「必要なことだったのですよ」

 中庭での騒動から数日。間に休暇日を挟んだからか、翌日に比べればだいぶ静かになってきた。だがそれでも話題に上らせる者は多い。

 アルミラが昼食を共に囲んでいる令嬢たちも、あれからどうなったのかが気になるのだろう。ちらちらと意味ありげな視線をアルミラに向けては目が合うと曖昧に笑う。


 婚約を破棄されたことによって貴族としての立場が危うくなっているアルミラではあるが、交友関係が変わったりということはない。

 学園外であれば親の干渉があるので話はまた違ったかもしれない。だが比較的自由に過ごせることが認められている学園内で、あからさまにアルミラを避けようとする者はいなかった。


 穏やかと言えるのかどうかわからない昼食を食べているアルミラたちだったが、人影が近づいてくることに気づいた令嬢たちが色めき立つ。


「やあ」


 穏やかに挨拶するミハイルに、アルミラは瞬いた。


 レオンに婚約を破棄されてからというもの、アルミラはミハイルとの交流を絶っていた。そもそも学年が違うので、アルミラから会いに行かない限り顔を合わせることはない。


「少し彼女を借りてもいいかな?」


 ミハイルが穏やかな笑みをアルミラの友人たちに向けると、彼女たちはどうぞどうぞと暖かな眼差しをアルミラとミハイルに送る。

 彼女たちはアルミラがミハイルを好んでいると思っているので、断るどころか快く受け入れた。

 そうなればアルミラも断ることはできない。二つ返事で頷き、席を立った。


「ミハイル殿下、どうされましたか?」


 大人しくミハイルの後ろをついてきたアルミラだったが、食堂を出てある程度すると周囲に人がいないのを確認してから口を開いた。

 ミハイルは足を止め、アルミラに向き合う。


「……中庭でのこと、聞いたよ」

「そうですか」

「レオンはあれ以来休んでいるそうだね」


 心の傷が深かったのかなんなのか、あの日からレオンは寮にこもっている。食事を部屋に運ばせているところを目撃した生徒がいるため、死んでいないことだけはアルミラにも伝わっていた。


「そのようですね」

「……その、さすがに公衆の面前で振るというのは少しやりすぎたったのでは?」


 ミハイルはその現場を見たわけではない。だが、伝え聞いた限りではそうとう人が集まっていた。


(もしも私が同じことをされたら……立ち直れないだろう)


 しかもレオンはミハイル以上の自尊心の持ち主だ。これまで目をかけ、思い合っていると信じていた相手に大勢の前で振られる――その心の傷の深さを思い、ミハイルは眉を下げた。


「私は公衆の面前で婚約を破棄されましたが」

「それはそうだけど……しかし、君自身が望んでいたことだろう?」

「おや、望んでいれば公衆の面前でも構わないと?」


 そもそも人を集めたのはアルミラだ。


 最初に婚約破棄をレオンが宣言したのは想定外だったが、もしも想定していたら同じように人を集めていただろう。


「いや、しかし……」


 だがそんなことはミハイルの知る由もないことで、しかもアルミラがレオンを好きだと勘違いしている。多少境遇は違えど、レオンがしたことはアルミラと同じだ。

 言いよどみ視線をさまよわせるミハイルに、アルミラは苦笑を浮かべた。


「必要なことだったのですよ」

「……大勢の前で振られることが?」

「はい」

「…………婚約の解消ではなく破棄だったことも?」


 解消と破棄の違いはなにか。

 簡潔に述べるのならば、同意があるかどうかによる。解消は双方に利がなくなったなにかで互いに合意するため、どちらか一方の責となることはない。

 だが破棄は一方的に婚約をなかったことにする行為だ。正式に受理されたとなれば、破棄された側に非があったことになる。

 それをいくらレオンの望みだからと実行したことに、ミハイルは疑問を抱いていた。


「終わるまで教えてくれないだろうと思ってたからあえて聞かなかったけど……どうして破棄にこだわったのか、そろそろ教えてくれるかな?」

「レオン殿下がそれをお望みでしたので」


 もはや定型文と化している言葉をアルミラは口にする。

 

「それだけには思えないけど……」

「珍しく互いの希望が合致した、というだけの話です。破棄されることは私の望みでもありましたので」


 眉をひそめるミハイルに、アルミラは小さく微笑みを返した。


「王に不要とされた令嬢を娶りたい方などいらっしゃらないでしょう? 私は誰かと添い遂げるつもりはありません」


 はっきりと告げられた言葉にミハイルは瞠目する。

 結婚することが女性にとって最良とまでは考えていなかったが、それでもこうもはっきりと結婚したくないと言われるとは思っていなかったからだ。

 

「そ、それはどうして?」

「ミハイル殿下が王になると決意してくださるのでしたら教えますが……そうではありませんよね?」


 ミハイルはアルミラがレオンを好きだと思っている。だがそれでも多少期待してしまっていたのだ。

 そこそこ親しくしているのだから、自分に対してわずかでも好意を抱いているのではないかと。なんとも初心な発想である。


 期待していたからどうこうという話ではないが、ただ少しでもときめいた相手にもときめいてもらえたら嬉しいと、思春期の少年が浮足立ったような愚にもつかないことを考えていた。

 そのためミハイルの頭の中ではこれまでときめきかけたあれこれが渦巻いているのだが、アルミラはそれに気づかない。そもそもときめいていたこと自体アルミラには想定外だった。


「陛下はレオンを王にすることを撤回してはいない」


 それでもなんとか凛とした声で言い切ると、ミハイルは微笑みを浮かべ続けているアルミラを見下ろした。


(好きな相手と望んで共にいられないのならば、誰とも添い遂げたくないということなのだろうか……)


 ミハイルの勘違いが払しょくされる日が来るのかどうか――少なくともわざわざ訂正する者はいないだろう。

 なにしろ勘違いしていることを知る者はいない。

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