「はい、おっしゃいました」
凡人凡才なレイシアだが、力のない子爵家の娘でありながらそれでもなんとか学園でやってこれたのは、これまで
とはいっても、手の平の上でころころ転がせるようなものではなく、ほんの少しやりすごせる程度のものではあるが。
図書室からの帰り、どこぞの令嬢に足を引っかけられ無様に転んでも、レイシアは反抗しなかった。
「ずいぶんと汚らしいものが転がっておりますこと」
向けられる蔑むような視線に、レイシアは腕に抱いた鞄を抱きしめながら唇を噛みしめて震える――どうしてなにも言い返さないのかというと、この手の
だからこそ無力な小動物のごとく震えて、相手の嗜虐心を満たすことによって難を逃れるほうが、傷は浅い。
だがレイシアの取った行動は令嬢の嗜虐心を満たすだけでは飽き足らず、それを目撃した令息の
「君たち! なにをしている!」
「俺の婚約者でありながら兄上に
実に偉そうな言葉を吐くレオンに、アルミラはぴくりと体を震わせた。怯えから、ではない。
あの横暴ぶりで忠義を抱けると思っている、その馬鹿さ加減に一言物申してやろうかと思ったせいだ。
だが
「ミハイル殿下、どうかあのような暴君から私を守ってくださいませ」
「暴君だと!? 誰が暴君だと言うつもりだ!」
お前以外の誰がいると言いたいのを必死に
「くっ……レオン、ここは私の顔に免じて引いてはくれないか?」
このままではぽきりと折られてしまいそうなミハイルは、とりあえず自分の命の保身に走った。
「兄上が俺に命令できる立場だと思っているのか? 俺の臣下になるのだから、そこの無礼な女をひっ捕らえるぐらいのことはしてもらわなくてはな」
「そうしたいのは山々だけどね、でもほら……女の子に乱暴なことはできないだろう? 彼女は今怯えているようだから、また日を改めて、皆が冷静なときに話し合おうじゃないか」
さらに自分が女の子に力で負けていることを伏せて、レオンの説得に精を出す。ミハイルはことなかれ主義の日和見主義だが、それでもほんの少しだけとはいえ守りたい
優秀だとされている自分が、まさか女の子に脅されているなどと口にすることはできなかった。そして自分の命も惜しかった。
「怯える……? そいつが怯えるほど
「いいえ、それはできません」
顔をミハイルに押しつけたまま首が横に振られる。そのこそばゆさにミハイルが体をよじろうとしたが、完全に拘束されて動けなかった。漏れそうになる笑い声を必死に
「顔を見たくないと、そうおっしゃったのはレオン殿下でございます。あなたからいただいた最後の命令に背くことはできません」
「……言ったか? そんなこと」
首を傾げるレオンの姿がアルミラに見えているわけではないだろう。だが聞こえてきた間抜けな声に、思わずといった風に胴を抱える腕に力がこもった。ミハイルの口からわずかに呻き声が漏れるが、それを気にする者はこの場にはいなかった。
忘れてはいけないのは、レオンが癇癪持ちだということだ。ちょっとしたことで苛立っては怒りをぶつける。そんなのは日常茶飯事で、レオンにとっては
さすがに婚約破棄を叩きつけていることは覚えているだろうが、その前後までは記憶しない――
「はい、おっしゃいました」
「ならば再度命じる。俺にお前の情けない顔を見せろ」
「一度受けた命令に背くことはなりません。気分でころころと命じたことを変えるのは混乱のもとでございます。ゆえに私は最初に受けた命令を
かつかつかつかつと荒い靴音が聞こえてくる。さては力技にでるつもりだなと察したアルミラは、よりいっそう腕に力をこめることにした。
レオンに引き剥がされるほどアルミラの体は軟弱にはできていない。だが
「レオン、あまり近づかないでくれるかな」
だからここは、自分の命が大切なミハイルを利用するに限る。
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