(違う! そうじゃない!)
アルミラとその友人に女狐、
そして彼女の魅力にまいってしまったのは、そこらの貴族令息だけではなかった。
つい先ほどアルミラに婚約破棄を言い渡したレオンもまた、レイシアの魅力にやられていた。
なにしろ婚約者であるアルミラはレオンよりも少し背が低いだけの、男装の麗人だ。女性らしさをこれでもかと詰め込んだレイシアに心を奪われるのは、レオンにとっては当たり前の話であった。
「レイシア喜べ。アルミラに婚約破棄を突きつけてやったぞ!」
愛する女性の手を握り熱のこもった視線を向けるレオンに、レイシアは目を白黒と変える。
レイシアにとって、それはまさに
レオンが好いてくれているのは、レイシアにもわかっていた。だが身分の問題がある。精々が愛妾、よくても側妃止まりだろうと覚悟を決めていた。
それなのにまさかの婚約破棄だ。驚くなというほうが無理がある。
「ちょ、ちょっと待ってください。レオン様、まさかそんな、本当ですか?」
「これで誰の目も
甘い囁きに、またもやレイシアは目を白黒と変えた。
憚らないもなにも、二人の関係は公然の秘密だ。レオンが憚ったことはこれまで一度もない。
だが今問題にするべきはそこではない。妄言であればと願わずにはいられないレオンの囁きに、レイシアは急いで頭の中でそろばんを弾きはじめる。
レイシアは学園での男性人気をほぼ独り占めしている状態だ。すべての男性が、というわけではないが学園で人気投票を行えば首位を取るのは間違いなくレイシアだろう。
女性は守るべき存在だと教えられている貴族男性にとって、愛らしく守ってあげたくなる見目をしたレイシアはまさに理想の女性だった。
それに対してアルミラはそこらの男性よりもかっこいいと、女性人気を博している。
そんな状況で、アルミラとの婚約をレオンが一方的に破棄したとなればどうなるか。
「……レオン様、どうか早まらないでください。お気持ちは嬉しく思いますが、私は子爵家の娘。どうあがいてもあなたの妻にはなれないのです」
「心配するな。俺は次期王だ。王の命令に背く者はいない」
髪を手に取り微笑むレオンを前に、レイシアは心の中で叫んでいた。
(違う! そうじゃない!)
だがいくら頭の中で叫び否定しようと、当然ながらレオンには届かない。
女性も男性も揃っている学園にいる間はまだいいが、一歩ここを出れば男性は男性の、女性は女性の戦いがある。
そこに女性からの不評を買っているレイシアがのこのこと出向けばどうなるか――間違いなく、歓迎はされないだろう。
女性たちの恨みを買うことによって痛い目を見るのはレオンではなくレイシアだ。全貴族女性を罰するなど、たとえ王であろうと許されるはずがない。
「レオン様、どうかアルミラ様に撤回をお願いします。私はあなたのお気持ちがあれば、それで十分です」
儚げに微笑むレイシアの姿にレオンは胸打たれた。なんと奥ゆかしい女性なのだろうと考え、同時に堂々とした居住まいで椅子にふんぞり返るアルミラが浮かび、心の中で悪態を吐く。
「レイシア、安心してくれ。俺は身も心もお前に捧げるつもりだ」
酔いに酔ったレオンの言葉に、レイシアはこの馬鹿王子と心の中で悪態を吐いた。
どこまでも噛み合わない二人だったが、
その翌日、レイシアのもとに一通の手紙が届いた。それはもうひどい
この程度であれば可愛いものだが、直接的な行いにでないとは限らない。護身用具を胸に抱きしめ、これから訪れる災難にぶるりと体を震わせた。
「レイシア、迎えに来たぞ」
そして寮を出て、待ち構えていたレオンを見て口元をほころばせる。さすがにレオンがいる前で仕掛けてこようとする者はいないだろう。
レイシアの零した安堵の笑みに、レオンもまた口元をほころばせ柔らかな笑みを浮かべた。
「レオン様、ありがとうございます」
「婚約者として当然の義務だ」
婚約破棄騒動から丸一日も経っていないのに、レオンの中では新たな婚約が成立していた。もはやこの王子になにを言っても無駄だろうと、レイシアは引きつりそうになる顔を笑顔の形に留める。
余談だが、レオンがアルミラを迎えに来たことは一度もない。
むしろ荷物を持たせるために迎えに来させていた。
「レオン様はお優しいのですね」
その事実を知っているレイシアだったが、頬を染めてはにかみレオンのご機嫌を取るための言葉を紡ぐ。
この我儘な王子の機嫌を損ねれば、待っているのは転落人生だ。女性には毛虫のように嫌われ、守ってくれそうな男性はレオンしかいない。
崖っぷちな状態であるからこそ、レイシアは自分の前に垂れ下がった蜘蛛の糸のような細い希望に必死で縋った。
「当たり前だろう。恋人なのだからな」
「まあ、そんな。恥ずかしいです」
手を取られ指先に口づけを受け、レイシアは顔を伏せた。
ここは女子寮の前だ。登校するために寮を出てきた人たちの視線がびしばしと飛んできている。
注目されることに慣れているレオンはともかくとして、レイシアは誰かの悪意にさらされた経験はそう多くない。痛いほどの視線を受けながらも笑みを絶やさずいられるほど、レイシアの神経は図太くできていなかった。
もはや誤魔化しきれない表情を隠すために顔を伏せただけだったが、レオンの目には恥ずかしがる可憐な少女が映し出されていた。
愛くるしく守ってあげたくなる彼女を誰が相手だろうと、と心に決めるのは、レオンにとっては当然の帰結であった。
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