「それは建前だよね」

 レオンとアルミラの婚約が政略によるものだということは誰もが知るところだ。王命により取りつけられた婚約がそう簡単に破棄できないことも、誰もが知っている。

 アルミラは届いた手紙に目を通し、小さく息を吐いた。

 差出人はアルミラの父親だ。婚約破棄されました、王にもそうお伝えください――簡潔にわかりやすくしたためた手紙の返事もまた、わかりやすいものだった。


「無理か、まあそうだろうね」


 転移魔法によりすみやかに届いた手紙を丁寧に畳んで引き出しにしまうと、アルミラは今日のスケジュールを頭の中で組み立てた。

 顔も見たくないと言ったレオンの願いを叶えるためにはどう行動するべきか、婚約を破棄したいという望みを叶えるためにはどうすればいいのか。


「あいつに、それだけの覚悟はあるのかな」


 口元に笑みを浮かべ、逢瀬を重ねているであろう二人を脳裏に浮かべる。


 アルミラはこれまでどんな我儘だろうと応えてきた。方法を問わず。

 だからそう、今度の我儘にも方法と、そしてそれに伴う被害を度外視すればいくらでもやりようはある。


 アルミラとレオンの婚約は政略的なものだ。

 優秀と名高い側妃の息子を退しりぞけ正妃の息子を玉座に押し上げるための。


「お義兄さまにでも会いにいくとしよう」


 スケジュールは組み立て終わった。

 アルミラは男子用の制服に袖を通すと自室を出る。もうすぐ授業がはじまる時間だ。


 これまではレオンを迎えにいくために早く出ていたのだが、もはやその必要もない。本日のスケジュールの一番初めは、ゆっくりとした登校時間を楽しむというものだった。



「お前が時間ギリギリなんて珍しいな」


 片手を上げて挨拶するエルマーを一瞥して、アルミラは鞄を机の上に置いた。


「世話のかかる相手を迎えに行かなくてすんだからね」

「そうそう、その世話のかかる奴だけど……迎えに行ったらしいな」

「あいつにも人を思いやる気持ちが残っていたとは……喜ぶべきかな」

「そこは好きにしろ。悔しがってもいいだろうし、万歳して踊り出しても暖かく見守ってやる」

「生とつきそうな暖かさはいらないから、ひっそりと喜ぶことにするよ」


 授業開始を告げる音と共に教師が入ってきたので、アルミラは急いで机の中に教科書を押しこんだ。




 エルマーは侯爵家の次男として生まれた。彼の母親はアルミラの叔母で、アルミラの母親と親交が深かったこともあり、幼少の頃から遊び相手として公爵家にお邪魔していた。

 そのため、エルマーにとってアルミラは妹のような存在だった。数か月しか変わらないのに妹もなにもないだろうと、当のアルミラが聞いたら抗議していたことだろう。


 そのアルミラに婚約者ができたと知った当初は色々な意味で驚いたエルマーだったが、日が経つにつれ驚きはなんとも表現しがたい感情に変わっていった。


「髪、どうしたの?」


 髪が女性にとって大切なものであることは、幼いエルマーですら知っていた。それなのに、ほんの数日会わないだけで腰まであった髪が肩よりも短くなっていたのだから、そのときの衝撃は計り知れない。


「邪魔だと言われたから切った」


 むすっとした顔で答える従妹に。エルマーは言葉を失った。



 そしてまたあるときは、ふわふわとしたドレスではなく、男子の衣服をまとう従妹を見て眩暈めまいがしたこともあった。

 どうしたのかと聞けば「似合わないと言われたからやめた」と、これまたむすっとした顔で答えられた。


 もしもこれがレオン自らの手で行ったことなら、素直に純粋に彼に対して怒れただろう。だがレオンがしたのは邪魔や無様といった暴言を吐いただけだ。もちろんレオンに対する怒りはある。だがそれ以上に、アルミラの行動が衝撃的すぎた。

 思い切った方法を取るアルミラに、エルマーはもはやなにを言えいいのかわからなくなる。

 それでも一言ぐらいは言っておこうと、とりあえず思ったままを口にした。


「そこまでしなくてもいいんじゃない?」

「命令に従えと言われたからね。それに従っただけだよ」

「それは建前だよね」


 アルミラが両親から髪を伸ばせ、ドレスを着ろと言われているのは聞いている。エルマーからも言ってくれと頼まれたからだ。

 だがアルミラは「レオン殿下のご命令ですので」と言って一歩も譲らなかった。


「ドレスも長い髪も邪魔だったし、丁度いいやって思ったから」


 丁度いい、それをアルミラは婚約をしてから何度も口にしていた。


 朝から迎えに行くのも遅刻しなくてすむから丁度いいと言い、昼食を用意するのも豪勢な食事をつまみ食いできるから丁度いいと言い、そして今も。


「そろそろ付き合うのも面倒だったからな。丁度いい」


 そう言って、レオンとの婚約を破棄するために動いている。


 このときになってようやく、エルマーはレオンに対して素直に純粋に怒りを抱いた。

 可愛い妹分である彼女に割り切りと妥協を教えこませ、他の女性と懇意こんいにしてもなお、アルミラの中心にいることが実に腹立たしかった。


 だからといって直接抗議に行けば、あの癇癪持ちのことだ。ろくでもない結果にしかならない。

 そのためエルマーはなにもすることなく、ただアルミラの話を聞く。


 そして抗議にいかない代わりに、女性同士のいざこざを解決するといった――これまでしていたこともしないことに決める。


(あの甘やかされてきた坊ちゃんになんとかできるのかねぇ)


 これまでトラブルがあれば、レオンはアルミラに命令してトラブルを解決させてきた。だがアルミラは今回のことを最後の願いと考えている。

 どれほど困ろうと、頼ろうとしても、アルミラが請け負うことはないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る