「さすがにやりすぎだよ」
授業が終わり放課後になるとアルミラは、普段ならば立ち寄ることのない、第三学年の教室がある階にまで足を運んだ。目的は二歳上のお義兄様――第一王子であるミハイルに会うためだ。
ミハイルは今年で卒業する第三学年で、首席を維持し続けての卒業も夢ではないと言われている。その弟であるレオンの成績がどうなのかは、語るまでもないだろう。
さて、そのレオンだがお昼時にアルミラの教室に現れた。用件は昼食はどうしたというものだったのだが、残念なことにアルミラは授業が終わり次第教室を出ていたので、レオンの用件は誰の耳にも入ることはなかった。
ぐるりと教室の中を見回し、アルミラがいないとわかるとレオンは不機嫌なのを隠そうともせずその場から立ち去った。教室に残っていた生徒が、怒りの矛先がこちらに向かないかと冷や冷やしていたのは余談である。
そうして朝から一度もレオンと顔を合わせることなく平穏に過ごしていたアルミラは、丁度帰宅しようとしていたミハイルを捕まえ
「ええと、これはどういうことかな?」
有無を言わせず腕を引っ張られ、なにも言われずに連れこまれたミハイルは端正な顔に困惑の色をにじませた。
「お話がございます」
「うん。それはわかるんだけどね、俺と二人というのは君の外聞的によろしくないんじゃないかな?」
「今さら外聞の一つや二つ気にしません」
ミハイルの耳にもレオンとアルミラの騒動は入ってきている。そしてレオンに従順に従ってきたアルミラが、その場で承諾したことも聞いていた。
だが王命である婚約を覆すほどの力はアルミラにもレオンにもない。
だからミハイルは、今回の騒動をままごとのようなものだろうと結論づけていた。
「ミハイル殿下、王になりませんか?」
だがアルミラは本気だった。本気で婚約を破棄しようと考えていた。
ここまで言われて気がつかないほどミハイルは愚かではない。
だからこそミハイルは顔を引きしめ、真面目な表情で小さく首を横に振った。
「聞かなかったことにするよ」
レオンを玉座に座らせるのは、王と正妃の意向だ。アルミラの今の発言はたとえ学園でのものだとしても、王に対する
臣下ならば反逆の意思ありと王に進言するべきなのだろう。だが昔から知っている相手を突き出すのには勇気がいるものだ。
ミハイルは聞かなかったことにして、この話はなかったものにしようとした。
「いえ、聞いてください。私がレオン殿下の婚約者でなくなるためには、ミハイル殿下が王になっていただく必要がございます」
「だけど私が王になったとして、私に利点はあるのかな?」
「もしも、あなたが王にならずにレオン殿下が王になれば、彼の我儘はあなたにも及ぶことでしょう」
「たとえ愚かな王であろうと、それを支え国を動かすのが臣下の務めだろう」
王になれとあっさりと言ってのけるが、それは簡単なことではない。第一王子と第二王子が争えば貴族間でもどちらに付くかで
それならばレオンを飾りの王として添え、影から国を運営するのが一番平和で穏便なやり方だと、ミハイルは考えていた。
「ミハイル殿下が王になると宣言すれば支持する者は多いでしょう」
「だが父上とレオンを支持する者もいる。私は内乱なんて起こしたくないんだよ」
ミハイルは幼き頃から才能を
平和主義者を王とするべく動いたとしても、本人にその気がなければ、土壇場になって「いや、そういうのいいから」と呆気なく手放される危険がともなう。一か八かの賭けに出るくらいなら、レオンのご機嫌を取るほうがよほど楽で安全だろう。
「レオン殿下が王になるほうが無理な政策を通そうとして反乱が起きるとは思いませんか?」
「そこを調整するのが臣下の務めだよ」
「ではレオン殿下にとんでもない醜聞が生まれたらどうしますか?」
「王になれないほどの醜聞なんて、そうありはしないよ」
「王命である婚約を破棄しようとしてるのに、ですか?」
「ただ口にしただけだ。強制力もなければ影響力もない言葉にはなんの力もないよ。もちろん罰するだけの力もね」
優秀でありながらことなかれ主義のなんと厄介なことだろうか。
温厚なミハイルと過激なレオン。足して二で割れば丁度よいのにとは、誰もが思っていることだ。
アルミラは小さく息を吐くと、胸の前で手を組みミハイルを見上げた。
「ミハイル殿下、お慕いしております。私はレオン殿下ではなくあなたと生涯を共にしたいのです」
熱のこもらない瞳と、淡々とした声で紡がれる愛の告白に、ミハイルは苦笑を浮かべる。
お遊びでもそういうことを言うのはよくないとたしなめようとしたが、それを口にすることはできなかった。
そう、アルミラは手段を問わない。そして今さら気にするような外聞もない。
「おい、どういうことだ!」
背後から聞こえる苛立った声に、アルミラは振り向くことなく笑みを深める。
昼食を用意しなかったことでレオンが怒り心頭だという話は、親切な同級生が教えてくれた。
怒りをぶつけるためか、新しい命令をするためか、あるいは別の理由でかは定かではないが、遅かれ早かれアルミラを探すことはわかっていた。
そして放課後、アルミラはレオンが自分を探しているという情報を手に入れ、わざと人目につくようにしてミハイルを訪ねた。
「アルミラ、なにをしている」
苛々とした声に、アルミラは前に立つミハイルの胸に手を添え、額を肩に押し当てた。間違ってもレオンに顔を見せないためにだ。
「さすがにそれはやりすぎだよ」
たしなめながらアルミラの肩を掴み剥がそうとするが、びくともしない。てこでも動かきそうにないアルミラに、ミハイルは眉をひそめる。
ミハイルは確かに優秀だがそのすべてが他者を
対してアルミラは自己を鍛えることに心血を注いできた。それもこれもレオンの命令を遂行するためである。
なにせレオンときたら十分以内に菓子を調達してこいと命令したり、五分以内にくつろぐ場を用意しろと命じたりする暴君ぶりだった。
生半可な体力ではその命令を成し遂げることはできない。そのため、体力や瞬発力その他もろもろを鍛えるため、鍛錬にいそしんだ。
しかもミハイルが勝てない国一番の騎士に師事を仰いでのものだ。
時間を惜しむことなく鍛錬にいそしみ、その結果国一番の騎士には劣るが、ミハイルを上回る力を手に入れた。
「もはやこの身はレオン殿下の婚約者ではございません。胸に秘めた想いを口にしても咎められることはないのです」
芝居がかった口調にミハイルはレオンの様子をうかがう。苛々と顔をしかめているのを見て、心の中で溜息をついた。
レオンがミハイルを嫌っていることは、家族と、そして婚約者のアルミラも知っていることだ。
ここでレオンではなくミハイルに想いを寄せていたなどと言えばどうなるか――答えは簡単だ。レオンの怒りが沸点を振り切れるだけである。
「アルミラ!」
飛んでくる怒声に、アルミラは小さく体を震わせミハイルの肩に顔をこすりつけた。縋るその姿は、まるで力なき令嬢のように見えることだろう。男装していなければの話だが。
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