「最後の願いだから、叶えてあげないとね」

「アルミラ様、おいたわしい」


 アルミラの友人である女生徒がうるうると瞳を揺らしている。彼女とは学園に入学して以来の仲で、なにかあれば真っ先に飛んできて感情の赴くままに表情を変えた。

 そして今も、アルミラに降りかかった災難を知り嘆いている。


「いや、まったくこれっぽっちもおいたわしくないよ」


 そんな困った友人を前にして、男子用の制服をまとい足を組むアルミラの顔には悲しみも悔しさもなにもない。ただ晴れ晴れとした笑顔が広がっていた。


 それもそうだろう。アルミラはレオンの我儘に振り回され続けた立場。

 顔も見たくないと言うのなら、それに従いもう二度と顔を見せるつもりはないと心に決めてもおかしくない扱いを受けてきた。婚約者に捨てられたことを嘆くほどの情があるはずもない。


「あのような女狐に心奪われるなんて、レオン殿下の目は節穴でできているのでしょうか!」

「可愛らしい女性だから、女狐ではなく子栗鼠こりすと呼んであげたほうがいいんじゃないかな」

「ええ、そうですわね。ちまちまちまちまとクッキーを頬張る姿はたしかに子栗鼠です!」


 手に持つハンカチを引きちぎる勢いで憤然ふんぜんとする友人に、アルミラは苦笑を浮かべた。


 婚約を破棄すると公衆の面前で言われたが、場所は学園の廊下。公の場とは言い難い。

 王命である婚約を覆すほどの効力はない。それをレオンはわかっているのかどうか。


(――どうせわかっていないのだろうな)


 心の中で溜息を零しながら、アルミラはどうやって正式に婚約を破棄するかを考える。


「レオン殿下の最後の願いだから、叶えてあげないとね」

「ああ、アルミラ様! なんとお優しいのでしょう!」


 感涙しかけている友人をなだめ、アルミラは頭の中でそろばんを弾いた。



 レオンとアルミラの婚約は、第一王子ではなく第二王子であるレオンを次期王とするためのものだ。

 第一王子は長子とはいえ、母親は側妃で伯爵家の生まれ。そして次男であるレオンの母親は正妃で侯爵家の生まれだ。

 妃としての位はもちろん、生家も正妃のほうが勝っている。それを考えれば、レオンが次期王に指名されるのは当然の成り行きだ。

 だが第一王子のほうがレオンよりも優れた能力を有していた。レオンの父親である王は、いずれ第一王子を次期王にと望む者が出てくることを見越し、レオンの後ろ盾を早い段階で用意しておこうと有力貴族のフェティスマ家に婚約を打診した。



 だが王に相応しいと周囲に言われ続けて育ったレオンは、非常に傲慢で我儘な性格に育った。

 つまり、後ろ盾などなくとも問題ないと――そう思ってしまったのだ。


 そんな考えなしなレオンの最後の願いを叶えるためにアルミラがまずしたことは、父親に文を出すことだった。緊急連絡時のみとされている転移魔法を用いたので、遅くても明日中には返事が届くことだろう。


 これで王からの許可が得られればそれに越したことはないのだが、そううまくは運ばないことは、アルミラが誰よりもわかっていた。他の手も考えなければいけない状況に、思わず溜息が漏れそうになる。

 だが今は、他の手を考えるよりもしなければならないことがある。目前に迫った午後の授業を受けるために、アルミラは机の上に置かれた教科書を開いた。



 そして放課後、昼に行われた婚約破棄騒動はすでに学園中に広まっていた。幸いレオンとアルミラは学ぶ教室が違うため、好奇の視線こそ向けられるが踏み込んだ質問をしてくる者はいない、


「やあ、アルミラ。婚約がなくなったんだって?」


 そう、普通なら踏み込んでこないはずだった。


「ああ、そうだよ。なんだ、そんなにやにやと笑って。人の不幸がそんなに楽しいか?」


 アルミラの従兄であるエルマー・ルノワールはそれはもう輝かんばかりの笑顔を浮かべている。

 婚約破棄はアルミラにとって喜ばしいことではあるが、ここまで笑われると不愉快になるのもしかたないだろう。顔をしかめたアルミラを見て、エルマーの笑みがよりいっそう深くなる。


「いやいや、不幸ではないだろう。アルミラが殿下に慕っていないのは周知の事実だったからな」

「あれを慕えと言うほうが無理があるだろう」


 昼食になればやれ一流シェフの料理を持ってこい、休み時間になれば教室に押しかけ肩を揉めと騒ぎ、放課後になれば荷物を持てと命令する。

 婚約者どころか、もはや下僕扱いにときめけるような人材はそういないはずだ。


「独り身記念に、どうだ一杯」

「おかしいな、ここに通う者はみな未成年だったはずだが」

「酒だと言った覚えはないぞ。希少な果実水が手に入ったから、それを振舞ってやろう」

「それは水のような、と謳い文句が付くたぐいのものではないだろうね」

「当たり前だろう。アルミラを酔わせたところで、面白くもなんともない」


 エルマーは学園一浮名を流している男だ。学園にいる間だけの火遊びとして、口説いた女性は数知れず。男性からの恨みを一身に受けている。

 そんなエルマーになびかないというだけでレイシアの人気が上がっているのだから、もはや皮肉としか思えない。


 困った従兄にアルミラは「それでは馳走になろう」と快活に笑った。


「さて、噂のレイシア嬢だが……このままではよくないことになるだろうな」

「まあ、それはそうだろう。人の婚約者と逢瀬を重ね、周知されているとはいえ秘密の関係で満足していたのならまだしも、こうなってしまってはどうにもならないだろうね」


 人の婚約者であろうと口説きにかかるエルマーも大概たいがいだが、レイシアもレイシアだ。婚約者がいるいないにかかわらず異性との距離感が近い彼女は、元から女性陣によく思われていなかった。


 そしてここにきての婚約破棄騒動だ。略奪をよしとする女性は少ないだろう。


「レイシア嬢のお手並み拝見といこうか」


 指を組み微笑む従妹の姿にエルマーは肩をすくめた。

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