4-3「惑い」
客観的に見れば男か女か分からない、そんな整った出で立ちの益子美紗は、到着するや否や私に駆け寄ってこう言った。
「香織ちゃんの様子は」
「今は平気です。先輩の電話に繋がってます」
成り行きで益子美紗に柴乃さんを紹介する。「電話に出ても?」と益子が訊くと、柴乃さんは「はい」と一つだけ返事をしてスマートフォンを手渡した。益子美紗が電話に出る。
「益子です」
スピーカーモードにしているスマートフォンからは、思っている以上に元気な声色の香りの声が返事をする。
「あ、美紗さん!」
「フフッ、元気そうで何よりだ」
「あ。えっと、ちょっと怖いと言えば怖いんですけれど、でも大丈夫です。冷蔵庫にもいっぱい食べ物入ってて、それでお腹もすかずに済んでますし」
「えっ、勝手に食べてるの?」と友久。
「うん。だって何も食べてなかったし」と香織。
誘拐犯の所有している食物だとしても、まあ、大きく咎められはしないだろう。
「それで香織ちゃん。攫った男は、私の名前を言っていたそうだけれど」
「はい。美紗さん、何か知ってるんですか……」
「……」三秒ほど沈黙した後、「心配いらないよ。必ず助けるから」とだけ返事した。
スマートフォンを柴乃に返し、益子美紗が私の方に向き直した。
「さて、私には誘拐犯の心当たりがある」
空気が一変する。
「とはいえ、大学構内で詳しく話すのもなんだろう。近くの喫茶店に移そうじゃないか」
「そうですね、積もる話もありますし」
「えっと、じゃあ俺はこの辺で……」と友久が抜けようとする。香織とは面識もないし、彼がこれ以上首を突っ込む理由もない。だがなぜかそれを益子美紗自身が止めた。
「いや、君たち三人にも出来れば協力してほしい。私と関わり合いがない人だからこそ、頼みたいことがあるんだ」
「へっ?」
「あたしらにもですか?」と、流石に鳴瀬小夜子も驚いた様子だった。
場所を移して、大学近くの喫茶店『マキアート』にやってきた。私と柴乃さんはカプチーノ、鳴瀬小夜子はカフェモカ、益子美紗はエスプレッソを頼み、友久だけメロンソーダを頼んだ。尚、これは益子美紗の奢りとのことだ。
「それで、心当たりとは?」コーヒーが全て到着し、私から話を切り出す。
「正確な名前は分からない。会ったことがないからだ」
「会ったことがないのに心当たりが、あるんですか?」と柴乃も聞き返す。
「うん。まずは私の身の上話が絡んでくる。四谷くん、薄々君は勘付いていると思うが……私のこの『益子美紗』は単純なペンネームで本名ではない」
「本名は『
「珍しい苗字ですね」
「ああ。だからこそ『特定しやすかった』ともいえる。去年の十一月の末、私のもとに、一通の招待状が届いた。とある一族の、遺産相続に関する内容だった」
「遺産相続?」
「その相続候補に私が入っているそうなのだが、生憎全く面識のない家からだった。奇妙だろう?」
そう言って、益子美紗……もとい瓢やよいは封筒を取り出した。例の遺産相続に関する手紙のようだった。
「差出人は
「益子さんのお祖母さん?」
「ああ。祖母は既に病死してしまっているんだけれど、遺言書には祖母にも権利がある旨が掛かれていたらしい。祖母はもう亡くなっているから、いわゆる代襲相続という形で私の母が相続人候補になっているんだ」
全く関わりのない家の相続候補。考えられるとすれば、益子美紗の祖母が関わっていそうだが、祖母が既に亡くなっているのであれば、どういう関係なのかはもはや藪の中だ。
「母も滑志田っていう知り合いは知らないみたいだったし、知っていたならやっぱり祖母だったろうけど、もうこの世にいないからね……。さて、本題はここからだ。母は予定があって迎えないので私が出向く話になったんだけれど……。つい先日一本の電話が出版社に来たんだ」
「益子さんの勤める出版社にですか」
「そう。『瓢やよいに繋げてほしい』と言ったそうで、同僚が私の本名を知っていたから変わった形だ。そのとき『ああ、益子さんですね、今お繋げします』といって変わったんだ」
「ほう」
「変わると出たのは男の人で、こんなやり取りをした。
『瓢じゃなくて益子なんて、苗字を変えたのか』
『いやあ、苗字を変えたというかペンネームと申しますか……。その、それよりどこの何方で、要件をお聞きしたいのですが』
『遺産相続に顔を出すな。お前のような、どこの馬の骨かもわからないやつに俺達の遺産が分散されてたまるか』
『はあ……』
そんな一言二言のやり取りをした後、一方的に電話を切られてしまってね」
なるほど合点が行く。つまり、瓢やよいのペンネーム・益子美紗を知っているのは、直接関わりのある自分自身や香織、益子美紗の所属する出版社と、この時電話に出た謎の男のみなのだ。
「自分で言うのもなんだけれど、売れてるライターではないからね。この益子美紗の名を知っているのは、相当コアな記者マニアか、直接かかわった君たちくらいか、この時電話を出た男だけってわけさ」
「十一月の末というと、丁度不法投棄の事件があった時期ですね」
「御明察。実はあの付近が滑志田家の家のすぐ近くでね。調査の為に度々訪れていたんだ」
「調査?」
「私をわざわざ脅迫する奇特な人物は誰なのか、というね。ただの強迫電話なんて警察に言ってもまともに取り合ってもらえないだろうから、自分で犯人を見つけて突き出してやろうと思ったのさ」
中々
「さて、この中身を読んでほしい。ことは一刻を争う」
そう言って読むように益子美紗 ――今更、益子美紗から瓢やよいと改めるのも憚られるので、益子美紗で統一しよう―― は促す。
封筒を開けて読むと、このように書かれていた。
「拝啓 瓢
母 滑志田文代は 昨年 十一月二一日に永眠いたしました。
謹んでお知らせ申し上げますとともに、故人の遺言書より、瓢暦子様にも遺産相続の権利があるとの記載がございましたのでご連絡させていただきます。
つきましては年が明けての二〇二一年一月十日、我が滑志田家に足を運んでいただく思います。ご足労をかけますが、よろしくお願いいたします。
滑志田
「如実さん……。って、日付の一月十日って明日じゃないですか!」
「そう。その前日になって香織ちゃんが誘拐された。私の名前が遺言書に書かれていた理由も、何故わざわざ脅迫してきたのかも分からないが、ついに無関係な香織ちゃんが巻き込まれた今、流石に看過することは出来ない」
その時の益子美紗の声は、いつもとは違う、力強い言い方だった。
「この滑志田家について調べれば、犯人なんてすぐに分かると思う。でも通報を知って逆上した犯人が、香織ちゃんに何をするか分からない。私に対する威嚇、あるいは牽制か。だからこそ煽る前に、慎重になりたいんだ」
端正なその容貌は、いつになく真剣そのもので、力強く美的だった。
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