣にかけられている。


(これ、あれだ! 私が人質に取られてるやつだ……!)


 状況の悪さにレイシアが気づいたときには、だいぶ手遅れになっていた。

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