「修道女はやだなぁ」

 レオンにとってアルミラがどういう存在なのかを一言で表すのなら下僕だろう。幼少時にはそうでなかったとしても、今ではアルミラという存在は、命令さえすればなんでも言うことを聞くものと化していても不思議ではない。


 そのアルミラが、レオンの命令を無視してミハイルに縋っている。レオンにとってそれは、言い表せないほどの衝撃だろう。

 男装しているのでいささか倒錯的な絵面ではあるが、レオンはそんなことを気にするような性格はしていない。


「レオン、これはアルミラのおふざけだよ」

「ならば彼女を剥がさずそのままにしているのはどうしてだ」


 レオンの咎めるような声にミハイルはどうしたものかと考えを巡らせる。

 剥がそうにも剥がれないと言ったところで、レオンは聞く耳をもたないだろう。なにしろミハイルの剣の腕前はレオンも知るところだ。

 鍛えている男性が剥がそうとしても剥がれない令嬢がいるはずがない――そう考えるのは深く考えずともわかりきっていた。


 ならばどうやってレオンの怒りを鎮めるか。


「そういえば」


 ミハイルの言葉に耳を傾ける気はあるようで、レオンは眉をひそめながらも黙っている。


「レイシア嬢はどうしたのかな? 彼女は今は敵が多いだろう。一人にしておいたらなにをされるかわからないよ」


 レイシアの立場が危ういことは、レオンもわかっているはずだ。そう考えて、話を変え、怒りの矛先を変えることにした。


「俺の寵を受けている女になにかしようと思う奴はいないだろう」


 だがレオンはどこまでも傲岸不遜ごうがんふそんな男だった。

 自分が絶対と信じて疑わない姿に、ミハイルは一瞬眩暈めまいを覚えた。次期王と懇意こんいにしているとはいえ、レイシアはただの子爵家の娘だ。正妃になることもなく、ただの一過性の火遊びとして認識している者も多いだろう。


 そしてアルミラこそ正妃にと望み、その火遊びに無理矢理にでも終止符を打たせようとする者も、いることだろう。


 自分を信じて疑わず、自分に歯向かう者がいるなどと考えもしない姿に、どうしてこうなってしまったのかとミハイルは自分の胸に縋るアルミラに視線を落とした。

 一切反抗せず命令を遂行し、トラブルを解決してきた。つまり、アルミラはレオンの成長の機会を奪い続けてきたと言っても過言ではないだろう。


 他者との軋轢あつれきに苦しむことなく、敷かれたレールの上を歩くだけのレオン。兄に対する劣等感こそあるが――むしろ劣等感があるからこそ、次期王という立場に必要以上に固執し、それを意味あるものとして考えてしまったのかもしれない。


 つまり、完全に教育を間違えた。


 だがそれをアルミラ一人の責任とすることはできない。本来彼女にレオンを教育する責はない。自分よりも高位な存在に逆らえないのは当たり前のことだ。

 そして本来、教育し注意するべきレオンの母親はレオンをこれでもかと甘やかし、王である父親は国営にばかりかまけていた。

 兄であるミハイルはそもそもレオンに嫌われていたので、なにを言っても聞き入れはしなかっただろう。


 それをわかっているから、ミハイルはこれまでレオンとは事務的なやり取りしかしてこなかった。臣下となった際にはレオンの命令を調整し、やりくりする予定だったが――この調子では命令から少しでも外れていたら背いたとみなしそうだ。


(これは、まいったな)


 まさかここまで悪化しているとは思いもしていなかった。学園に入る前はもう少し聞く耳を持っていたはずだ。

 一体なにが彼をここまで変えたのか――ミハイルの脳裏に浮かんだのはレオンと懇意にしているレイシアの存在だった。



 ミハイル――将来義兄になるかもしれない存在に危険視されはじめているとは露ほども思っていないレイシアは、レオンから離れたことにより黙々と自習にいそしんでいた。


 学園に併設されている図書館はとても大きく、様々な資料が集まっている。その中から目当ての資料を見つけ出し予習復習を繰り返すのは、日々の習慣の一つだった。


 レオンがいないのだから自室にこもっているべきなのはレイシアもわかっている。だが、勉強をおろそかにすれば苦労するのは自分自身だ。

 レイシアは凡才である。遊んで過ごしていて成績を維持できるほどの才能はない。そういう意味では、ミハイルもレオンもアルミラも、レイシアにとっては天上の存在にも等しい。

 もはや勉強していないのではと思えてしまうほどレイシアと過ごすレオンと、レオンの雑事をこなしているから勉強できているとは思えないアルミラ。

 ミハイルにはレイシアと関わりがない存在なので、彼女の視界には入っていない。


 資料である本を広げながら、レイシアは一人溜息を零した。


(もういいじゃん、お似合いじゃん、そっちで勝手にくっついて国を盛り立ててよ)


 レイシアは凡人である。一国の王子とその婚約者――しかも男装している令嬢の間に割って入ろうなどと考えていたわけではない。そのような度胸も野心もない、いたって普通の、どこにでもいる子爵家の娘だった。


 それがなんの因果か、レオンに気に入られてしまった。


 レイシアは子爵家の三女として生を受けた。なにをどう間違っても家督を継ぐことはなく、貴族の夫を見つけられなければどこかの貴族家の侍女になるか商家の嫁になるか、あるいは修道女になるくらいの選択肢しかない。

 政略的な結婚をできるほどの力もないため、学園で恋人を作ってそのまま嫁ぐという、打算の入り交じる恋愛結婚を夢見ていた。


 婚約者のいる相手にどうこうしようだとかを考えるほど悪辣あくらつではなく、他人の恋人を奪って悦にひたるほど享楽的きょうらくてきでもない。

 

 どこにでもいるような凡人がレイシアだ。


 だが、本当になにを間違えたのか――持って生まれた人との距離感のせいか――学園で男性人気を会得してしまった。

 レイシアが末子で年の離れた兄姉しかいなかったのも関係しているのかもしれない。甘やかされることや子供扱いに慣れきっていたため、なんやらかんやらと世話を焼かれることに違和感を抱かなかった。


 それでもレイシア的には、相手のいる人との付き合いには一線を引こうと気をつけていた。若いうちから結ばれている婚約は政略的なものが多い。それを覆すことは難しく、ただの火遊びで終わるかもしれない相手に興味はなかった。


 はたから見るとそれでも距離が近かったのだが、レイシアとしてはそのつもりだった。



 そのはずが、なにがどうしてこうなってしまったのか、レイシアはレオンのお眼鏡にかなってしまった。

 恋仲になるとかならないとか、夫婦になるとかどうとかを考えるような相手ではない。完全な政略結婚を前提にした婚約者がいて、しかも次期王になる相手とどうこうなるなどと、ただの凡人なレイシアは考えたことすらなかった。


 レオンがそばにいるようになってレイシアがまず思ったのは「あ、これ恋愛結婚もう無理なやつだ」だった。

 なにせ王子が恋した相手だ。それに声をかけるような勇気や度胸のある者はそう多くない。他国の王族であれば話は別かもしれないが、そんな相手も伝手つてもなく、そもそも王族の時点でレオンとそう変わらない。


 レイシアは凡人で多少夢見がちな女の子だったが、ある程度の度胸も持ち合わせていた。

 恋愛結婚は無理だと諦め、こうなってしまってはしかたないと、愛妾か側妃になることを覚悟した。


 だが天上の存在にも等しいレオンの思考を読み切ることは、凡才であるレイシアには到底不可能なことだった。

 まさか婚約を破棄して、ただの凡人凡才ザ・平凡な自分を王妃に望むなど、想像すらしていなかった。


 ノートの上で走らせていたペンを止め、本日何度目になるかわからない溜息をつく。


(正妃? 私が正妃? いや、無理でしょ。無理無理)


 凡人なりの度胸はあるレイシアだったが、さすがに正妃になる度胸はない。


(だけど、レオン様に捨てられたら……修道女かぁ)


 王子のお手付きだった女性に声をかけ、ましてや妻にと望む者はそういない。

 学園にいる間の火遊びを楽しむ者はいるし、それでも結婚できる者はいるが、さすがに王子が相手だったとなれば誰でも尻込みするだろう。

 手を繋ぐだけの健全な関係だとしても、それを証明するすべは寝所を共にする以外ない。そこまで持っていける手腕があるのならば、レイシアもそこまで悩まなかっただろう。


「修道女はやだなぁ」


 思わず本音が漏れる。神に仕え規則正しい生活を送るというのは、レイシアの性には合っていない。恋もしたいし、幸せな家庭を築きたい。そんな夢を持つどこまでも平凡な女の子なのだから当たり前だ。


(なんかこう、いい感じに平和に解決しないかな)


 離れた場所で危険視されているとも知らず、レイシアは虚しい願いを抱いていた。

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