「不満があるのならはっきり言ったほうがいい」

 エルマーがレオンの前にたちはだかったことにより、食堂にざわめきが生まれる。レオンの婚約者で公爵家の生まれであるアルミラが率先して従っていたため、これまでレオンに直接文句を言った者はいない。

 視線がエルマーとレオンの二人に注がれる。


 そのおかげか、入口の向こうからこっそりと中の様子を窺っているアルミラに気づいた者はいない。



 エルマーがレオンに苦言を漏らしたと聞き、アルミラは少しの間悩んだ。仲裁に入るのは簡単だが、それをしてしまえば少々不都合が出る。

 かといって放っておけばどうなるかわからない。さすがに危害を加えるようなことはないと思うが、絶対にないとは言い切れないからだ。

 従兄を見捨てるのは、さすがのアルミラでも良心が痛んだ。


「……私が行こう」


 悩んでいるアルミラの肩に手が置かれる。見上げると、神妙な顔つきをしたミハイルがそこにいた。


「ミハイル殿下」

「そこにはおそらくレイシア嬢もいるのだろう?」


 驚きで瞬くアルミラに一瞬だが視線を向けると、ミハイルはすぐにアルミラの友人に問いかけた。

 友人は「はい」と手短に答えて、アルミラとミハイルの二人を交互に見る。


 これまでミハイルがレオンに対して積極的に動くことはなかった。想像だにしていなかった展開に、友人もうろたえているのだろう。

 アルミラは小さく息を吸うと、食事をするために外していた仮面を被りなおした。


「万が一があると困りますので、離れた場所で見守ります」

「……いいのかい?」

「はい」


 ミハイルが自分が行くことにしたのはアルミラに気を遣ってのことだ。

 状況はわからないが、女性関係が華々しいエルマーとレイシアに思いを寄せているレオンが衝突しているのなら、間違いなくそこにはレイシアの影があるだろうと推測した。

 焦がれた相手が自分ではない女性を巡って他の男と対立しているとなれば、心穏やかではいられない――勘違いから基づいた結論により、これまで関わろうとしてこなかったレオンと対峙する決意をしたミハイルだった。



(大丈夫だろうか)


 ミハイルの心中を知らないアルミラは、ハラハラとした気持ちで一同の様子を窺っている。口論しているレオンとエルマーに皆の視線が囚われているが、入口近くにいた生徒はミハイルの存在に気づくとぎょっと目を見開いた。


「レオン」


 落ちついた声にしんと場が静まり返る。そこでようやくミハイルの存在に気づいた者が、自分の見ている光景は本当に現実のものだろうかと何度も視線を外してはミハイルに向けた。


「兄上、どうしてここに」


 苛立たしげなレオンに、ミハイルは少し困ったような苦笑を返す。


「食堂で騒ぎを起こしていると聞いてね」

「兄上には関係のないことだ」

「皆が利用する場で騒いでいるのだから、兄として見過ごすことはできないよ」


 アルミラに気を遣って、と馬鹿正直に言うことはせずにそれらしい理由を捻りだす。これまでずっと放ってきていたのになにをいまさらという話だが、ミハイルとレオンの間には兄弟という関係しかない。


(それを振りかざすことでしか弟を説得できないとは、我ながら情けないな)


 自らに向けた苦笑だったが、レオンの目には違うように映ったのだろう。舌打ちをして、ミハイルを睨みつけた。


「そこの男が絡んできただけだ」

「それにしては……レイシア嬢が怯えているようだけど」


 レオンに手を握られながら、空いた手を胸元で握りしめ青ざめているレイシアに視線が向く。注目されたことによってよりいっそう血の気が失せ、もはや青白くなっている。


「もう少し穏便にすませることを覚えるべきじゃないかな」

「貴様のようにか」


 は、と嘲るように笑うと、レオンは瞳を細めて周囲を見回す。

 視線を合わせないように、周囲にいた者は視線をそらしたり顔を伏せたりと、少しでもレオンの気を引かないようにと尽力している。


「少なくとも私なら、想っている相手を怯えさせるような真似はしない」

「あ、ああの! 私は、その、気にしていないので……!」


 力強く手を握りこまれ、レイシアは思わず口を挟んだ。王子二人の間に割りこむのは畏れ多かったが、これ以上レオンを挑発されると今後が怖かった。


「レイシア嬢。不満があるのならはっきり言ったほうがいい」

「いえ! 本当に、大丈夫ですので……ご心配ありがとうございます」


 ミハイルからしてみれば、レオンはずいぶんとレイシアのことを気に入っている。他の誰の話も聞かないレオンだが、好きな相手の言葉くらいなら聞くのではと思っての提案だった。


(無理無理無理無理! 命がいくらあっても足りないよ……!)


 だがレイシアはレオンが自分のそばにいるのはただの気紛れだと思っている。もしも楯突いて興味が失われれば、一瞬で学園の最底辺をさまようことになる。

 すでに底辺に近いが、レオンがいるお陰でそこまでひどい目には合っていない。


 いつ興味が失われたとしてもレイシアに待っている未来は変わらない。ならば少しでも引き延ばしたかった。


「兄上に口出しされるようないわれはない」

「先ほども言ったと思うけど、私が兄だからだよ」

「今さらなにを。俺はこれまで一度として貴様を兄と慕ったことはない」


 一触即発な空気と、怒気を通り越して殺気の域に達しかけているレオンの怒りに、レイシアに限界が訪れた。

 レイシアは多少度胸はあるが、屈強な精神を持っているわけではない。常軌を逸した存在二人が今から争うかもしれないのだ。そんな状況に耐えられるはずがない。


「レイシア!?」


 ぴりぴりとした空気にあてられて、レイシアの意識が遠ざかった。




 腕にかかる負担にいち早く気づいたレオンは、崩れかけるレイシアの体を慌てて抱きとめた。ぐったりとしたレイシアに血相を変え、前に立つミハイルを睨みつけると声を荒げた。


「どけ!」


 だがミハイルは即座に反応できなかった。目の前で女性が気を失ったのだ。表面上は平然としているが、内心ではそうとううろたえていた。

 どうして気を失ったのかとか、気を失うほどのなにかがあったのかとか、必死で頭の中で整理していたため、その場を退くのが一手遅れた。


 レオンは再度舌を打ち、その場から忽然と姿を消した。


 食堂のざわめきがよりいっそう強くなる。


 転移魔法は小物にしか使えないと一般的には知られている。

 理論上は人間の転移も可能だが、そのために必要な魔力は多く、安定して転移させるだけの制御も必要になる。少なくとも、個人で行えるような魔法ではない。


 個人で人間を輸送できるとなれば、その利用価値は留まるところを知らないだろう。



(ああ、まったく……厄介なことを)


 その一部始終を見守っていたアルミラは内心で舌打ちする。

 レオンが中級魔導士にしかならないと言われていたのは、感情の抑制ができなかったせいだ。制御できない魔力はどれだけあったとしても、宝の持ち腐れにすぎない。だがそれでも下級魔導士とされなかったのは、その魔力の多さゆえだった。

 王がレオンを手放すのを惜しんだのは、制御さえできれば上級魔導士にも匹敵――下手すれば、上級魔導士すらも凌駕する魔力があったからこそだ。


 そして今は、起きてさえいれば魔力の制御を難なくこなせる。それこそ、人間の転移すらたやすくやってのけるほどに。



「アルミラ」


 声をかけられ、アルミラの意識が外に向く。険しい顔つきをしたミハイルに、アルミラはどうしたものかと仮面の奥で苦笑した。


「レオンはどこに行ったと思う?」

「救護室ではないでしょうか。レイシア嬢を診てもらうために移動したと考えるのが適切かと」

「……そうか」


 ミハイルが内心でなにを考えているのかはアルミラにはわからない。だが少なくとも、よいことではないのはわかる。


(思っていた以上にレイシア嬢に入れあげているようだな……)


 人前で自分の魔法の才がどれほどのものか見せつけたのだ。もはや愛しているのではないかとすら思えてしまう。

 アルミラは頭の中でそろばんを弾き直す。


(やはりレイシア嬢を利用するかな)


 そこにあるのが愛なのかただの一過性の好意なのかは関係ない。ただのぼせ上がっているのなら、そこを突くだけだろう。

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