「俺がいかに本気か、これでわかっただろう」

 放課後、中庭には人だかりができていた。

 レオンがアルミラを呼び出したという噂が休憩時間を使って広がったせいだ。

 レオンと関わるのは恐ろしいが、この結果次第では情勢が変わるかもしれない。貴族として、そして現在もっとも話題に上る二人がどうなるのかという好奇心によって、行く末を見守ろうと集まった。


 人だかりの中心、不自然にぽっかりと空いた空間でレオンは苛々とした様子でアルミラを待っている。


 散れ、と一喝するのは簡単だ。だがそうしたところで身を隠しながらも留まり続けるだろう。どこからか視線を感じるよりはましと、ただ腕を組んで黙っている。


「お待たせいたしました」


 人混みが割れ、ゆっくりとした足取りのアルミラが姿を現すとレオンは「遅い!」と怒鳴りつけた。

 アルミラはそれに肩をすくめて返す。


「放課後としか書かれておりませんでしたので。……それで、ご用件は?」

「言うまでもないだろう。お前との婚約についてだ」

「おや、陛下からお返事をいただけましたか。それはなによりです」

「心にもないことを」


 吐き捨てるような言葉にアルミラはなにも返さない。

 レオンは周囲を見回し、その中に自分が思いを寄せる女性の姿を見つけると口角を上げ、勝ち誇ったような顔をアルミラに向ける。


「父上は俺の意見に同意してくれた。ゆえに、今この場を持ってお前との婚約を正式に破棄させてもらおうか!」


 その高らかな宣言に、周囲にざわめきが生まれた。


 王自らが決めた婚約を破棄するということは、アルミラが正妃に相応しくないとされたも同然。そしてアルミラの生家であるフェティスマ家の後ろ盾が不要になったか、あるいは破棄してもなお得られるほどの非がアルミラにあるということになる。


 そうなるとアルミラの立場はどうなるか――心配そうな視線がアルミラに集中する。

 アルミラは向けられる視線を厭うことなく、恭しくこうべを垂れた。


「ご随意に。それが陛下の決定であれば、私は従うまでです」

「お前との縁がようやく切れるのかと思えばせいせいする」


 仮面に隠されアルミラの表情はレオンからは窺えない。だがその下で悔しがっていればこれまでの留飲も下がるというもの。

 よりいっそうの屈辱を味わわせるために、レオンは人混みの一点を見つめる。


「レイシア」


 群衆の中で固唾を呑んで見守っていたレイシアの肩が名前を呼ばれたことによってぴくりと跳ねた。

 胸の前で組んだ手はあまりにも強く握りこんでいたせいで痛みを伴っている。


(大丈夫、大丈夫。深呼吸)


 心の中で自分を落ち着かせる言葉を呟きながら、レイシアは唇を固く結んで一歩前に躍り出た。


「俺がいかに本気か、これでわかっただろう」


 以前アルミラを好きだのなんだの言われたことを気にしていたようだ。


「今度こそ、人目を憚らずお前と一緒にいられる」


(だから、憚ったことないでしょ……!)


 思わず口を突いて出てきそうになった言葉をレイシアは必死に押しとどめる。今言うべき台詞はこれではない。


 レイシアの視線が婚約破棄されたばかりのアルミラに向く。小さく頷くその姿に、レイシアは覚悟を決め大きく息を吸った。


「め、め、迷惑です……!」


 思いのほか大きくなった声にレイシア自身が驚いてしまう。視線が集中し怯みそうになったが、虚を突かれたような顔で目を見開いているレオンを見て台詞の続きを言わなければとより強く手を握りこんだ。


「わわ、私はレオン様の、婚約者なんて望んでません!」

「……レイシア、なにを言っているんだ」


 レオンの目が射抜くように細まり、その威圧感に息を呑む。目の前が真っ白になりそうになったレイシアの肩に手が置かれた。


「お前がなにかしたのか」


 憎しみすら感じるレオンの声に、レイシアは慌てて意識を取り戻し自分の横に立ったアルミラを見上げる。

 

「特別なことはなにも? ただ、誤解があったようなので少し話し合っただけですよ」

「黙れ! どうせ脅すかなにかしたのだろう!」

「ちが、違います! アルミラ様は私の意思を確認してくれただけで、それで、その上でよくしてくださろうと……!」


 貶められそうになっているアルミラを庇うように、レイシアが声を張り上げた。

 

 並び立つアルミラとレイシアに、見守っていた者たちの間に困惑が生じる。これまでレイシアはアルミラを蹴落とそうとたくらむ悪女だと噂されていた。

 だが、今見せている姿はとうてい悪女とは呼べそうもない。


「だから、これは私の本心です! 私はレオン様と添い遂げる気も、ましてや恋人になる気もありません!」


 本心とまで付けて告げられた言葉に、レオンの顔が歪む。

 アルミラが期待に満ちた目をするが、レオンは自尊心の塊のような男だ。ここで無様に縋りつくことも、喚くこともできるはずがない。


「……くだらん」


 力なく呟かれた言葉に、レイシアの体がわずかに震える。

 レオンは最後にアルミラとレイシアを視界に収めると、体を翻し人混みに向けて「どけ!」と一喝した。


 慌てて道を空ける人の中を、レオンはただ前を見据えて通りすぎてゆく。


「アルミラ様」

「ん? なにかな?」


 小さな声で呼びかけられ、アルミラは首を傾げた。仮面があるため表情では伝わらないので、どうしても大仰な振る舞いをしなければならない。


「本当にこれでよかったのでしょうか」

「いいんだよ」


 アルミラはレオンの背を見送りながら今後について考えはじめる。

 本来は一年、あるいは二年かけて準備するはずだった。

 レオンの意識が婚約破棄に向いてくれたのは僥倖だったが、後回しにしたものをこれからの短期間でこなさなければならなくなった。考えることも増えるというものだ。


「君はなにも嘘をついてないんだから気にすることはない」


 レイシアがこの場にいたのは噂を聞いたからでも、レオンに言われたからでもない。

 手紙の内容を噂好きな友人の横で呟いたり、約束を断るという体でレオンに呼び出されたことを教えたりして人を集め、レイシアが紛れ込んでもおかしくない状況を作り出した。

 そのため、こうなることはレイシアとアルミラが話し合ったときから決まっていたことだ。

 わかっていても、レイシアの良心は痛みを覚えてしまうのだろう。


 だからとりあえずは、今回の協力者を労わるべきだろう。


「それに、これで独りよがりなところが治るかもしれないだろう?」


 善人というわけではないが、悪人にもなれない、どこにでもいるような感性の持ち主であるレイシアに、アルミラはことさらゆっくりとした落ち着いた声色で返した。

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