(職務放棄……!)

 レイシアが瞼を上げると、真っ白い天井と心配そうにこちらを見下ろすレオンの顔が視界に入った。

 先ほどまでとは違う光景と険しい顔をしているレオンに思わずレイシアの体が震える。


「れ、レオン様? あの、ここは?」

「起きたか」


 座っていた椅子の背もたれに体を預け、溜息を零すレオンにレイシアは戦々恐々としながら上体を起こした。そして白いシーツの敷かれた寝台にいることに気づくと、きょろきょろとあたりを見回す。

 

「……ここは救護室だ」

「救護……? なんでまた、そんなところに」

「覚えていないのか?」


 問われ、レイシアは記憶をあさる。覚えているのは、緊迫した空気を作り出すミハイルとレオンのことだけだった。そこから先の記憶がぷっつりと途切れている。


「覚えてません」

「そうか」


 短くそう言って黙りこむレオンに、レイシアは今度こそ自分の命の終わりを悟った。

 神妙な顔つきが、恐ろしさに拍車をかけている。


(もしかしてとんでもない粗相をしてしまったんじゃ……!)


 家族だけはと乞うために、寝台の上に這いつくばろうかと悩んだレイシアの頭に手が置かれる。柔らかな置き方に、レイシアは目を瞬かせた。


「気を失っただけだ。……すまなかった」


 か細く消え入りそうな言葉に、レイシアの顔面が蒼白に変わる。もしや夢幻でも見ているのかと疑いかけたが、頭の上に置かれた重みがこれが現実だと告げてくる。

 では一体これはどうしたことか。レオンはこれまで謝罪らしい謝罪を口にしたことがないので有名だ。実際、レイシアもレオンが謝る現場を見たことはなかった。

 それが小さな声ではあるが、すまないと口にした。混乱した頭では、冥途の土産かなにかかもしれないという結論しか出てこない。


「あの、レオン様に謝られるようないわれはございません」

「お前の様子に気づけなかった」

「いえ、あの程度で気を失う私の脆弱さのせいなので……気になさらないでください」


 レイシアは命を繋ぐので必死だ。冥途の土産はいらないので生かしてくださいと心の中で必死に訴えている。

 そしてどうにか生きながらえることはできないかと、あたりを見回した。救護室なら担当する医師がいるはずだ。その人に助けを求めようと思ったのだが、なぜか見つからない。


「お医者さまはどちらに……?」

「出てけと言ったら出ていった」


(職務放棄……!)


 うなだれそうになるのを必死でこらえ、レイシアは表情筋を駆使して笑顔を作った。

 冷静に考えれば言葉どおりの意味でしかないとわかるだろうに、死か生かの二択という強迫観念に囚われてしまっている。


「あの、授業に行かれたほうが……もうすぐ昼休憩が終わりますよね?」

「……しかし」

「ここまで付き添ってくださりありがとうございます。私はもう大丈夫ですので……また放課後、教室でお待ちしております」


 渋るレオンをどうにかこの場から追い払おうと、問題の先延ばしを図った。

 レオンの目が時計に向き、しかたないとばかりに溜息をつく。


「好きなだけ安静にしていろ。許可は得ている」

「はい、わかりました。ありがとうございます」


 退出するレオンを見送り、完全に扉が閉まるのを確認して、レイシアは盛大に息を吐く。そして体を寝台に預けて頭を抱えた。

 先延ばしにできたが、放課後になればまたレオンと過ごすことになる。綱渡りの状態に、本当にこれでいいのかと自問自答する。


(レオン様から離れるとひどい目に合う、けど……レオン様といてもひどい目に合いそう……。それにレイチェルは大丈夫だったのかな。エルマー様とミハイル殿下も……)


 体を丸めて、固く目をつぶる。

 瞼の裏に浮かぶのは、レオンと初めて言葉を交わした日のこと。あのときは悪い人じゃない、むしろ優しいと思っていたが――今では気のせいだったのではとすら思いはじめていた。


(離れたほうがいいと思うけど、離れるのも怖い……もう、どうすればいいのよ)


 後にも先にも進めない状態に、レイシアは毛布を強く握りしめた。

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