3-7「暗がりの犬の糞」

 私は一人、大広間にて家長夫婦の前にいた。香織、柴乃さん、そしてレオナちゃんはいない。どうしてこのような状況下になったかと言えば、私自身の指示で三人にはあることを調べてもらっているからだ。


「それで、お話とはなんでございましょうか、四谷小春様」


 その言葉は、ただの問いかけにもかかわらず凄みを感じた。夫人の一蝶氏だった。


「……えっと、御二方にお伝えしなければいけないことがお二つほどありまして」

「ほう、それは?」と金之助氏。

「えっと……」


 思わず言葉にするのを躊躇ってしまう。それまで縁のない存在だったとはいえ、身分の高いお屋敷の家督の前である。多少怖気づくのも無理はない。が、意を決して話を続けた。


「一つは、謝罪です。私は柴乃さんと婚約するためにこの家に来たわけではない、ということです」

「……」金之助氏の眉間に皺が寄る。「では、何しに来たというのだね」

「それが、二つ目です。この家の、呪いの正体についてです」

「……呪い? 貴様、馬鹿にしているのか?」

「いや滅相もありません。私は、柴乃さんたっての希望で、解明に訪れたのです」

「……」


 一蝶氏は黙っている。


「柴乃さんの右肩には、小さな歯型の痕がありました。これは代々犬養家の住み着く犬神が、次の当主となる人物に残す証で、女性の場合は二十歳の誕生日を迎えた後、次の誕生日までに婿を迎えるのがしきたり……だと柴乃さんから聞いています」

「……」

「私は家のしきたりに口をはさむつもりは毛頭ありませんが、しかし柴乃さん自身がこれを呪いと称し、私にその解明を依頼してきたのです」

「何故」

「矛盾していたからです。亡くなられた柴乃さんの母……お二人の娘さんである犬養牧子さんは、旦那さんである俊敏さんを婿養子に入れたそうですが、柴乃さん曰く、本当に牧子さんが二十歳を迎えた後に結婚した場合、旦那さんの俊敏さんは未成年となってしまいます」

「……」

「呪い、というのはあくまでも柴乃さんが便宜上そう呼んでいるだけですが、私はこの呪いが、犬養家を取り巻くある一つの出来事を隠しているのではないかと……」

「貴様、この家を侮辱するつもりか! さっきから聞いていれば柴乃が柴乃がと。だから最初から思っていたのだ、このようなみすぼらしい男を柴乃が連れてくるなど……!」


 調子に乗って長々と話し、金之助氏の額に青筋が見えたところで、ついに一蝶氏が二言目を発した。


「黙んな金」

「……」


 迫力のあるその声に、一家の大黒柱であるはずの犬養金之助は何も言わずに黙った。


「四谷様。お話をお聞きしましょう」

「えっ。あ、はい」

「その前に一つ質問を。柴乃に頼まれたからといって、部外者である貴方がわざわざ詮索する理由はないはずです。何故、そのようなことを」

「……気になったからです。私自身が」

「……そうですか」


 息が詰まりそうになる。犬養一蝶は一言そう質問し、私が答えると、手を出して話を続けるように促した。


「……大変勝手ではありますが、少しこの家について調べさせていただきました。調べたと言っても、この家の中で得られる視覚的な情報だけです。ですのでこれからお話するのは、そういった断片的な情報を基に、全てが整合性を保てるよう築き上げた、私の推測です」

「推測だと?」と金之助氏。

「はい。そもそも私が疑問に思ったのが、柴乃さんの周りに起こった大きな出来事のほぼ全てが、柴乃さんの物心つく前後に集約していたことです」


 そう言って、私は特に重要だと思われる五つの出来事を話した。


 犬養柴乃の両親、犬養牧子と犬養俊敏が事故死した時期。

 犬養柴乃の右肩に呪いの痕がついた時期。

 愛犬・スケが犬養家にやってきた時期。

 犬養柴乃が泳げなくなった時期。

 庭の池が潰された時期。


「池……」と一蝶氏が呟く。


「どうして池が入ってくるのでしょうか」

「池がなぜ入って来るか、その答えは、何故池が潰されたのかを考えると分かります。あの庭の池は、少なくともスケくんが来た後に潰されています。これは柴乃さんとレオナさんから見せて頂いたアルバムに、まだ池に水が張ってあった頃スケくんを抱えて写る柴乃さんの写真があったことから明白です」

「……」

「柴乃さんが右肩の痕に気付いたのはご両親の亡くなった後と伺っています。牧子さんと俊敏さんが事故で亡くなった頃には既にスケくんがこの家に来ていたと仮定すると、時系列は、スケくんが犬養家にやって来た後にご両親が事故で亡くなり、その後何らかの理由で池が潰され、柴乃さんが肩の痕に気付いたと考えるのが妥当でしょう」

「それで、その時系列を並べて何を明らかにしたいのだね!」


 苛立ちを隠せない金之助氏を前にしているが、あまり恐怖は感じなかった。本当に恐ろしいのは、あれから再び沈黙している一蝶氏だった。あまり不気味な沈黙は、私の話が正しいために反論していないのか、あるいはやはり、私の話が間違っていて怒りを押し殺しているからか。


「ご両親が亡くなった事故は、不幸な出来事だったでしょう。しかし同じ時期に、看過できない重大な事件が犬養家で起こってしまったと私は推測しています」

「……なんだねそれは」

「スケくんが柴乃さんの右肩を噛んだんです。あの痕は、スケくんが付けたものだったんです」

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