1,探偵・新田理一の失踪(2)



「単刀直入に言うとですね。今回はどうも本調子が出てないように思います。端的に言うと調子が悪いですね、先生」


 担当編集者である尾崎さんが、私を見るなりそう言い放った。


 私はその日、尾崎さんに呼び出され出版社に出向いていたのだが、もう九月の暮れだというのにひどく熱い日差しを受けながら、私は応接スペースで身を縮めていた。


 しょぼくれている私に気づいた尾崎さんは、額に浮かんだ汗をハンドタオルで拭いながら困ったような顔をした。歳の割に恰幅の良い彼は、滝のような汗をかいていた。


「あ、いやね。そういう意図で言ったんじゃあないですよ。いや、すんません」


「いえ、調子が出てないのは事実ですし」


「そういえば先生、珍しく締切にもギリギリでしたね。なにかあったんですか?」


 今まで顔を伏せていた私が、その言葉に咄嗟に顔を上げたことに、彼は「おっ」という顔をした。若い頃、雑誌記者だったという彼は今でもたまにこういう顔をする。記者らしい、なにやらおもしろそうなものを見つけた時の表情だ。事件の匂いを嗅ぎつけた時の表情とも言える。


「実は、同居している友人が帰ってこないんです」


 帰らなくなってからもう一ヶ月は経ちます、と私が続けて言い終わる前に、尾崎さんは食いついた。


「ご友人と言うと、先生が副業で助手をなさっているというくだんの探偵さんのことですな?たしか……新田さん」


 尾崎さんには以前、新田の話をした事があった。当時書いていた、『レクイエムシリーズ』と称されるシリーズの、主人公のモデルが彼だったからだ。そのため新田の変人さは尾崎さんも知ったところでもあった。


「そうです、その新田が一ヵ月ほど帰ってきてないんです。連絡一つ寄こしやしない」


「しかし、それも先生が仰っていた、彼のいつものというやつでは?」


「それがどうもおかしいのです」


 私は事のあらましを話した。

 尾崎さんは最初のうちは好奇心を隠すのも瞬きも忘れて私の話にじっと聞き入っていたが、特にこれと言って手掛かりもないことに、重々しい表情でため息をついた。


「それは困りましたな……さぞ心配でしょう」


 予想以上に尾崎さんが心配してくれたことに私は変に居心地の悪さを感じて、努めて明るい声を出した。不自然な話題転換になってしまったが、どうしてもその空気が耐えられなかった。


「ああ!そういえば!今日の要件は何なんですか?」


 尾崎さんは一瞬目を見開いたあと、安心したように微笑んだ。日焼けした顔に笑い皺がよく目立った。


「実は先生が随分前にご自分で取材の申し込みをされて断られたと仰っていた旅館があったでしょう。こちらからアプローチをかけてみたのですがね、めでたいことに取材アポがとれたんですよ」


 その言葉に純粋に心から驚いて、口を閉じるのも忘れて私は尾崎さんをじっと見つめた。それに応えるように、彼は得意げにニッと歯を見せた。白く綺麗な歯並びに不釣り合いな一つの銀歯が、きらりと光った。


「すごい!一体どうやって許可を取ったんですか。俺が頼んだときはたった一言『無理だ』とつっぱねられたのに!」


「いやまったく、先生は自分を売り込むのがお下手なようだ。先生が今までどんな賞をお取りになってきたか、どれくらい影響力があるのか、取材を受ければ取材料以外に、どれほどの利益を得られるか……電話口で熱く女将にプレゼンをしましたよ」


 恍惚とした顔で尾崎さんはそう言った。思えば先生が大学生で文壇デビューを果たした時……、と、お得意の思い出話が始まりかかったので、私はそれを遮るようにして話を続けた。


「さては話を盛って押し通しましたね?俺はそんなにすごい作家じゃあない!」


「何をおっしゃる。ぜんぶ事実じゃないですか。とにかくこれで先生が望んでいた取材ができるわけですよ、よろこんでください」


 こう言った時の尾崎さんの表情はイタズラ小僧のようで小憎たらしかった。

 尾崎さんには、たまにこういう所があった。自分が担当した作家に対して親馬鹿とも言えるほどの褒め殺しをするのだ。私は毎回それに対して顔を真っ赤にしてしまうのだが、それを面白がってやっている節も彼にはあるように思えた。


 尾崎さんはぱんと両膝に手を勢い良く置いて、私の目をじっと見つめた。


「どうです。取材旅行。気分転換だとでも思ってくだされば」


 ずい、と身を乗り出し、ただでさえ大きな眼をさらに大きく見開いてそう私に聞くものだから、私は声が喉でつっかえて言葉を続けられなかった。


 尾崎さんがわざとらしく眉をひそめる。


「せっかく私が頑張って勝ち取った取材オーケーを、まさかドブに捨てるつもりではありますまい」


「あたりまえです。意地悪な言い方せんでください」


 私の返事に呵呵と彼は笑った。


 そもそも私には断るつもりなどなかった。考えがあったからだ。

 しかし、どうやらそれも尾崎さんはお見通しのようだった。


「たしか、新田さんの生まれはこの近くだったでしょう。なにか手がかりがあるかもしれませんよ」


 幼い頃にその旅館に家族で泊まったという話を、酒に酔った新田に聞かされたことがあった。

 温泉旅館を舞台にした話を書きたかった当時の私は、取材先にとその旅館に眼をつけたのである。そして見事に取材を断られ、尾崎さんがこうして取材許可を取ってきてくれるまで、ボツに近い状態でそのネタを保管していたのだ。


「……そうじゃなくとも行きますよ、取材旅行」


「素直じゃありませんねえ、先生は」


 汗を拭いながら彼は取材資料を取ってきて、私に手渡してくれた。

 

 取材先にその旅館を選んだのは単に、新田の語る旅館での家族の思い出がとても美しいものに感じられたということだけで、当時は、深い理由など無かった。

 しかし、彼が失踪してしまったその時となっては、その旅館に行くことは私の中でとても重要な事柄になってしまった。


 彼と彼の故郷との縁は決して強いものではなかったが、行けば何かしらの手掛かりを掴めるかもしれない。そういう思いが胸で渦巻いていた。


 その時の私は、その思いに気づかないふりをして、もし新田が今日にでも帰ってきたらこっぴどく叱ってやろうなどと考えていた。

 このあと思いもよらぬことに巻き込まれるなど、少しも知らずに。

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