3,箱入り娘は箱に入る(3)


 電話を終えた前田さんがひどく青ざめた顔で、僕たちが乗っていた搬器と対になるように下りていった下りの搬器の中で死体が見つかったのだということを教えてくれました。正直教えてもらわなくとも電話をとった前田さんの応対は丸聞こえだったのでわかっていたのですが、それでも、その情報には初めて聞くかのようなひどい重苦しさがありました。前田さんほどではありませんが先生の顔も多少青ざめていたように思います。


「ロープウェイは運休だ。とりあえず下の乗り場まで下りるぞ。あんたらも俺の車に乗れ」


 前田さんがこう言った瞬間、僕はつい「ええっ」と声を上げてしまいました。その声に先生と前田さんが僕をぱっと訝しげに見ます。僕は焦って適当を言ってごまかしました。さすがの僕でも「せっかく頂上まで来たのに景色も見ずに帰るんですか?少しくらい見たってバチは当たりませんよ」なんて言ったらマズいことぐらいわかります。しょうがないので景色は諦めて、僕は大人しくしていることにしました。



 タバコ臭い狭苦しい車の中で、前田さんは色々と話してくれました。否、僕が前田さんから色々と聞き出しました。僕はお話が好きなので、そういうのが得意なのです。えっへん。


 前田さんから聞き出したことをとりあえず書いてみましょう。

 前田さん……フルネームを前田信夫まえだのぶお、年齢は五十二歳。エヤマ温泉を経営する江山旅館株式会社の社員さんです。社長である江山恭一郎えやまきょういちろうと仲が良かった以前は会社のそこそこのお偉いさんだったらしいですが、色々問題があって今はロープウェイの事務員として働いているそうです。


前田さんがそんな木っ端職員に転落してしまった理由は、なにやらお金を着服したとかしていないとか。江山社長の厚意によって解雇は免れましたが、いわゆる窓際の事務職へと転属とあいなったという結末なようで――……あんなにやる気も無くぐうたらになるのも、無理のない話です。車の中でめちゃくちゃに会社と江山社長や夫人の悪口を聞かされて僕は疲れました。



 僕たちの乗ったロープウェイは始発でした。僕たちの乗った登りの始発が発車した乗り場は、実際は山の中腹あたりにあるのですが、ここからは便宜上「麓の乗り場」と書きます。


 始発時刻より十分ほど前、頂上の事務所の当番である前田さんは点検をして異常が無いことを確認し、運転可能であることを麓の事務所に伝えました。搬器の中に死体なぞがと転がっていようものなら、前田さんによって発見されているはずです。


しかし、麓に到着した搬器の中から死体が見つかったのです。頂上から下るその始発の搬器に乗り込んだ乗客はいなかったらしいので、これらすべてが本当なら「どこからか死体が搬器の中に湧いて出てきた」ということになります。おかしいですよね。

 もしかして死体が自分で入ったりしたのかな、なんてふざけたことを考えたりしちゃったりなんかしちゃったりして。


 前田さんの狭い車で、ちょうど先ほどまでいたロープウェイの乗り場がある崖の下あたりの道を通っていた時、先生が急に生娘みたいな叫び声を上げました。黒い何かが車の窓すれすれを飛んでいったのです。僕は窓からその何かが飛んでいった先を見てみました。一羽のカラスがばたばたと飛んでいるのが見えました。


「おもしろい叫び声だね、先生」


「うるさい!ちょっと驚いただけじゃなないか!」


 僕のイジワルな言葉に先生は顔を真っ赤にしながら反論していました。僕は下に兄弟が二人いる長男なのですが、先生の言動行動には僕のうちに秘めたる長男魂がくすぐられるような気がします。先生は多分末っ子なんでしょう。


「ここらへんはカラスが多いんだ」


 成人してもうずいぶんと経つのに中学生みたいに騒ぐ僕たちに、前田さんが呆れたように言いました。


「どうせ今日ゴンドラが止まったのも、カラスがぶち当たったせいだろうよ」


 僕は「へえ」と雑な相づちを打ちました。「ふーん」でもよかったかなと思います。

 僕の顔を覗き込む先生が「どうしたんだよ?」と目顔で言っているような気がして、僕は先生に目線をやりました。するとやっぱり先生は訝しげな顔をしていたので、僕は口に出して「なに?」と聞いてみたのです。


「いや、何をそんなに笑っているのかと……」


 どうやら僕はいつのまにか笑っていたようでした。僕はもともと笑っているような顔なので、この時はよほどニヤついていたのでしょう。とっても恥ずかしいです。


「何考えてんの?」先生の言葉に「別に」とイジワルな顔で返して、僕は、すごい速さで過ぎていく窓の外を眺めました。


僕はこの時、「本当にカラスのせいかな?」と考えていたのでした。



 法定速度ギリギリ、というよりはいくらか超過しながら山道のうねうねした道を走った前田さんの車は、三十分程度で僕たちを頂上から麓の乗り場まで運びました。通常だったら一時間はかかる道のりでしたが流石の運転技術です。降りてすぐ、先生がひどく苦しそうな顔をしてよろめいたのでどうしたのかと思ったら、どうやら車に酔ったようでした。背中をさすってやったら「ゆすんぶんないで。余計に気持ち悪くなる」と半分泣いているような声で言われたので僕はしょんぼりしました。


人生で初めて死体を見たペーペーの時の僕も、ちょうどこんな風に青い顔をして、広昌さんに背中をさすってもらったのでした。よくよく思い出せば僕もその時「揺らさないでください」と半分怒りながら言った気がします。


 死体が見つかったという割に、麓の乗り場はずいぶん静かでした。人もそんなにいないし、どうやら警察も来ていないようでした。山のそこそこ上の方だし、奥まったところだから来るのが遅れてるのでしょう。


 乗り場に集まっている人は四人ほどでした。少し離れたところですすり泣いている一人を除いて、皆、搬器の前でたむろしています。通してもらって見てみると、開けっぱなしで固定された扉の向こう、搬器の綺麗な黒光りする床の上に、確かに女の死体がありました。


意気込んで少し見てみましたが、死んでからの確かな経過時間は僕にはわかりませんでした。僕は優秀な“探偵助手”ではありますが、医者ではないので当たり前です。しかし確実に死んですぐのものではないこと、数時間は経っているだろうことはさすがの僕にもわかりました。


 爪や首回りが美しいあたり、そういうのに気を使っていた女性だったのでしょう。年相応と言いましょうか。

生きていたときは髪を巻いたり、化粧をしたりしていたのだろうな、とえらくさっぱりした死体を見て僕は思いました。彼女の着ていた服はこの季節には少し肌寒いだろう生成りの素朴なコットン生地のワンピース一枚で、不思議なことに靴も靴下も履いていません。

 腕や足などの、体のあちこちに擦り傷が見られましたが、どれも目立たない軽いもので、これが致命傷というわけではなさそうでした。


「まさか京子が殺されるなんて……」


 こちらから聞くでもなくそう言ったのは、京子さんの恋人だという津川登也つがわとうやさん。京子さんの大学の先輩だそうで、人当たりの良さそうな好青年です。


先生と並んでも遜色ない背丈ですが、肉付きは先生の倍以上でがっちりしていらっしゃいました。(というより先生が細すぎるのですね)

僕の見立て的には、彼は柔道をやっているのではないかと思われました。


「はあ……柔道ですか。柔道はやってませんが……サッカーを少したしなんでいます」


 おしい。


先生が「なにもおしくねえよ……」と言うので口に出てたのかと聞くと、「そういう顔してたよ」と言われました。どういう顔なんでしょう。


「警察が来るまであと一時間ほどかかるそうです」


 僕たちに説明するようにそう言ったのは、麓の事務所の担当係員、大場栄介おおばえいすけさん。電話をかけていてちょうど終わってすぐに伝えてくれたようでした。


麓でチケットを買った時はあまり気にしませんでしたが、優しそうな顔立ちの人です。見た目からして前田さんより少し若いくらいのようで、髪もまだふさふさしています。


真面目で、職場に対して文句一つも無い、みたいな聖人君子的な顔と雰囲気をしています。でも、こういう人に限って鬱憤たまりやすかったりするんですけどね。僕とかこのタイプです。


「どうしてそんなにかかるのよ!もっと早く来られないの!?」


 走り寄ってきてヒステリックにそう叫んだのは江山美和子えやまみわこさん。搬器より少し離れたところで一人泣いていた人です。京子さんのお母様で、エヤマ温泉の女将だそう。


そういえばチェックインの時に旅館の玄関先で見たような気もします。着物姿がお綺麗ですが、落ち着きがありません。しかしまあ、愛娘が死んだとなれば一人の親としてこうなるのもしようがないと思います。


 そして何も話さず険しい顔をして腕組みしているのが、江山恭一郎。江山旅館株式会社の社長で、江山京子の父親。見たところは五十代後半から六十代前半くらいです。

そういえば、えらく厳格な後継者育成をしていると雑誌か何かで見たことがあります。たしかにそういう顔です。厳しい父親なのだろうなという顔です。


でもこれはきっと内弁慶タイプだな、と僕は横目に失礼なことを考えました。先生がまた僕を訝しげに見ています。自覚していないだけでそんなに僕って顔に出やすいのでしょうか。



 さて、紆余曲折ありましたがこれで役者もセットもそろいました。

 江山京子、彼女はどうして死んだのでしょう。

 探偵助手と“探偵助手”の推理ショー、否、お粗末なお遊戯会の始まりです。なんちゃって。

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